「こんな絵に」
Twitterで書くと少し長くなりそうなので、noteに投稿します。別にバズりたいとかそういうのも無いので。(バズったことねえだろお前)
今回の内容は「現代アート」についてです。
あっ、別に興味がないから読むのやーめよっ、なんて思っているそこのあなた!少しだけでも読んでください!別に今回の話は、がっつり現代アートのマニアに向けた話をするわけではなく、少し僕が疑問に思うことを語りたいだけなので、もっと言えば別に現代アートに限った話でもないので、よかったら最後まで読んでください。
元々僕は美術館とか行くのは好きだったのですが、現代アートと呼ばれるものが好きになったのは本当にここ最近です。だから知識が凄いあるわけではないですが、オークションに出品されているアートをネットで見たり、企画展があったら行ったりしています。
ちなみに今ツイッターのアイコンにしているのはRoy Lichtensteinというアーティストのもの、そしてこのnoteのアイコンはBruce Naumanというアーティストのネオンのアート。
さて、まずこの絵を見て下さい。
Joan Mitchell(ジョアン・ミッチェル)という抽象表現主義の女性アーティストの作品で、昨年のオークションで3億ほどで落札されました。
最近では元ZOZOTOWNの前澤さんが、アートコレクターとしてよくメディアに取り上げられていますよね。先日も、11月のサザビーズのオークションに参加する前澤さんを密着した番組が放送されていました。
しかし、一つ気になることが。
それは、タイトルにもなっている「こんな絵に」という表現。これは如何なものかと。
別に、先ほどの絵を見て良さを分かって欲しい、とかいう思いは無くて、(いや、分かってくれるに越したことはないけど強要はしないという意味で)落書きみたいな絵だな、という感想を持つのも自由だと思います。しかし、「こんな絵に」という表現はやめてほしいな、と感じるのです。
例えば「こんな絵に3億円」という表現。きっとこのような表現をする人は、「これに3億円つぎ込む人とは価値観が合わない」などと言うのでしょうが、別に3億円云々の話では無く、「こんな絵」と言われたアーティストの気持ちは考えたことはあるのか?と言いたい。
僕もこの分野においてはまだまだ素人ですし、先ほどの絵にしても、例えばジョアン・ミッチェルがどのような思い、意図で制作したのかは分かりかねませんが、決して芸術活動が否定されるとは思ってもいないはずです。(言い回しが難しいですが…)
そして、「こんな絵に」といった表現の後に続きがちな言葉に「こんなの自分でも描ける」というのも定番フレーズですよね。それを聞くと少し悲しくなるのは僕だけですか?
別にこれは現代アートに限った話ではなく、芸術的なこと全般に言えることだと思います。先ほどのような言い回しで制作活動自体を否定されるようなことを言われがちです。
また僕が言っているのは、「評価」とは違う話です。評価の良し悪しというのは、アートで言えば需要があったか、音楽で言えば売り上げやライブの動員など、割と目に見える形で表れると思っています。(違うかもしれない)
しかし今回の「こんな絵で」みたいな発言というのは、評価以前の問題。その人の生涯を否定するようなものだと思っています。
ただ芸術、とりわけ現代アートは取り扱いが難しい分野だと思います。
なにせ、それを見てどう受け取るか、という正解はないわけですし、一般的な商品とは違って原材料費や利益を考えて値段設定をしているわけでもありません。まだあまり世に出ていない、ギャラリーで売買されているような芸術家の作品でも、そのアートの価格は芸術家の言い値だと聞きます。また、数億円単位で売買されているアートでも、ここまで値段が上がってしまった原因は、オークションで買い手がどんどん値段を上げていったからであって、そのようなアート全てが正しい価格で取引されているのかも怪しい。まあ正しい価格なんてないんですけど、例えば20億で取引された作品でも、競争相手が違えば5億で落札されたかもしれない。とにかく難しいです。価値観が合わないのも無理はないと思います。(ちなみに下のリンク、アートとお金の関係性について述べた記事ですが、面白いので良かったら。)
http://www.tagboat.com/wp/アートとお金のはなし/
僕みたいな人間が言ったところで何も変わらないのは分かっていますが、いくら価値観が合わないからって「くだらない」だの「こんな絵にこんな大金を費やすのは馬鹿」だの言うのはやめませんか。芸術自体を否定するのはやめませんか。
という僕からのご提案でした。
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Christopher Wool/Untitled
Painted in 1990
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