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[國津神社+多坐弥志理都比古神社+鏡作坐天照御魂神社] 今も昔も変わらない太陽の道とそのエネルギー

太陽の道には今も昔も変わりなく、多くの陽のエネルギーが降り注いでおり、未だにその道の上に立つと、古代人が得ていたエネルギーを体得できます。都市開発が進みゆく最中、昔の社や古代道が移設されているケースもありますが、天から降り注ぐ光は今も昔も同じです。

先日、八つ岩を訪れましたが、とても人の気配がない山奥とも思えないぐらいに、山道は整備されており、また八つ岩も人が気持ちよく参拝できるように清掃されていました。

モノゴトが発達していく中で形が変わっていくことは往々にして起こりうることであり、その変わっていく過程で、壊して変えているのか、或いは形を踏襲しながら変化していくかで、随分とそのエネルギーの伝わり方が変わります。

私たちは私たちの魂を成長させるために輪廻転生を繰り返しており、変化を拒む・恐れているようでは永遠に転生は繰り返されます。輪廻転生から解放され、光の世界へ魂を昇華させるには、不安や恐怖心、そして三毒という感情を自分の魂から分離する必要があります。

不安や恐怖心、そして三毒を分離をさせるにはそういった感情を自分から手放す、或いは自分には不要なもの・関係のないものとして捨ててしまうことです。ちなみに三毒という欲望・怒り・愚痴は私たち自身から創出されるものですが、不安や恐怖心というものは他者からあおられて、植え付けられる感情です。そう考えると、三毒は自分をコントロールすることで克服でき、また不安や恐怖心はその感情が入る隙間を他人に与えず、或いは、自分には関係ないと、あおられる感情を分離してしまうことで克服が出来ます。

感情の分離が始まると、自分自身が自分を高見から眺めている、つまり俯瞰するように自分の行いが見え始め、また他人の行為・言動に対しても直接的に受け取るのではなく、なぜそういった行為・言動になったかを、客観的に洞察するようになります。そうなってくると、日々に起こる変化も、常に自分にとってメリットのあることだけを吸収するようになり、不要なものは捨ててしまう、つまり分離をしていくようになります。そしてこの分離が作用し始めると同時に、魂が一つ上の次元へ上昇しています。

こういった気づきや変化を与えてくださるのが、今も昔も変わらない神様の存在であり、眷属さんであり、精霊さんたちです。

気が滅入っている時や気落ちをしている日には是非、ご近所の氏神様をお参りください。私たちが引っ張られている三毒の感情や、あおられている感情を穢れとして祓い除け、そしてそういった感情を分離する勇気をくださいます。神様は私たちを成長させるために存在しており、常に私たちが成長できるように眷属であったり精霊さんを派遣してくださいます。他方、「助けてほしい!」と神様にお願いするのではなく、むしろ穢れを祓い清めてくださるのが神様であることを思い出していただければ幸いです。



國津神社(くにつじんじゃ) ー 奈良県桜井市

天照大神と素戔嗚尊との間で行われた誓約より、素戔嗚尊が天照大神の勾玉をかみ砕いたところ、その勾玉から御子男神 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほのみみのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、そして熊野樟日命(くまのくすひのみこと)が生まれたとされ、その五柱が祀られている。

国津神社
国津神社 拝殿
国津神社 本殿
金毘羅大権現

纏向川をはさんでその下流には九日神社(國津神社)が鎮座しており、上述の誓約で、天照大神が素盞鳴尊の剣をかみ砕いた際に生まれた宗像三女神 多紀理毘売命(たきりびめ)、狭依毘売(さよりびめ)、多岐都比売命(たぎつひめ)が祀られている。

九日神社 本殿
九日神社 拝殿
陽石(左)
陰石(右)


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記紀神話に登場する天の安の河を纏向川になぞらえて二つの國津神社が創建されたのかと思うと、そういった叡智を持っていた私たちの祖先に感動します。

そして國津神社に祀られている神々はまるで村の鎮守であり、神社が特別な神域というよりかはむしろ生活の一部として村に溶け込んでいます。そのためか境内に入ると祖父母の家に遊びに来たような懐かしさがあり、摂社に至っては自分のご先祖様が眠っているような特別なエネルギーを感じます。

摂社 不明

摂社に誰が祀られているかといった明文化はされていませんが、その存在感より5柱の祖神である素盞鳴尊が祀られている気がします。そしてこの土地を永遠を見守り続けているようです。

神社までの道は細く狭くうねりがあるため、かなり躊躇をして村に入ってきましたが、神社の前に入ると、パッと目の前が明るくなるような広大さと吹き抜けのように縦に抜ける自由な空間があるため、先述の通り神社だけが神域ではなく、このエリアの全体が神に見守られているエリアだと言えます。



多坐弥志理都比古神社(おおにいますみしりつひこじんじゃ) ー 奈良県磯城郡田原本町多

御祭神には初代天皇 神武をはじめ、その息子たちである神八井耳命(かむやいみみのみこと)と神淳名川耳命(かんぬなかわみみのすめらみこと、第2代 綏靖天皇)そして、神武の祖母 姫御神(玉依姫命)の四柱を祀り、創建当初は神八井耳命を主祭神に祀っていたとされる。

多坐弥志理都比古神社

社名より、多という土地に志理都比古命を祀ったという意味があり、また神八井耳命の別名を志理都比古命ということから、略して多神社とも言われる。

神八井耳命は古代豪族 多氏の祖神として崇拝されており、古事記を編纂した太安万侶は第15代目 多氏の出自を持ち、「多」が後に「太」に変換されたとされ、本神社に合祀されている。

多坐弥志理都比古神社 拝殿


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今でも境内に入ると驚くほどに太陽を遮る建物や木木、電柱の1本も見つかりません。本殿の裏手には神武塚という古代祭祀が行われてきた場所も発見されており、境内はまさにレイライン上、すなわち太陽が通る道の上にあります。

神八井耳命と言えば「我、天神地祇を祀る」と神様に一生をささげた命ですが、その命が選んだ土地の上に立ち、そしてその命が日々、拝んでいただろう三輪山から昇る朝日や二上山へ沈む夕日を、同じように遥拝することが出来ることに感動しました。

そして今もその際氏場所がこの地に残されていることに感謝しました。


鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにいますあまてらすみたまじんじゃ) ー 奈良県磯城郡田原本町

天孫降臨をした瓊瓊杵尊に天照大神が、鏡を天照大神だと思い祀りなさいと授けたことから鏡と天皇は共に同じ屋根の下に住んできたが、第10代 崇神天皇の御代、宮中にて天照大神を祀ることは畏れ多いとして、笠縫邑の地に遷座したため、別の鏡を作って天照大神の御魂として祀るようになった。

鏡作坐天照御魂神社 境内
鏡作坐天照御魂神社 拝殿

その際に試作で作られた鏡を天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)として祀り、また鏡作連の遠祖である天糠⼾命(あまのぬかとのみこと)とその御子神 ⽯凝姥命(いしこりどめのみこと)の3柱を合わせて、鏡作三所大明神として尊崇する。

鏡作坐天照御魂神社 本殿
鏡作坐天照御魂神社 本殿
鏡池と鏡石
鏡制作の際にこの池の水を使って鏡を作り、また祓い清めていたとされる池
古代の鏡制作にて、鏡面の研磨工程の際に使用された石用具
鏡作坐若宮神社


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本殿にて祝詞を奏上した後、右の方から声がかかったため近づいてみると、鏡作坐若宮神社があり、誘われるがままに中へ入るとその中には白蛇様がいらっしゃいました。

とても朗らかそうな白蛇さんだったため写真と取ってみると、その上には白龍が写りました。鏡作坐若宮神社に立ち寄ると、思いもしないような楽しい出来事に遭遇しますので、是非、本殿と共にお立ち寄りください。

鏡作坐若宮神社

祓戸には祓戸大神と言われる4柱が祀られており、諸々の禍事や穢れを祓い除けてもらえる場所ですが、日頃の気枯れの元となる三毒や不安、ひいては恐怖心を最も清らかな光のエネルギーで洗い流してもらうと良いです。

祓戸


私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。

今を大切にお過ごしください。



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