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[天香久山+手向山八幡宮+大避神社+八百富神社+大兵主神社+垂仁天皇陵と田道間守] 万物流転のエネルギー

エネルギーが上がってくると,、自分が必要なモノコトに引き寄せられていくと同時に、自分へ引き寄せてくることが起こります。例えば、ある事を調べていると、それが思いもよらないことにつながったり、或いは、考えもしなかったようなことを学んだりと、三次元の世界では時間がかかるようなことが一気に起こってきます。このように一気に起こってくることを受け止めるには、それを受けるためのキャパシティーが必要となり、そのためには更にエネルギーを上げていく必要があります。

高次元へエネルギーをあげるには、時間が問題ではなく、自分の意識を今、起こっていることに合わせることから始まり、エネルギーが上がっていくと、物事も動き始めるため、高次元へ魂が上がっていると自覚できるようになります。そうすると今まで気が付かなかったようなモノやコトに引き寄せられるようになり、エネルギーを吸収する幅も増し、万物が流転しながらエネルギーを放出していることもわかるようになります。今回はそういった太古の昔より脈々と流れ続けるエネルギーをご紹介したいと思います。


天香久山(あまのかぐやま)ー 奈良県橿原市

神代の頃、神々が住むという高天原に天香久山は存在したという謂れや、天の岩戸に隠れてしまった天照大神に出てきてもらうために使われた鹿の骨や天の波波架(ははか)の木という祭具は天香久山から調達された等、太古の昔より天香久山は特別な山であったことが分かる。
神武東征の条では天香久山の土を使って戦勝祈願の祭祀を行い、抵抗勢力となっていた豪族たちを滅ぼしたとされ、古代から「天」という尊称が付くほど神聖視されていた山である。畝傍山と耳成山とともに大和三山と呼ばれる。

畝傍山(左手前)、葛城山(左奥)、二上山(右2つの峰)

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天香久山が他の山と異なる点は、天と地のエネルギーが常に循環している場所であることです。アリゾナのヴォルテックスのような力強いエネルギーではなく、むしろ穏やかで、隠れるようにエネルギーが存在してます。
私たちの祖先はその大地と宇宙のエネルギーの繋がりをわかっていたのか、特に、持統や文武天皇にいたっては天香久山をはじめ、神武天皇のお膝元である畝傍山、そして耳成山の三角形の内側に藤原宮という日本初の都を造っており、最大限にその力を活用しています。

藤原京と大和三山
国常立神社
伊弉諾神社
伊弉冉神社
天香山坐櫛真命神社
御祭神 櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)は占いの神様

自分のエネルギーが高くなるにつれ、今まで気が付かなかったような穏やかで、隠れているようなエネルギーが無性に気になりはじめます。なぜか気になる、よく見かける・目につく・よく聞くといったキーワードが降りてきている方は是非、その場所やそのキーワードにまつわることを行動に起こしてください。必ず、進むべき道や情報が目の前に現れます。


手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)ー 奈良県奈良市

東大寺創建時、その守護神として大分の宇佐神宮からご分神を勧請された神社である。宇佐神宮には八幡神である応神天皇が祀られており、手向山八幡宮も同様に、応神、姫大神、そして応神の父となる仲哀天皇と母 神功皇后、そして息子である仁徳天皇の一世帯が祀られている。

手向山八幡宮 本殿
手向山八幡宮

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神社には神馬(しんめ)という神様に奉納される馬があり、手向山八幡宮には応神が寵愛した「あつふさ」という黒馬を立絵馬として奉納されたことが立絵馬の始まりとされています。

立絵馬

黒馬は雨ごいとして雨が欲しい時に、白馬は雨が止んでほしい時に神様へ奉納され、馬は神様の乗り物だけではなく、私たちの願いを神様へ届けてくれるメッセンジャーのようです。
神様からのメッセージを届けてくれる眷属もいれば、神様へ私たちのメッセージを届けてくれる眷属もいて、眷属の存在の大きさそして、ありがたみが分かります。神社には木馬を神馬として納められていることが多く、神馬木馬を見つけられた方は是非、神馬へ労いの言葉とお礼を捧げてください。心待ちにしているモノコトから近々、メッセージが届くかもしれません。


大避神社(おおさけじんじゃ)ー 兵庫県赤穂市

弥勒菩薩半跏思惟像で知られる広隆寺を建立した秦河勝(はたかわかつ)を祀る神社である。秦氏といえば、秦始皇帝の子孫となる弓月君(ゆづきのきみ)が大勢の人々を率いて朝鮮半島から渡来したことに始まるとされており、京都の太秦一体に強い地盤を築いた氏族と言われている。

大避神社
大避神社 本殿
猿楽・能楽の始祖 秦河勝
猿楽・能楽の始祖 秦河勝
秦河勝が眠るとされている生島(いきしま)

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広隆寺をはじめ、太秦の大酒神社や木嶋坐天照御魂神社 蚕の社伏見稲荷大社といった日本の礎を創造した功労者の一人であるにもかかわらず、なかなか前にでてこない隠れた存在が秦氏です。こういった隠れた存在は決して消えることなく、今ではその出自が、古代イスラエルの失われた十支族の末裔ではないかという話もあるぐらいです。この前に出すぎることのない静寂なエネルギーこそが日本の根幹を今も動かしていており、なぜか海外からも多くの人々が訪れる場所となっていることが面白いなと思います。


八百富神社(やおとみじんじゃ)ー 愛知県蒲郡市

三河守となった藤原俊成が滋賀県近江に浮かぶ竹生島によく似ているということから、竹島に竹生島弁才天を勧請され、宗像三女伸である市杵島姫命を祀ったと言われている。

竹島 参道橋
宇賀神社
竜神岬
島肌にある眼

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日本三大弁財天といえば竹生島、厳島、そして江の島ですが、愛知県三河湾にある竹島も隠れるようにしてその姿はたたずんでいます。この島のエネルギーはどちらかというと受け身であり、訪れる人々を待っている状態です。特に竜神岬からの遊歩道には精霊が住んでおり、島肌にある岩にその精霊たちの眼を見つけることができます。竹島を訪れる機会がありましたら是非、遊歩道にいる竹島の精霊たちへご挨拶をしていただけるとうれしいです。



大兵主神社・穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)ー 奈良県桜井市

崇神天皇の皇女である倭姫命が天皇の御前の守護神として穴師兵主明神を祀ったことに始まるとされる。記紀神話によると、崇神の子である垂仁天皇が不老不死の霊薬を探し求めて、田道間守(たじまもり)を常世の国へ派遣するが、10年の時を経て持ち帰ったのが非時香菓(ときじくのかくのみ)であり、その種を最初に植えたのがこの土地である。非時香菓とは宮殿にある「右近の橘」に「左近の桜」として知られる橘(たちばな)である。

大兵主神社
本殿 若御魂神社(右)、兵主神社(中央)、大兵主神社(左)

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先日、垂仁天皇陵を訪ねてみたところ、まさに田道間守は垂仁天皇に寄り添うように御陵の内で眠っていました。

垂仁天皇陵の右に浮かぶ小島が田道間守の墓
垂仁天皇陵の右に浮かぶ小島が田道間守の墓

田道間守が不老不死の実を持ち帰った時には時遅く、垂仁天皇はその前の年に崩御されていました。田道間守は嘆き悲しみ、常世の国から持ち帰った非時香菓を垂仁天皇の御陵に捧げ、哀しみのあまり息絶えたと言われています。

垂仁天皇陵
「右近の橘」 垂仁天皇陵から見て右には橘
「左近の桜」 垂仁天皇陵から見て左には桜

そんな田道間守の墓からはとてもシアワセな、あたたかいエネルギーが流れており、それは常に垂仁天皇の傍にいるからかもしれません。そして大兵主神社の周囲には広大なみかん畑が広がっており、田道間守が常世の国から持ち帰った非時香菓は後世の私たちに受け継がれており、まさに不老不死です。

垂仁天皇陵を参った後、足元から「これ!」と出てきた半透明の小石を見つけました。拾い上げて出入口へ向かったところ、参道の石肌によく似た模様があり、「蝶々の幼虫みたい」と思った途端、はっと気が付くことがありました。

蝶は幼虫からサナギ、そして成虫へと成長する過程の中で、全く異なる姿形へ変化するため、輪廻転生や再生、ひいては長寿を象徴すると言われています。田道間守が持ち帰った非時香菓は不老不死という長寿の実であり、垂仁天皇へ手渡すことができませんでしたが、その実は私たちに輪廻転生という再生の道を与えてくださったようです。
ここ数年間、様々な変化を経験してきましたが、幼虫石からのキーワードは再生のようです。今までやってきたことを同じようにやるのではなく、テコの原理を活用してさらなる進化を遂げるようにと、幼虫石が伝えているかのようでした。
神様は常に私たちへ語りかけてくださっており、そしてそのメッセージは様々な表現方法で現れてきます。自分のエネルギーが高くなるにつれ、今まで気が付かなかったようなメッセージにも気が付くようになり、そのメッセージに反応できるようになれば、更に私たちの魂は高次元へ上がっていきます。


私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。

今を大切にお過ごしください。



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