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或る猫の一生

 <出会い>

 息子夫婦が飼っていた一匹の雌猫が今年の秋、天国に旅立った。名前は「フク」という。丸い顔に大きな目と小さな耳。フクロウに似ているからそう名付けた。享年は推定18歳。「推定」というのは、元々フクは保護猫で、犬猫の譲渡会で引き取ったとき、年齢不詳だったから。予防注射を施した獣医が「おそらく5,6でしょう」と判定したのだ。猫の平均寿命は約15歳とされていることからすれば、フクは長寿。大往生だった。
 息子夫婦は我が家のすぐ近くに住んでいる。したがって、フクはしばしば遊びに来たし、息子らが旅行で留守にするときは長逗留した。夜、私の布団にもぐり込んできて、喉をゴロゴロ鳴らし、足をフミフミする。時には女房の髪の毛をペロペロ舐め始める。睡眠妨害も甚だしいのだが、まったく憎めない。そのうち、部屋に入って来られるように、戸を少し開けておいてやるほどになってしまった。
 こういうのが「ネコかわいがり」というのだろうが、とにかく何でも許せてしまう存在なのである。フクもフクで大体のことは許してくれるのだが、ひとつだけ許さないことがある。懐に抱き抱えることだ。抱くとすぐに手足を突っぱね、もがき、降りたがるのだ。子猫のころ人に抱かれた経験がなかったのだろう。元飼い主の扱いが心の傷、トラウマになっているのだ。
 フクのどの動作も表情も愛くるしく、癒されるのだが、一点不可解な行動がある。大体が寝ているかノロノロ歩くフクだが、時折、爪を研いだあと、まさに脱兎のごとく部屋を走り回ることがある。何かに驚いたふうでもないし、不審物をはっけんした様子でもない。爪とぎのあとの行動から察するに、狩りの練習をしているのだろうか。肉食動物の本能か。そういえば百獣の王ライオンもトラも猫科の動物だ。

〈空を飛ぶ〉
 長い毛に包まれ、ふっくらと大きく見えるフクだが、体重は2・5キロくらいしかない、ひ弱な体格。だが、その生命力の強さを印象付ける一大事がある。もっぱら家で過ごし、旅行などしたことのないフクが直線距離約7.600㌔、飛行時間約16時間というロシア・サンクトペテルブルクまでの空の旅を往復したのである。
 ある旅行会社に勤めていた息子が12年前の2008年、ペテルブルクに駐在員として赴任。2年後に嫁がフクを飛行機に乗せて合流したのである。実家の我が家に預けるか、連れて行くか迷った末の決断だった。息子夫婦にとってももちろん初体験。飛行機に乗せるまでの検疫やら渡航許可など手続きで、文字通りネコの手も借りたいほどの大仕事だった。
 最大の問題は、長時間も貨物扱いで檻に閉じ込められるのではなく、機内持ち込みを許す国際航空便があるかどうかだ。いろいろ調べた結果、唯一フィンランド航空が見つかった。成田発ヘルシンキ経由のペテルブルク着の便だ。座席下にケースに入れておけば良いとのこと。一時帰国してこれらの準備を整えた嫁が、フクを連れて勇躍成田を出発したのが2010年1月の寒い。
 機内でのフクの様子はというと、旅客機の轟音に終始脅え、座席下に置いたケースから一歩も出ずに鳴き通した。そして殆ど飲まず食わずの状態。嫁が可哀そうに思い、ケースの蓋を開けて、顔だけ出し、頭を撫でてやろうとすると、乗務員が「それはダメだ」と言う。飛び出してきて機内を走り回るからだというのだが、フクはおとなしい子であり、そんな心配はないのに。
 途中、乗り継ぎのヘルシンキ空港で降り、トランジットルームで待機していたが、何かの手違いがあってか、次の便にフクを乗せることができないのではないか、と不安が募る。日本語のできる乗務員を見つけ、頼み込み、何とか乗せることができた。この間、乗務員とのやり取りを見ていた1人のロシア人旅行者が「このネコを捨てていけと言うのか!」と、助け舟を出してくれたという。ロシア人は個人的にいいヤツが多い。親日家も多い。
 拷問にも等しい20時間近い大旅行を終え、フクは極寒のサンクトペテルブルクに無事到着。市内のアパートに入ってフクが先ずやったことは、疲れを癒すのでも、エサを探るのでもない。部屋の探検である。居場所探し。これが動物の本能なのだ。それにしても2・5㌔のこの小動物の生命力は見上げたもの。難行苦行と思っているのは人間の方であり、動物にとっては日常のことかもしれない。
 我々夫婦は、初めてのロシア観光旅行という名目、実はフクに会いに行くため、ペテルブルクに一週間滞在した。フクの様子は日本にいる時とまったく変わりなかった。久しぶりに撫でてやっても、「あんただれ?」というふうに、知らんぷりしていたが・・・。

〈そして別れ〉
 1年3か月のロシア生活を終え、フクは2011年4月、二〇一一年4月、日本に帰ってきた。東日本大震災の翌月だった。往きの飛行機と同じく難行苦行のすえ。9歳になっていた。帰りの車の中ではいつも通り鳴いていた。乗り物の嫌いな子なのだ。足が地に着かないと落ち着かないのだろう。
 元々肝臓が悪く、決して丈夫な子でなかったが、ゴロゴロ、スリスリの日常は変わらず。その後息子夫婦に誕生した2人の子供にまとわりつかれながらも生きてきた。当然のことながら加齢による衰えは動作に現れていた。立って歩けなくなり、寝たきり状態になったのは11月の初めごろだった。動物病院で診てもらったが、寿命とあきらめるしかない。
 フクが死んだのは、孫たちの七五三の祝いを近くの神社ですませた1週間後のことだった。彼らの晴れ姿を見届けて天国に旅立ったのだろう。小さな骨壺に入れられ帰ってきたフクは今、安らかに眠っている。(了)

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