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好きだった女が死んで四年経つ
好きな女が死んで四年(と少し)経つ。一番好きな顔の人だった。私と彼女は会ったことがない。私たちが会えるのは画面を介してだけだった。
彼女の職業は俳優だ。けれど出演作はそれほど知らない。ただ、演じた役はどれも好きだった。
主人公に殺人を教えた役。初めて見た時の衝撃は大きかった。ばんと押し出された青色のノースリーブに、服と合わせた青目のカラコンが光っている。主人公の相棒を監禁して自分を殺させようとする人間だった気がする。記憶が正しかったら、相棒の手を組んだ手錠の鍵を飲み込んでしまったのではなかったか。物語の最後、彼女は主人公に抱きしめられる。感動的な場面ではあるが、取り乱した彼女は警察官に連れていかれる。その背を抱きしめたくてたまらない時がある。四年経った今急にだ。
次に出会ったのはまた違う刑事ものだった。簡単に言ってしまえば事件の犯人だった。その事件の内容は詳しく覚えていないが、ピンクと水色の液体を合わせて大爆発を起こそうとしていた。私と彼女の出会いで出演作を追うこと以外の記憶は、この作品を早く見たくて課題を終わらせたことと、亡くなった時のニュースだけだ。ずっとあの時に抱えた好きだという気持ちを抱えている。そうしないと取りこぼしてしまうから。結局殺人は成功しない。泣いていた気がする彼女の顔を、私は上手く思い出せない。
一番好きな役をあげるならこの人なのかな、という心当たりがある人がいる。その痩躯をこれでもかと生かした役で、どこまでもかっこいい女だった。異常に耳が良くて、どことなくお姉さん味があると評していいのか、すごくタイプだった。私と彼女は同性だが、彼女は自分の性質上同性と付き合っていた時期がある。処女であると宣言するシーンもあり、私には何か一種神聖なものに見えていた。閉所恐怖症という通り、彼女の服はいつも軽やかだ。赤いワンピースだけすごく覚えている。三周しておいてこれなのだから私は何を見ていたんだろう。私の夢女願望は特殊らしいので、実生活の伴わない付き合って欲しいという感情をひたすらに向けていた。
彼女の呼び名にもなっている姫という役は、この中でも異質さで群を抜いている。顔は彼女のままで男の人の声がするのだ。姿かたちが何度も変わるのも高ポイントである。毎話倒される敵の形をしており、その衣装のパターンは十五種類を優に越している。私は衣装だけで言えばバケガニとオオナマズ、キャラクターとしては三十二話辺りから出てくるスーパー姫が好みだった。巻いた服がリボンみたいでかわいいバケガニと、ノースリーブにベールを被ったオオナマズ。バケガニに関しては写経の真似事をした記憶がある。スーパー姫は烏帽子を被った以外顔や見た目はそのままに、中身が幼い構造だ。五歳ほどの無邪気な姿が、劇的なスピードで進化していってしまう過程も見ていて気持ちがいい。最終話、残っていた姫と童子は死んでしまうのだが、一風変わった洋風の女が登場する。ピンクのドレスを着ている姫は、和装とはまた違った良さがありかわいらしい。特に二十周年が作られていないあたり、人気がなかったのか、姫への配慮なのかどちらにしろ少し寂しいなと思う。
自分の好きだという気持ちに自信が持てないのは、出演作をそれほど見ていないことだけではない。四年経って声すら覚えていないことが恐ろしいのも、素の彼女をよく知らないことも、まだ彼女のご冥福を祈れないこともその全部全部が怖い。好きだったと言える資格がない気がするのもそうだった。私は姫がいなくなった世界で生きていられる。生きていかなくちゃならない。ただそれが私には恐ろしい。私が生きていて、彼女が死んでいる世界が存在していいのだろうか。
彼女のどこに最初惹かれたのだろうと考える時がある。私はほんの少し離れた目をした女性が好きだ。だからそのお顔なのだろうなと推理してみる。顔がどこまでをさすのかわからないが、そのV字になった彼女のアイデンティティのような髪の毛も、私は大好きだった(だったという言葉を使うのも正直恐ろしい)。歯茎まで見えてしまうようないーっと擬音がつきそうな笑顔が好きだ。
私は彼女と違って生きている。形を持っている。生活をしている。だけど姫はこの世に形がない。祖母のお墓参りを済ませた今日は、そうまざまざと見せつけられたような日だった。葬式にもお墓にも行けない関係の遠さに私は安心しているし、同時に酷く落胆しているのだろう。昔の文豪の言葉を借りるなら血を浴びせて欲しいになるのだろうか。だけどそれはあなたのことを知らないと宣言するのと同じだ。それってすごく怖いことだ。私にはどうすることもできない。涙を落とすことしか、忘れないことしかできることなんてないのに。
今の私は星のついた芸名も、彩りの入った本名も、どっちも愛おしいなと思える。気付くのが随分遅くなってしまった。
姫のどこが好きかと聞かれたら、私は何と答えるだろうか。どこを挙げるのだって私は酷く時間がかかると思う。そうじゃないなら、こんなに自分の好きで悩まない。好きな気持ちに自信がないと泣き出さない。だけど、涙が出るなら自分は彼女を愛しているのだと自分を慰めた日はあった。自分自身をひっぱたいてやるべきかもしれない。
私はどこまで行っても人が死ぬということがわかっていないのだなぁと思う。息をしなくなって、人の形をなくす。もう二度と会えなくなる。まだ祖母が亡くなったことに慣れない私には少し早すぎるのかもしれない。
先日、ずっと待ちわびていた作品の配信が始まったと知った。もう円盤を買うことでしか出会えないと思っていた作品で、けれど買うのも怖かったものだ。自分の趣味や好みにわかりやすいくらい深く関わっているからこそ、ずっと踏ん切りがつかなかった。こういう時好きなものにすっと手を伸ばすのが私は苦手だ。記憶通りの鮮明な青さより、その演技の形容の難しい軽やかさや少女感を感じながら、「早く(私を)殺せ」と囁く彼女を見つめた。間違いなく好きなものだった。ずっと好きだった気持ちが溢れ出してしまったくせに私は泣けなかった。泣きたかったのかなと思ったりもする。私にとって涙は愛の側面を持っているから。
初登場シーンの「久しぶり」という響きがあまりにもかわいくてどうしようかと思った。そりゃあの頃の私は一目惚れもするかと変に納得するほどの麗しさだった。一目惚れという表現をしていいのかわからないが、その表情や姿かたちに目を奪われた事実を私は信じたい。
彼女の言うセリフはほとんど自然なのだが、いくつかかわいらしくて頭に残るものがあって、挙げてみると「久しぶり」「もうてっきり父親のこと殺したんだと思ってた〜」「お別れだね」の三つになるかなと思う。緩急のつけ方というか、声の高さやトーンというか、上手く説明できないけれどたまらなく好きだ。
主人公と対峙して言う「心のないあんたのことは嫌いじゃないから殺されてあげたくなったの」という響き、すっごく透き通っていて綺麗だなと思う。美味しい役と言ってしまえば簡単だが、間違いなくカタルシスのあるキャラクターだ。抱きしめられたあとの目元の移り変わりが儚くてたまらない。この人に触れたいなと私は思ってしまう。
"誰よりも透明"な主人公に、人殺しの自分と同じところに来て欲しいって形をした愛って、きっとある。自分を殺すのはあなたがいいと託してるようでいて、本当は試しているのも心のゆらぎみたいなものがある気がしてすっごく生を感じる。虐げられてきた彼女の人生を、ほんの少しでも理解したいと思うのは私だけだろうか。お前は存在しない人間に入れ込みすぎると言われ続けて勘づいてきたけど、私はキャラクターを身近に感じすぎるところがある。適度に苦しんで、程々にキャラクターを愛していきたい。
去年のちょうど今頃、私はある俳優さんに出会って、貪り尽くすように出演作を追った。概ね三ヶ月で五十作は超えたと思う。サブスクにいくつ登録したか分からない。その熱量を彼女に向けていいものか、まだ私は掴みあぐねている。それほど出演作を見ていないと好きだと言える自信がなくなってしまったこと、去年一番の罪かもしれない。
だから結局私は胸を張って好きだと言える自信が欲しくて、それでいて触れていなくても立っていられるようになりたいのだと思う。だから出演作に触れたいし、泣かずに生きていけるようになりたい。いつか自己矛盾すら愛せるようになるのだろうか。愛しているときちんと声にできるようになりたい。たくさんあなたのことが知りたい。