[元伊勢三社 元伊勢内宮皇大神社 元伊勢外宮豊受大神社 天岩戸神社+皇大神宮別宮 伊雑宮 瀧原宮+六芒星] 天照大神と 六芒星
第10代 崇神天皇の御代にはじまった天照大神の鎮座地を探す旅は、第11代 垂仁天皇にまで続けられ、大和国から宇陀、近江、尾張、美濃と様々な土地を巡幸された後、宇治山田の五十鈴川上が定住の地となりました。
その間、60年にわたる巡幸があり、現在の伊勢神宮が創建されるまでに立ち寄られた足跡を「元伊勢」として伊勢神宮にゆかりのある神社として呼びます。京都府福知山市には元伊勢三社として「元伊勢内宮皇大神社」、「元伊勢外宮豊受大神社」、「天岩戸神社」が鎮座しており、伊勢神宮と同様に外宮から内宮へ、そして天岩戸神社へと参拝します。
更に京都北部には丹後一宮 籠神社があり、第21代 雄略天皇の御代にご祭神である豊受大神が伊勢へお遷りになられたことより、元伊勢と呼ばれています。加えて、このエリアには知る人ぞ知る「御来光レイライン」が通っており、出雲大社から元伊勢外宮豊受大神社、そして伊吹山を抜けて霊峰 富士山へつながります。
レイライン(ley line)とは、古代の遺跡群を繋ぐように描かれる直線のことを指しており、日本では御来光が通る道として知られています。本寄稿を通して、私たちのご先祖様たちが体感していた森羅万象のエネルギーをお届けしたいと思います。
元伊勢三社(もといせさんしゃ) - 京都府福知山市
丹波国、後に丹後国として知られる京都府福知山市に着座する皇大神社と豊受大神社は、現在の伊勢神宮に祀られる内宮と外宮の原型として元伊勢神宮と言われている。更に、 皇大神社の神体山とされる日室ヶ嶽(ひむろがだけ)には天岩戸神社があり、皇大神社の奥宮として、これらの三社を合わせて元伊勢三社とも言う。
元伊勢 外宮 豊受大神社(げくう とゆけだいじんじゃ)
農耕の神様として豊受大神を祀っていたが、天照大神の夢託を受けた第21代 雄略天皇が御饌都神(みけつかみ)として丹波から伊勢神宮の外宮に遷宮されたと言われており、元伊勢 内宮 皇大神社と同様に杉の丸太をそのまま使用した黒木鳥居が建つ。
内宮にもある龍灯の杉があり、節分の丑三つ時に龍神が明かりを灯しにやってくるという言い伝えがある。
特に元伊勢 外宮では出雲から伊夫伎(伊吹山)を越えて富士山へつながる御来光レイライン上にあり、初日の出を参拝する信仰者で元旦は賑わう。
元伊勢内宮皇大神社(ないくう こうたいじんじゃ)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)が祀られており、天照の大神といえば、伊勢の風を気に入られたとの一説があるが、皇大神社までの参道にもさわやかな風が吹く。
伊勢系の神明鳥居の中でも黒木鳥居という樹皮がついたままの日本で最も古い鳥居形式が出迎えてくれ、元伊勢 外宮 豊受大神社と元伊勢 内宮 皇大神社と京都嵯峨野の野宮神社にしか存在しない鳥居である。
元伊勢 天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)
皇大神社の奥の山道を進むと、やがて下り斜面となり、宮川へ降りることができる。この宮川岸の岩肌上に建つのが皇大神社の奥宮である天岩戸神社である。社殿前へは鎖をつたって登っていく。
天岩戸神社への道中には日室ケ嶽があり、天照大神が降臨した山ということで東斜面は禁足地となっている。日室ヶ嶽遥拝所では一願さんといって、この場所より願をかけると必ず成就するという一願成就の風習が伝えられている。
またその優美な三角形の稜線がひときわ美しく、「日本一美しい日本ピラミッド」としての異名をもつ聖山でもある。
おまけ
皇大神宮別宮 伊雑宮(こうたいじんぐうべつぐう いざわのみや) - 三重県志摩市
皇大神宮別宮 瀧原宮(こうたいじんぐうべつぐう たきはらのみや) - 三重県度会郡
伊勢神宮は内宮と外宮の両正宮を中心に14社の別宮と109社の摂社・末社・所管社より創設されており、内宮 皇大神宮の別宮には伊雑宮(いざわのみや)と瀧原宮(たきはらのみや)があります。
両宮ともに天照大御神の御魂を祀っており、古くより遙宮(とおのみや)として崇敬され、両宮ともに内宮よりも先に倭姫命が天照大御神を祀った場所という伝承があり、特に瀧原宮の杉の木立に囲まれた風が吹く参道とその参道の脇を流れる谷水の御手洗場から流れてくる清流の音色は内宮を連想させます。
一方、志摩の一ノ宮として知られる伊雑宮は元々、天照大御神の本宮として内宮や外宮よりも先に創られたと言われており、伊雑宮がミステリースポットであり、パワースポットと言われる所以です。
伊勢神宮へ向かう道沿いにあった六芒星が刻まれた燈籠を一目見ようと、何度も表参道を往復してみましたが、時遅し・・・、違法に設置されていたという該当の燈籠は一斉撤去されていました。とは言いつつ、いつかどこかでその燈籠に出会いたいという探求心を胸に、伊雑宮に差し込むあまりに綺麗な太陽の光を全身に浴びようと宙を見上げた瞬間、伊雑宮の向かいにある建物にその燈籠が存在していました。
見上げた先にある六芒星をしばしの間、眺めながら、アッシリア人に追放されたイスラエルの十支族(古代イスラエルの失われた十支族)がシルクロードの先にある東国 日本へ渡来していたという日ユ同祖論を思い出し、またイスラエルの国旗にある六芒星は籠目紋の土台であり、その紋に由来する籠神社は元伊勢として天照大神や豊受大神が伊勢へたどり着く前に、一時的に鎮座した聖地として、今まで点に見えていた神話のつながりが線のように見え始めました。
更に、現在の籠神社 主祭神は彦火明命(ひこほあかりのみこと)、その別名を饒速日命、すなわち天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)と称されます。饒速日命と言えば、十種の神宝(とくさのかむだから)という強力な能力を持つ呪具を天照大神より授かり、弟である邇邇芸命(ににぎのみこと)よりも先に天磐船(あめのいわふね)に乗って大和の地へ天孫降臨された天津神である一方、様々な国津地祇を宿されているとてもユニークな神様です。そして私の家系は饒速日命からのびてきているため、今回の元伊勢から伊勢神宮内宮 別宮、そして六芒星へのつながりは、点から線として、そして高次元へのお導きだったんだ!と感動と感謝でいっぱいな気持ちになりました。
私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
今を大切にお過ごしください。