怖い看護師 優しい看護師
娘が都内の某大学病院に入院し、簡単な手術をして昨日、退院しました。
受け入れから退院までとってもスムーズでとっても親切にして頂き、本当にいいところだなぁと思いました。
さて、どんな病院にも「怖いタイプのスタッフ」と「優しいタイプのスタッフ」がいるものですが、
皆さんが患者さんになった時、どんな対応を望まれるでしょうか。
まずは「怖いタイプの人」、「優しいタイプの人」というのはどういった言動の人を我々はイメージしているのかを考えてみることにしましょう。
怖いタイプの人(指示的)
○指示・命令する
〇上から大きな声でハキハキ話す
○早口で情報量が多い
○語尾が強い,言い切る
○選ばせる 選択肢を絞る
○より多く介入し行動を取らせるせる
○あえてノーペーシングの事もある
○笑顔はなくクール
○目線が強い
○スピーディ,時に急がせる
○ボディランゲージが大きい
○リアクションが大きい
○答えを与える
○エネルギッシュ
○プレッシャーを与える
○結果やゴールを意識させる
優しいタイプの人
○提示する
○横から静かに穏やかに話す
○ゆっくりでワンメッセージ
○語尾があいまいな事もある
○相手の選択・決定をまつ
○励ます,ねぎらう,勇気付ける
○ペーシング,うなずく,繰り返す
○おだやかな表情,笑顔がある
○まなざしが優しい
○十分な時間を与える 時に待つ
○ボディランゲージは小さく自然
○リアクションは小さめ
○選択肢を多く示し、決定を促す
○ナチュラル,おだやか
○プレッシャーを緩和する
○プロセスを意識、大切にさせる
こう見てみると、怖いタイプの人とは「指示的な言動を取る人」のことで、優しいタイプの人というのは「非指示的な言動」を取る人のようです。
つまり我々が怖いと感じる人は指示的で優しいと感じる人は非指示的だと言い換えることができそうです。
結論から言うと、今回の娘の入院では初日の受け入れで関わってくださった看護師さんの多くが「非指示的」で、
2日目の処置~退院で関わった下さった看護師さんは「指示的」でした。
先端恐怖症のある娘は、小学校の2年生の時からまともに採血や注射というものがやれません。
これまで注射ができたのは中学1年生で、ケガをしてどうしても皮膚の縫合が必要で麻酔をした時と、急性虫垂炎で緊急入院した時のたったの2回。
なので血液型も解りませんでした。一昨日も大人4人がかりでも採血すらできず・・・。
殴るは蹴るは、なんともまぁ、19歳とは思えない暴れよう。
それでも優しい師長さんが「注射って嫌だよね、怖いよね。わかるよ。看護師さんだって本当はそうしちゃいたいんだもん。でも患者さんにたくさんお注射やってるのにそんなこと言えないよな、って我慢してるだけだよ。」と、
「大人なのにこんなに暴れてごめんなさい。こんな人いないよね。恥かしいよね」と、大声で泣きわめく娘にこの上ない優しい声をかけてくれました。
生意気なことばかりいうくせに注射すらできずに暴れるわが子。なんだか情けなくて私も泣けてきました。
この日までに、親子でもできるだけ限りのことを試しました。
「東京メンタルケア」という市ヶ谷にある動的催眠をかけてくれるカウンセリングに毎日通ったり、精神科でデパスを処方してもらったり・・・。
親子でああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら臨んだ入院、採血だったのです。
だからなおさら、「やっぱり採血できないじゃん」と、2人で絶望してしまいました。
大人4人がかりでなだめて諭して説明して、1時間以上がんばりましたがやっぱり採血はできません。
優しい師長さんも「仕方ない。お手上げだ。じゃ、先生(Doctor)に頼もっか」と部屋を出て行ってしまいました。
私は心の中で「あぁ・・・。大学病院なんて若手のDoctorより件数こなしてる師長の方が注射は上手いはず・・・」と、希望を奪われた感じがしました。
代わりに採血に来てくれたのは優しそうだけど頼りなさそうなDoctor。
「この調子じゃ明日も点滴は無理だと思うので留置針にしますね」と静かに話し駆血。
「嫌だ~!怖い!やっぱ無理、無理!」と叫ぶ娘。もうこれまでかとあきらめかけた時、娘が「やっぱり右手は絶対無理だよ!!」と言うので
「じゃあ左だとできるの?」と聞くと「できるかも」と言うので
(そういえば緊急入院した時に点滴をしたのは左手でした)
藁にもすがる思いで、左手でチャレンジすることにしました。
娘 「ママ、手を握ってて。」いつになく素直です。
私 「できーるよ。できーるよ。あれ?ちょっとしか痛くない。」
幼児語で感情の言葉で催眠的に。
娘 「ん~」目を閉じて眉間にしわをよせ、ギュッと手を私の手を握ってくる
できた!!
なんと22Gの注射針を身体に入れることができました!!奇跡です
Doctorは一回目で血管には入らず皮膚の中で探っている(これは逆にかなり痛いよ。先生、いっそ別の血管にしてくれた方が・・・・せっかく入ったのに・・)
娘 「ママ、こんなに暴れてる娘なんてきらいでしょ?」泣く
私 「きらいな娘のために付き添うわけないでしょ。大好きだよ」
刺すこと5分・・・。先生、お願いしますよ。やっと針入れることができたんだから・・・成功体験にしてやって下さい!!(←心の叫び)
私 「やっぱり左手はできるんだ。すごいすごい。できちゃった。なんだかあんまり痛くないな。すごーいな。すごーいな。やっぱりすごーいな」
感情を込めて暗示的に
娘 「うーん。ママ、すごい?できてる?」
私 「うん。すごーいよ。できーるね。やったね」
Doctor・・・焦りながらもようやく血管に針が入りようやく採血できました。留置針を固定し、包帯を巻く
数年来の悩み事であった先端恐怖症を克服できた喜びを娘と一緒に分かち合いました。
Doctorの介助についてくれた看護師さんは非指示的な方でおだやかな話し方で「すごいね、できたね。がんばったね。」とねぎらってくれました。
娘も満足そうで少し自信に満ちた顔で安心して少し眠りました。
次の日はいよいよ手術。この日の看護師さんは昨日の看護師さんと違って指示的なタイプの方でした。付き添う家族とは眼も合わせず、
娘にだけ淡々と手術当日の流れを説明。ルートに点滴をつなごうと普通に左手に触ろうとすると、「やめて!」と娘が手を振り切りました。
先端恐怖症があるという申し送りがなかったのか、私が「先端恐怖症なんです」と言うと
「あ、そうなんですか。でも点滴しないとできないけどどうするの?」と娘に向かってクールに言うと
「優しくこっちに見せないで包帯とってください!」と娘が要求。
「じゃ、できるかぎりそうします」と、淡々と点滴をつないでくれました。
その看護師さんに聴くのが怖いのか、「ねぇ、薬っていつ飲めばいいの?」「ご飯って何時に食べていいの?」と私に聞いてくるので、
「それは看護師さんに自分で聞くことだよ」と言うと「ケチ!」といいながらしぶしぶ指示的ナースに質問していました。
抜針するときも「怖い!」と言って暴れようとしましたが、
指示的ナース 「じゃあ、このまま針を刺して帰るんですね」冷静に
娘 「それは嫌です。でも痛くなく抜いて下さい」
指示的ナース 「痛いかどうかはその人の感じ方なのでわかりません。できるだけ丁寧にはします」
娘 「お願いします」しかめっ面をしながらも無事抜針成功
その後も、終始クールで表情を変えずに淡々と退院指導まで関わってくれました。
たぶんこの時の看護師さんが非指示的だと娘はもっと甘えて抜針すらすぐにはできなかったと思います。
「抜針がすぐできた」ということは成功体験になりますから、
指示的に関わる事で「抜針に手間をとらなかった」という経験を娘ができたことはすごい進歩なのです。
では入院してすぐに指示的に関わられたら点滴ができたかと言えば、もっと怖がってできなかっただろうと思います。
実際にこの病院に受診する前は板橋のある病院にかかりましたが、
「採血すらできない患者さんはうちの病院では診れません」と、受診も紹介状をもらうことも拒否されました。
娘曰く、指示的なスタッフばかりで、看護師が外来の中で「あの子ってイカレてんじゃないの?」と言っているのが聞こえてきて
「きっとここの人は私のことを守ってはくれないし、採血もできない」と思ったそうです。
病院に受診したばかりの患者さんは疑心暗鬼になっていることもあります。
なので、病院にきたばかりといった時の受け入れは、やはり非指示的な関わりで患者さんに安心してもらうことが大切だと思います。
娘の入院という出来事で考えてきた「指示的な関わり」と「非指示的な関わり」ですが、
結論は
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