爆 破 事 件【ウマヅラビデオ】
謎のウルトラ山田爆破事件: 昭和の都市伝説
ウルトラ山田事件は、山陽鉄道爆破事件、日曜連続爆破事件とも呼ばれ、日本の昭和時代に発生した連続爆破事件である。
この都市伝説は、いまだ謎に包まれ、多くの疑問が残されている。
最初の事件は1974年3月17日午後11時30分頃、大阪の近鉄百貨店阿倍野店で発生した。7階の子供服売り場に爆発物が仕掛けられ、それが爆発してパニックと混乱を招いた。
幸いなことに、爆発の威力は弱く、その場にいたお客様や店員に怪我をさせるようなことはありませんでした。
現場検証の結果、同年2月18日に大阪の近鉄上本町駅で発生した恐喝未遂・爆破事件で逮捕された千葉兄弟の釈放を要求する脅迫状が発見されました。
手紙には、要求が通らなければ、今後も近鉄百貨店や電車を狙うと警告している。手紙には、”ウルトラ山田 “の署名があった。
“ウルトラ山田 “の名は、1967年の神戸大丸デパート爆破事件に関連して初めて登場した。
近鉄百貨店爆破事件当時、神戸大丸デパート爆破事件の犯人はまだ逮捕されていなかった。
そのため、警察は、これらの事件が関連しているのではないか、あるいは千葉兄弟と関係のある人物が関与しているのではないかと考えた。
4月14日、天王寺駅構内のトイレで、またもや爆破事件が発生した。
幸いにもこの事件でも負傷者は出なかった。
しかし、この事件で疑問はさらに深まり、有力な手がかりも得られず、事件はさらに難航することになった。
1974年9月、13歳の少年(通称:少年A)が、自宅敷地内に侵入した不審者を逮捕し、警察署に連行したことから、事件は思わぬ方向へ展開した。
天王寺駅の爆弾から検出された指紋が少年Aのものと一致したため、少年Aは逮捕された。
捜査の結果、少年Aは爆弾製造の愛好家で、事件で使用した爆薬の製造方法を独学で学んでいたことが判明した。
少年Aは、母親と祖母の3人家族で暮らしていた。
小学生の頃から新聞配達のアルバイトをして、家計を支えていた。
年齢が上がるにつれ、不登校になり、アルバイトと危険な趣味である爆弾作りに没頭するようになった。
ウルトラ山田事件の脅迫状には、強い表現もあるが誤字脱字も多く、警察は当初、少年Aの教養のなさが原因であるとした。
しかし、その後、母親が代筆していたことが判明した。
母親は、家族を養うことに精一杯で、息子が爆弾テロに関与していることも、爆弾製造の趣味を持っていることも知らなかったのだ。
ここで重要なことは、少年Aは神戸大丸デパート爆破事件当時まだ6歳であり、本来の “ウルトラ山田 “ではなかったということである。
彼はその名前を採用したに過ぎない。また、千葉兄弟との関係もない。
少年Aについては、新事実が判明したとはいえ、証言に矛盾があり、爆破事件の真の動機を隠すための捏造ではないかとの見方もあった。
現在でもウルトラ山田事件は謎のまま、昭和の都市伝説の謎に包まれたままである。
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