[小牧野環状列石+十和田神社+箭弓稲荷神社] エネルギーが上昇する神々
エネルギーが高次元へ上昇していくと、3D、いわゆる3次元の世界からの視点・視野からではなく、より高い次元より物事を俯瞰できるようになると言います。
私が、確実に私のエネルギーが高次元へアセンドしているなと感じることは、神様や精霊からの招待状に気づくようになれたことです。ふと湧き上がるように高次元からのメッセージが私には届きますが、今まではこういったメッセージを、偶発的な出来事のように受け流していました。最近ではそういった湧き上がる言霊の回数も増えつつ、また他人との会話にもキーワードが出てくるようになり、着実に神様や精霊が私に何かを伝えたがっていると気づきます。
ここ最近、皆神神社というキーワードが脳裏をチラついており、タイミングを見計らって訪れようとは考えながら数か月を過ごしていると、先日、会社の同僚との会話の中で、今年の夏はどこへ行くか等々を話していると、「みなかみへ行く」と耳にして、「え?みなかみって皆の神?」と聞くと、「群馬の水の上で水上」と言われ、その後の同僚との会話はあまり覚えていません。
これはアナグラムといって遊び心のある神様からのメッセージでよく使われるパターンです。アナグラムとは言葉遊びの一つとして、文中の文字や単語の発音を入れ替えることにより全く別の意味にさせる遊びですが、今回の皆神は、水上(みなかみ)として、神様が私に伝えてくださった言葉遊びでした。むろん、その週に皆神神社を訪れました。
引き寄せの法則も同じです。
一旦、引き寄せられるとその引き寄せは様々な媒体を通して引き寄せてきます。そして、その引き寄せに気づくためにも、私たち人間は常に波動を上げておく必要があり、それが高次元への次元上昇です。
私たちは次元を上昇する度に自分がもつカルマを落としていきます。或いは、次元が上昇することでカルマを落としていくことが出来ます。そのカルマ解消のお手伝いをすべく、神様は常に私たちを次元上昇させようと引き寄せてきますので、そのメッセージに皆さんが気が付けるような神様や土地の精霊さんたちをご紹介できればと思います。
小牧野環状列石(こまきのかんじょうれっせき) ー 青森市野沢字小牧野
縄文時代後期前半に作られた環状列石として、主に儀式をする場所として使われていた形跡が残り、土器棺墓や土坑墓群、貯蔵穴が発見されている。
三重の環を描くように列石が配置されており、その周りを囲むように直径約4メートルの環状配石や一部が四重となっていたりと、全体では約直径55メートルのかなり大きい環状となる。
縦に置いた石の隣には横長の石を積み上げる等、約2,900個の列石が特殊に組まれており、秋田県 伊勢堂岱遺跡(いせどうたいいせき)でも同じ形状の列石が発見され、小牧野式配列(こまきのしきはいれつ)と呼称される。
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山の麓の小高い丘のような場所に遺跡があり、駐車場から列石へ向かう途中に、蝶々が飛んできて、行く先を先導してくれるようについて行きました。
遺跡にはとても穏やかなエネルギーが流れており、まさに死者が安寧する土地としては最高の場所のようです。今では遺跡として保安されていることもありますが、古来よりこの土地が平穏で安全な場所であることを縄文に生きた人々は良く知り尽くして、この土地を選んだようです。
見晴台から遺跡を見ていると、このエリアだけがふんわりと宙に浮いたように見えはじめて、宇宙の源とのつながりを感じました。そんな源とかかわりのある土地を訪れることが出来たこととにとても感謝しました。
十和田神社(とわだこじんじゃ) ー 青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋
征夷大将軍 坂上田村麻呂が東征の成功を祈願して祀ったことが起源とされ、日本武尊を御祭神に祀る。
更に時代を遡ると、南祖坊(なんそのぼう)という僧侶が熊野権現の霊験により九頭の龍に変化して、十和田湖に住む八頭の大蛇を十曲(とわだ)に曲げて退治したという伝説があり、今の主祭神が祀られる前から十和田山青竜権現が祀られていたとされる。
ちなみに南祖坊は熊野権現より、百足の草鞋が破れ、錫杖(しゃくじょう)が折れた所に住むべしとのお告げがあり、十和田湖に差し掛かった頃、お告げ通り鉄の草鞋の緒が切れ、錫杖が折れたため十和田には南祖坊の履いていた鉄の草鞋が奉納されている。
その後、南祖坊は龍神 青龍権現に姿を変えて十和田湖の主として身を沈めたとされる伝承がある。
十和田神社から山中へ150m程入った頂きの平場から、鉄のはしごをつたって降りたところが占場があり、南祖坊が入水した場所とも言われている。最近では吉凶を占う場として信仰を集めている。
お金やお米を白紙にひねったものや「おより紙」を湖に投げ入れると、願いが叶うときには水底に引き込まれるように沈み、叶わないときんは重いものでも浮いたまま波にさらわれ沖へ流されるとの伝承がある。
現在、頂きから占場へ下る梯子は通行禁止となっており、乙女の像の前に広がる御前ヶ浜に投げ入れることができる。
境内から御前ヶ浜への途中には多くの岩窟があり、天ノ岩戸をはじめ、火ノ神や風ノ神といった神霊が祀られており、この道を幸運の小道と呼ぶ。
この小道はその昔、十和田湖を霊山として修験者たちが修行や祈祷を行っていた修験窟の跡とも言われており、罪や穢れを吹き祓うかのように常に力強い風が吹いている。
一つに見える島は恵比寿島と大黒島の二つの島からなっており、大黒様と恵比寿様を祀られている。
この島は古くは果報島(かほうじま)と呼ばれ、果報=良い知らせが来る島という意味を持ち、その昔、島に向かって賽銭を投げ入れることが出来れば願いが叶うとされ、今でも島の周囲には古銭が沈んでいる。
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十和田神社にはとても多くの精霊のエネルギーが宿っており、参道を歩いていると身近にそのエネルギーを感じることができます。表参道はまるで沖縄の御嶽と同じような熱の高いエネルギーが漂っています。
参道では大きく深呼吸をしながら、じっくりと木々を眺めながら、ゆっくりと本殿へ向かって歩いていくと良いです。この参道では穢れを祓うというよりかはむしろ、太古の昔より宿る東北の熱の高い神々や精霊さんとの対面がメインとなりそうですので、是非、「こんにちは!お邪魔をしています!」と明るい気持ちでご挨拶をしていくと良いです。
同時に、参道の木々の香り、光の光線、勢いのある風をを身体に感じながら、その時に思い浮かぶ言葉を大切に覚えておいてください。その後の人生に役立つ言霊になりそうです。
私はこの参道を通りながら、感動という言葉が心に思い浮かびました。どちらかというと、圧倒されたという心の動きが感動という言霊となったようです。
参道はすでに十和田結界の内側となり、土地に宿る精霊のエネルギーと私たちの魂と体が共有・共鳴したためかもしれませんが、上記の写真を見て良い意味で背中がゾクとしたり、気持ちが良いと感じる方は十和田の神様と意気投合しています。
逆に鳥居を入って気持ちが悪くなったり、足が重くなったり、背中に悪寒を感じる場合は、一の鳥居へ戻り、再度穢れを取り祓ってくださいと願い、鳥居を中ではなく、外を通ってください。
帰り道では、手水舎の奥の方から何かに呼ばれている気がしたため、草木を踏み分けながら入っていくと、その向こうには「十和田山」と書かれた石碑に出会いました。
ひっそりと鳴りを潜めるように佇む石碑は、この十和田の地が安泰且つ、穏やかに保てている源のようです。本殿がなかった時代には、この石碑に人々が願掛けや祈祷をしていたようです。石碑より、「私が主役だよ、ご苦労さん」と聞こえました。十和田の神様や精霊とご縁がある方は、この十和田に宿るエネルギーが晴れ晴れしく、また心地の良いものになると思います。
十和田神社を訪れるのは4回目ですが、今回の参拝では今まで気づくこともなかったようなエリアで、氏神様をはじめ、森や山の精霊からの導きがあり、とても心に残る参拝となりました。
心に荷物を抱えている方、体が重くて日々を過ごすことが辛くなってしまった方、十和田の神々が起こす神風で、その重荷を取り祓ってもらってください。
風の時代、丑寅に眠る国津の神々が目覚めはじめています。十和田に宿る神々や精霊たちは私たちの訪れを今か今かと待っています。
箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ) ー 埼玉県東松山市箭弓町
御祭神には保食神(うけもちのかみ)が祭られており、その由緒は朝廷の命により下総国城主 平忠常の討伐に向かう源頼信が野久稲荷神社にて戦勝祈願をしたところ、白狐に乗った神より箭と弓を頼信が授かる夢を見て、戦に勝ったことよりその神力に感謝をして社殿を建立したとされる。
野久稲荷を箭弓稲荷と改めた後、勝負の神様としての信仰も厚く、五穀豊穣や商売繁盛として、また「やきゅう」の読み方から野球に携わる多く祈願者が訪れる。
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本殿裏にある元宮を参拝した後、拝殿へ戻る途中に、むすひ石を見つけました。「むすひ」とは縁を結ぶの「結ひ」と万物が生まれるの「産霊」の両方の意味があり、とても古くよりこの土地には万物繁栄のエネルギーが宿っています。
また箭弓稲荷神社の眷属である狐はカギをくわえており、このカギへ自分の志を伝えると、その願いを宇迦之御魂神へ伝えてくださるようです。伏見稲荷のお狐さんもカギをくわえており、箭弓稲荷神社と伏見稲荷大社のエネルギーがつながっていることが分かりました。
目標達成や心願成就をかなえたい方は是非、箭弓稲荷神社のお狐さんへその願いを伝えていただき、そしてむすひ石にて主祭神である宇迦之御魂神とのご縁を結んでください。
私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
今を大切にお過ごしください。
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