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走ってて何が楽しいの? 前編

さあ、遅めの夏休み楽しむぞーと思ったら風邪を引きました。あおいです。

やっと治まってきたと思ったら台風接近であまり出かけられないので、走る代わりに自分のことを書けたらと思います。


1.何が楽しい?

まずタイトルの件について、陸上の話をすると大体この質問が来るので、いつも「終わったあと」と言ってます笑
ただ、答えはそれだけではありません。

・生きがいを感じるから
・友達が増えるきっかけになるから
・まだまだ動けると実感できるから

いや、もはや理由を考えるのもめんどくさい笑
おわり!


となるのもなんだかなあなので、軽く競技人生を振り返りたいと思います。

2.小学校

・小学校
元々マラソンは好きではありませんでしたが、陸上部の顧問に誘われた駅伝大会とその後の校内マラソンがきっかけで、すっかり長距離・駅伝の魅力に取り憑かれました。(テレビで見た箱根駅伝も関係あるかも。)
詳しいエピソードは前の投稿(自己実現できるもの)をご覧下さい🙇‍♂️

こんな風に軽々と走れたらなと思った少年時代⛰️

3.中学校

元々は水泳部、駅伝部、陸上部短距離で迷っていました。ただ、小6の頃に学年内で1番速かった友達から「駅伝部と他の運動部の兼部もできるよ」と教えてもらったことを思い出し、春はひとまず水泳部に入って秋から駅伝部に加入しました。
(誘ってくれて嬉しかったですありがとう)

最初は女子の練習にも付いていけませんでしたが、走れば走るほど記録が伸びていくことが嬉しかったし、おまけに県駅伝などの大きな大会にも出させていただいたことはいい思い出です。
先輩たちも優しくてすぐ馴染めました。
(生意気な口聞いててゴメンナサイ)

この兼部という選択が、後に大きな分岐点となります。
中1の時は高校でも水泳を続けるつもりでした。当時駅伝部に入った動機は、まだ「秋の大きな大会(これ以上は身バレするので🙊)に出たいから」程度でしかなかったからです。

しかし、中2の4月に水泳の選手コースに加入してから、チームとの人間関係&記録が伸びない&色々修復したと思ったら8月に練習中に持病で倒れて辞めざるを得なくなるのトリプルパンチ!!👊
当時は自分のような持病(発作ある系のやつです)があるとスイミングクラブへの加入すら断られ得る時代だったことから、選手コースなら尚更…と競技としての水泳に限界を感じ始め、そこから本格的に陸上(長距離)をやることも考えるようになります。

とはいえ、自分の行きたい道を制限されたことは悔しかったし、部活も学校も全て投げ出そうかと思ったこともありました。
今だから笑って話せますが、正直部活の顧問と同期がいなければ、今でも水泳への未練は乗り越えてないです。てか速攻で辞めてました。
顧問が競技を続行させてくれたことに加えて、同期も何も変わらず接してくれたことが幸いなことでした。

人生ラストスイム後に同期で。
リレメン組めて良かった。県新人は入賞で万々歳!

おっとっと、重くなったのでそこまで!

そんなこんなで中3の夏。水泳部を引退してから、駅伝部として本格的に走り込むことになります。
初の夏練は普通にキツいし大会の目標も達成できなかったけど、陸上も続けててめちゃくちゃ楽しかったです。

人間性選手権全国クラスの仲間に囲まれて、幸せな3年間でした!!

P.S. 三者面談の時は、毎回陸上部に入る前提で進路の話をしたことを覚えています。笑
  選手コース事件の後も2回学校で倒れたため、担任の先生にもかなり心配をかけたと思います。最後まで自分を気にかけていただきありがとうございました🙇‍♂️

4.高校

中2の出来事が分岐点となり、駅伝に力を入れていて家から近い所を受験したとはいえ、実はまだ水泳部と迷っていました笑(第一志望校だけ水泳部があったため。)

結果的に第一志望校に受かって死ぬほど喜びました(内申点低かったし学力もギリギリ足りなかったから落ちてもおかしくなかった)が、今度は何部に入部しようかという贅沢な悩み…笑

だってどっちも関東大会への出場経験はあるし、知ってる先輩や勝ちたい同期がいるんだもん!!

 ただ、最終的には練習環境の制限がない中で自分の限界を試してみたいと思い、陸上部(長距離)
 に入部することになります。
中学から同じだった先輩から体験入部に誘ってもらえたことと、そこで会った同期が知ってる人だったことも大きかったです。

そこからは部活一筋でした。クラスでは話せる友達が少なく(高3に関しては一言も話さない時もあった)、ぼっちで移動教室や昼食を済ませることも少なくありませんでしたが、いざグラウンドに入ると煩わしい人間関係や自分の話し方等のコンプレックスが全て吹き飛びました。
また、大会等で他校の同級生と繋がれたときは、「あー、クラスじゃこんな良い顔はしないだろうなあ」と思ったこともありました😛
競技については、1年では小さな怪我が多く、人生初の体験だったため何をして良いか分からない時間が多かったですが、2年からストレッチを増やすなど、怪我予防のための生活習慣を確立させたことで、練習が積めるようになりました。
また、部員が良い意味で自分のクセの強さをいじってくれていたため、居場所を感じられたことも競技に集中できたことに繋がった気がします。(にしても人間関係に疎すぎましたが…)
ただ、自分が部内で、そして中学内でもダントツの天然であることを高1の時に同期から言われて知ったり(それまではわりかししっかりしてる方だと思ってた)、駅伝のメンバーに選ばれなかった仲間が裏方の仕事や練習態度を通してチームを盛り上げている姿から、高2にして初めて「自分が走れればいいや」から「皆のために頑張ろう」という思いに変わることができたりしたため、ゼロに等しかった自己理解力と集団への帰属意識が多少は高まったかな、と思います。
(「察してくれ」、「普通分かるだろ」のようなものに弱いので、いじりでもはっきりと色々言ってくれたことがぶっちゃけ有り難かったです)

PB更新の瞬間。
ワイ(真ん中の坊主)だけ横向いとった

競技の成績はイマイチだったし駅伝も派手にやらかしたけど、自分のような変わり者でもチームに貢献できたことが嬉しかったです。(練習番長とも言えそう笑)
※卒業式で泣いたことないのに、引退式前の日曜、生まれて初めてそういう類いので泣きました。


高3夏の記録会が終われば大学受験。
秋の駅伝まで残る選択肢もありましたが、自分は受験勉強に専念することに。
第一か第二志望に受かれば競技を続け、第三志望以降であれば軽音サークルにでも入ろうと思ってました。


後編へ続く…

#陸上 #駅伝


 
 
 
 
 
 


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