21.<代わりの一粒>と、夜中の大発作。そして、描いていた朝は、来なかった。

また明日。

前回のnoteは、そう書いて終わったのに、
書けませんでした。

忙しかった理由はいくつもあげられますが、

本当の理由は、
あの場面をまざまざと思い出していて
まだ消化できなかったのだろうと、自分では感じています

お待たせしました。
待っていてくださって、読んでくださって、ありがとうございます。

7年ぶりのアマミ舞(あわの歌)との不思議な再会。
そして、その翌々日。
インフルエンザB型が流行中の中、
次男が発熱します。

前回は、ここまで綴りました。

まるで、ガランガランと、
約束の鐘の音が響きわたるようなお知らせ。

宇宙ってすごいですね。
私が、どうしてもスルーできないメッセージを
絶妙なタイミングで目の前に見せてくれました。

2018年1月25日木曜に、アマミ舞、あわの歌の練習会に参加し、

そして、その翌日の金曜日。
当時、長男が大好きだった、アイススケート。
次男も一緒に、放課後、楽しみます。

2018年1月27日土曜の明け方のこと。
一緒に寝ている次男がやけに熱く感じて
額や体に手を当てました。

息遣いも荒い。熱い。

インフルきたな。。。

風邪の効用、インフルエンザは身体の大掃除。
高熱がだせる身体は、元気な証拠。

我が家は、なるべく自然なお手当で、のりこえるようにと、
ホメオパシーや、精油や、テルミーや、食養、、、
様々な叡智を教えていただき、実践していました。

今度の発熱も、おそらくインフルエンザも、そうしようと思いました。
そうできると思っていました。

明け方の、まだ薄暗がりの中で、
お手当キットを開け、
いつも発熱時にまず最初に摂る一粒を探しました。

あれ。。。おかしいな。
切らしていたかしら。。。

いつも発熱した時に最初に舐めるものが見つからなかったのです。

私は、代わりに長男が発熱時によく使うもの、
長男にはよく効く一粒を手にしました。

次男に使うのは、おそらく初めてのこと。

小瓶から一粒を開けた蓋の中に入れ、



そして発熱している次男の口に。


私が、<その一粒>を入れました。



いつものお手当。
長男が生まれてすぐに教えてもらったお手当。
本は、すり切れるほど読み、
その頃には、大概のお手当は、本は必要なく
頭に入っていました。

ただ、その<代わりの一粒>を選び、
蓋をとり、
次男の口に入れる時、

謂れのない胸騒ぎが全身を包んだことを
昨日のことのように覚えています。

そのざわつきを感じながら、

私は、次男の口に
<代わりの一粒>を入れたのです。

そして、お日様が出てくるのを待って、
かかりつけのお医者様に診ていただくために車で出かけました。

心から信頼している、子どもたちも大好きな先生。

先生に、発熱までの経緯を説明していて、
明け方に摂った一粒の名前を言ったとき

一瞬、先生の手が止まったように感じたのは
気のせいではなかったこと。

その事情は随分あとになって分かります。


いつものように、心穏やかになる先生の診察が終わり、

先生が診察し、処方してくださったものをいただいて、帰路に。


次男は、布団で休み、ぐっすり眠りました。

確か、日中は37度台まで下がったように記憶しています。

翌日、日曜日も、順調にインフルエンザの症状を出し、
上手に通過しているように感じていました。

前日の土曜午前中に受診していて、よかったとほっとしていました。



そして、

2018年1月28日 22時30分ごろ。

私は、まだ身体の熱い次男のそばで休みながら
いつの間にかウトウトしていたのだと思います。

微かに、聞きなれない声がして
ハッと目が覚めました。

目の前で、
次男が痙攣発作を起こしていました。



あの秋分の日の大発作と同じだ。
咄嗟に、次男の名を呼びました。



心臓が飛び出すかと思うほど、ドキドキしながら
時間を確認
呼吸を確認
意識を確認
全身状態を確認。


引くような声を断続的にあげる
眼球が四角に動く
手を身体に引き寄せる
右手をブンブン振る
泣き声を上げて、身体を右に倒し、再び、戻る。
呼びかけに全く反応しない。

それが、10分ぐらい続き、
そしてこんこんと眠りました。


どうしよう。。。どうしよう。。。

発作だ。

あの、9月の秋分の日に起きた、大きな痙攣発作と同じだ。

救急車を呼ぼうか。

どうしよう。どうしよう。


そして、私は、眠っている次男の呼吸を確かめながら、
朝を待つことにしました。


9月の大発作の時も、今回も、なぜ救急車を呼ばないか。
きっと疑問に思う方もいると思います。

私も、勤めている園で起きていることであれば、迷わず救急車を呼びました。

でも、呼ばなかった。


それは過去の体験から、躊躇したのだと思います。


長男が幼い時に熱性痙攣を起こし、慌てて救急車を呼んだことがありました。

救急隊員が駆けつけてくださった時には、長男の発作はおさまり、
意識も戻り、応答もしっかりし、
それでも病院に運んでくださったという過去の体験がありました。
救急病院のベッドの上で、熱はあるけれど、比較的元気な長男を見つめ、
ほっとしながらも、
次々と緊急の患者さんが運ばれてくる病院の雰囲気。
お医者さんや看護師さんが深夜の間、忙しく診療されている様子に、
なんだか申し訳ないような思いを抱いたことをよく覚えています。


今回、次男の発作を、様子をみることを選択したのは、
その過去の体験と、そして、
朝になれば、かかりつけのお医者さまに診てもらえると考えたこともあるのだと思います。

朝になれば

おひさまが出れば、月曜日。

かかりつけのお医者さまのもとへ行かれる。

私は祈るような気持ちで、次男を見つめていました。


そのまま、次男は眠りにつき、私は、
次男の様子がもっとよく見えるようにと、
ダウンライトを部屋の隅に置き、
再び、ウトウトしていました。


2018年1月29日(月)午前0時10分。


引くような次男の声に飛び起きます。


再び、大きな発作でした。

目が合わず、呼応なし。

もう、これ以上、待てない。

朝を、
月曜の朝を、待つわけには行かない。

救急車を呼ぶか、自分で連れて行くか。

迷った末に、
少し呼びかけに反応をした次男を毛布で包み、
車に乗せます。

別室で眠っていた夫に声をかけ、
何も知らずにぐっすり眠っている長男を確認し、

私は、次男を助手席に乗せ、
1人で、近くの救急病院に連れて行くことにしました。



そして朝が来ても、かかりつけの病院へ行くどころか、
このまま、彼がしばらくこの家に戻れなくなるとは、
このとき考えもつきませんでした。





いつも読んでくださり、ありがとうございます。
とても励みになります

愛しい日々を。

また綴ります。

咲多美唯喜


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