[織幡神社+元乃隅神社+宗像大社 沖津宮 遙拝所] チャンスの神様には前髪しかない
「幸運の女神には前髪しかない」
チャンスをもたらす神 カイロスから好機を得ようとする人々が彼をつかもうとした様子を例えた諺として知られる幸運の女神ですが、実はカイロスは女神ではなく、男神です。カイロスは前髪が垂れており、後頭部には髪が無かったため、彼からチャンスを得るには前髪をつかむことが必須でした。
たまたま訪れた先で欲しかったモノを見つけたり、たまたま目をやった先に気になる情報を見かけたりと、私たちの日々の生活には偶然のような必然が盛りだくさんです。必然とは、あるべくして起こっている自然事象であり、これも引き寄せの一つです。
私たちには、欲しいと思った瞬間より、その欲しいものを引き寄せるパワーがあります。そして欲しいと念じるパワーが強ければ強いほど、欲しいものを得るチャンスは到来します。他方、そのチャンスが到来しても、つかむことを躊躇したり、決断を先送りしたり、または優柔不断な判断をしてしまうと、そのチャンスはどこかへ逃げて行ってしまいます。
人間関係の相性や出会いについても、多少のパターンはありますが同じような出来事が起こります。会いたいなと気になる人から偶然にお便りが届いたり、或いは会いたい人の状況を風の便りで耳にしたりと、想うパワーが強くなると、高次元を通してお互いの想いが呼応し合い、相手先に届きます。一方、なかなか想いが届かないといった場合は、想いを届けたい相手のエネルギーと自分のエネルギーが別の次元に存在しており、呼応同期していないためです。
この呼応同期の現象は神様と私たちの間にも生じます。神社を訪れた際に、神様の眷属に出会ったり、その眷属が向かう場所へ行ってみると、地図にも表現されていないような祠や磐座に導かれることがあります。これは神様が私たちに是非、訪れて欲しいという願いを込めて引き寄せてくださっているためです。時に導かれる先の道が細く、踏みならされていないため前進することを躊躇していまい、そのチャンスを逃すことがあります。このタイミングではチャンスを逃したという意識ではなく、むしろ安全のため中止したという認識やご縁がなかったのかなと自己完結しがちですが、真に神様や精霊さんより引き寄せられる場所や物事に対しては、私たち人間が判断するのではなく、神様が最高のタイミングと最良の方法で導いてくださいます。そのチャンスが再到来すると、毎日、毎朝、その導かれる場所や物事のイメージが心に沸いてきて止まらなくなったり、人と話をしていてもその話題が浮上する等々、様々な手段や方法を介して神様の引き寄せが目の前にやってきます。ある意味、神様の引き寄せは最強であり、必然の瑞兆だと言えます。
チャンスの女神は前髪しかないと言いますが、仮に神様からのメッセージを上手くつかめなかったとしても本当に必要であれば何度も何度もやってきてくれます。神様からのメッセージを受け取りやすくするためには、常に自分のハイヤーセルフと呼応することが大切であり、また常時、ハイヤーセルフとつながっているためにも、自己エネルギーの高次元化に切磋琢磨すべきと、再認識をする日々です。
織幡神社(おりはたじんじゃ) ー 福岡県宗像市鐘崎
古くは宗像大社 沖津宮、中津宮、辺津宮と鎮国寺とともに宗像五社の一社として朝廷からの尊崇はあつく、御祭神には建内宿祢が祀られている。
建内宿祢と言えば、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に仕えたという長寿の持ち主であり、また大和の古代豪族として知られる紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏・波多氏の祖神としても知られている。特に神功皇后と建内宿祢の関わりは深く、赤白二旗に織った軍旗を竿につけて、その竿を上下に上げ下げして敵を翻弄させたとして、建内宿祢が三韓征伐を成功裏に導いたと言われるほどの忠臣である。この赤白二旗の軍旗を織った土地に創建されたのが織幡神社の起源とされる。
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駐車場ではとても強い風が吹きあれていましたが、鳥居をくぐって一歩を踏み出した途端、境内にはとても穏やかなエネルギーが流れており、神域で味わえる安寧をエーテル体で感じました。本殿へ向かって歩みを進めると、少し体に緊張感が伝わり、魂が土地の精霊さんと呼応し始めていることが分かります。まるで時が止まっているかのような錯覚を起こすエネルギーも流れており、別次元が神社に存在することが分かります。
階段の途中には祠があり、そのまま126段を登り切ろうかと思いましたが、子の祠に立ち寄った方が良いというメッセージを受けたため、お邪魔してみることにしました。建内宿祢や神功皇后に所縁のある土地では、住吉三神による海上安全や航海安全が祈願されていますが、それ以外にも、家庭円満や良縁、ひいては五穀豊穣を祈るために、今宮社に大己貴命や櫛名田比売を祀られているようでした。
伊良部神社の兵隊さんも背筋がゾクっとしましたが、この海女さんにも背筋がゾクっとするほどの、まるで生きているかのようなエネルギーを感じました。この海女さんはこの高台に一人で立っていることに違和感があるそうで、出来れば足元の土台を外して地面に直接立たせてほしそうでした。ゾクッとするぐらい興味がひかれる海女さんの石像のお蔭さまで、織畑神社が心に残る神域の一つになりました。
境内の入り口付近には多くの猫が寝そべっており、この土地が神に守られた安泰且つ平穏なエリアであることが分かりました。
元乃隅神社(もとのすみじんじゃ) ー 山口県長門市油谷津黄
1955年に津黄漁港の網元で知られる岡村斉(おかむらひとし)の枕元に現れた白狐のお告げにより建立されたとされ、1987年からの10年の歳月をかけて123基の朱色の鳥居が奉納され、その距離は100メートル以上におよぶ。
御利益としては商売繁盛や大漁、海上安全をはじめ、福徳円満等、地元の人々の諸願成就を願い、建立されている。
鳥居をくぐり抜けた先には日本海が広がる。
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複数の場所に祠があり、特に元乃隅神社の祠より「こっちこっち!」と呼ばれたため近寄っていくと、この角度で写真を撮るようにと指示があり、撮ってみると、虹が入りました。
実は虹ではなく龍さんということです。岡村斉さんが具現化された元乃隅神社は、今では地元の人々だけではなく、国外から観光バスに乗っかって参拝される神社となり、龍さんはとても誇らしそうでした。他方、多くの参拝者の皆さんは、123基の鳥居に目が取られてしまい、ご神体が宿る祠がこの神社の中心であることに気が付かないようです。元乃隅神社を訪れる際には、必ず元乃隅神社の祠をお参りいただけると幸いです。
また鳥居をくぐって岩場へ歩いていく途中に、ちらっと後ろ姿が見えたため、地元のおばあさんが日本海を眺めていらっしゃるのかなと素通りしようとすると、「ちょっと」と声が聞こえてきたため、近寄ってみると、おばあさんではなく、お地蔵さんでした。
吹き荒れる風の中、この場所から日本海を常に見守っておられるそうです。こちらのお地蔵さんも元乃隅神社の祠と同じように、多くの参拝者が素通りしてしまうようです。是非、岩場へ行く左手にいらっしゃいますので立ち寄ってください。ちなみに私の母も人影を見たけれど、立ち寄らなかったそうで、おばあさんが佇んでいると思ったそうです。私もおばあさんだと、てっきり人が石の上に座っている感覚をもったため、まさかお地蔵さんであることには、近づくまでは気が付きませんでした。このお地蔵さんはとても暖かいエネルギーをお持ちですので是非、ご挨拶をして、そのエネルギーを頂戴されると良いです。
御嶽神社(みたけじんじゃ) ー 宗像市大島字中津和瀬2987
御嶽山 山頂に位置する御嶽神社には天照大神と湍津姫神の荒魂を御祭神に祀り、古くは7世紀後半ごろより露天祭祀が行われていたとされ、神社の裏手には御嶽山祭祀遺跡が発見されている。
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吸い込まれるように鳥居を入り、一気に本殿まで上がっていった記憶があります。鬱蒼とした林の中にたたずむ社殿ですが、島民の方による掃除が行き届いており、とても大切に土地を守り、神様を神事をされていることが垣間見れました。
拝殿よりご挨拶をしていると、本殿の裏へ来て欲しいと招かれたため、改めて本殿の裏側へ歩き始めると足元に1匹の蜂が現れて、行く先案内人のように少し踏みならされた道へ案内をしてくれました。その方向から撮ったのが下記の写真です。
私的には本殿正面の写真よりこちらの方角からの写真の方が社殿がバランスよく見えて、すっきりとした容姿に見えます。もしかすると拝殿は要らないのかもしれませんね。
私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
今を大切にお過ごしください。
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