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大切な人が居なくなる前に大切な宝石を失くした

私には大切な友が居る。
友は9月には居なくなる。
その友は私が付けていたシルバーパールの一粒ネックレスをほめてくれた。
その人は言った「真珠なんて持ってない」。
そっか、私は海の近い場所に住んでいるから、真珠が安価に手に入る時があるが、その人は他の土地から移動して来たから真珠が高価なのだろう。
水族館で1000円台で手に入れたもの。
気取らない感じが好きだった。
思い出の品物だった。
人が褒めてくれた真珠。人が選んでくれた真珠。
なのに失くしてしまった。
不甲斐ない思いと一緒に溶けていった感覚は。
縁が切れるとかそんなジンクスなんかより。
人へ執着しないという自分の課題だった。
私はどこかへ行く時、あの人が行くからそこに行くとか、あの人と一緒だったら行動したいという仲間に対する同調圧力で行動する人間だったのかもしれない。
じゃあ、その人が居なくなった時、その孤独の行くべき場所はどこなのだろう。
きっと途方もない選択肢の中から選び出した答えは、とても褒められることのない大人へと成長するところに行き着くのだろうか。
孤独を愛しながらも、自分を愛し、広く人を愛する大人になれるだろうか。

大切な人との縁が切れるとか、そういうジンクスは置いておいて。

これは人に執着しないために自分が落とした願いなのかも知れない。

願いは叶うからきっと私の元から消えていった。

元々は縁が切れる時、宝石をなくすジンクスは、その人を忘れないでいながら、人に執着しないで行動する自分へ羽ばたく抜け殻に変わって行くだろうか。

物事が起こることに神がかり的な意味はほとんど無いんだと悟っては居たが。
私は何かに意味を見出すことが好きみたいで、運命とかそういうのが嫌いなくせに、自分の行きたい場所が分からなくって。

流れ星のように手元からすり抜けた宝石に願いを込めることが出来たのなら。
誰かが居るから行動できる自分ではなくて、誰だか分からない貴方を愛したいから行動できる自分になりたいと。
まぁ物って無くす時は無くすだけだしなと割り切りながらも。
何も分からない深海を愛するように。
失くした意味に願いをこめる必要がなくなる世界を愛する時が来ることを確信しているのだろうと。
まだ会っても居ない貴方を愛するために、孤独を愛し続けられますようにと願いながら。
もう会えた貴方へのお別れを悲しめることが出来る強さを。
祈ることを辞めないだろう。

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