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永遠の片想いが1番美しい恋かもしれない

以下の文は私の書いた文ではない。だけれど、とてつもなく感銘を受けたので、ここに忘備録として残しておく。


恋におちることは、つまりいつかくる何年の何月かの何日に、自分が世界の半分を引きちぎられる苦痛にたたき込まれるという約束を与えられたことにほかならない。/中島らも「失恋について」

最近、女性週刊誌からの
取材記事のようなものが続いて、
「恋愛を成功させるキーワード」だの、
「男から見たいい女とは何か」
だののノウハウについて意見を聞かれた。
もちろんそんなことは知らないので、
嘘八百を並べ立ててその場を逃げたのだが、
そうしたやり取りの中で、僕が恋愛なんてものは
二度としたくない、まっぴらご免だ、と言うと
たいてい不審そうな顔をされる。
嘘をついていると思われるらしい―。
「おしゃれな恋がしてみたい!」みたいな
特集タイトルを目にしただけで、
僕はのど元までゲロがこみあげてきそうになる。
人のことだから別に放っておけばいいのであって、
「おしゃれな恋がしてみたい」人は勝手にすればいい。
「彼をドキッとさせる、いい女の演出法」
なんかも駆使なすって、飽きてきたら、
「お互いが傷つかないための別れのセリフ」
を使うといいだろう。ただし、
自分自身がこうした腐ったノウハウものに
加担することは極力避けることに決めた―。
出会うことが別れることの始まりであるのは
小学生でもわかることだ―。
恋におちることは、つまり
いつかくる何年の何月かの何日に
自分が世界の半分を引きちぎられる苦痛に
たたき込まれるという
約束を与えられたことにほかならない―。
もしできることなら脳のどこか、
恋愛をつかさどる中枢のどこかにメスを入れてでも、
痛みのない平穏な世界に逃れ、
不感無覚の微笑を浮かべたままで
暮らしたいと思っている。
しかし、神様が意地悪で
それを許してくれないならば、
せめて「得恋」ではなくて、
「永遠の片想い」に身を置きたい。
決してかなうことがない想いを抱いて、
恒久的に満たされることのない
魂を約束されているなら、それはそれで
ひとつの安定であり平穏である。
失うことの予感に恐れおののくこともない。
もともと失った状態が常の存在のありようであり、
哀しみが不変の感情のベースになる。
それは一種の「幸福」と呼んでさしつかえないかもしれない。
それが、「意に反して」得恋してしまったときに、
人間は「死」に一番近づいている。
想いのかなった至上の瞬間を
永遠に凍結させたいと願うからでもあり、
愛の最期の形として「死に別れ」を望むからでもある。
だから、同じ空の下に想う相手が
生きて住むことを幸せに感じ、
その人が住んでいる「世界」そのものを
愛おしむ気持ちでいられる、
片想いの状態にある人を見ると、
うらやましく思ったりする。

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