今更人に聞けない「ケムトレイル」陰謀論について考察
あの飛行機雲、どこかおかしい……。素朴な疑問が環境や健康への懸念につながり、拭い難いケムトレイルという陰謀論につながっている。
未知の物質が空から散布されているという噂
こんな話を聞いたことはないだろうか。
ーー政府の陰謀により、航空機(それはセスナから旅客機まで、種類はさまざま)を使って有害物質が空中散布されている。一見するとごく普通の飛行機雲だが、その正体は大空に描かれる禍々しい毒物の航跡にほかならない。“世界政府”による毒物散布計画が行われているのだーー
晴れた空を遮る謎めいた航跡は飛行機雲(コントレイル)なのだが、上記のような危機感を伴って、一部のコントレイルは化学物質(ケミカル)との造語「ケムトレイル」と呼ばれ、危険視されることがある。アメリカで行われたとある調査では、全国民の12パーセントが毒物散布計画を信じているという事実が明らかにされている。
ケムトレイル計画に関する陰謀論が生まれたのは、アメリカ空軍が天候変換テクノロジーに就いての報告書を発表した1996年だ。これを受け、「政府が未知の物質を自国民に向けて空から噴射している」という陰謀論が生まれた。こうした陰謀論を語る第一世代となったのは、リチャード・フィンクやウィリアム・トーマスといった超常現象リサーチャーたちだった。
2000年代に入って勢いを増したケムトレイル陰謀論に対し、環境保護局および連邦航空局、NASA、アメリカ大洋大気庁といった公的機関が合同で噂の撤回に努めたことがある。しかしこれは逆効果だった。すでにピークに達しつつあったケムトレイル陰謀論のビリーバーの目には、政府が関係各局を総動員して隠蔽工作を展開していると映ったにちがいない。
しかし「隠蔽だ」という反論も出てしまう。
気象兵器の陰謀論と合流
2000年代に入ったばかりの頃の熱量はないにせよ、ケムトレイル陰謀論が完全に消えることはなかった。やがて、時期が重なるHAARPテクノロジーとひもづけて語られるようになる。
2011年には、環境保護局が飛行機雲のメカニズムについて詳しく説明するファクトシートを発表した。飛行機雲は比較的早く消えるが、ケムトレイルはかなり長い間空に残るという特徴が指摘されていたが、ごく普通の飛行機雲でも長い時間空に残ることがあるデータが提示された。
しかし陰謀論陣営は、テクノロジーの進化によってケムトレイルも早く消えるように改良が加えられているという方向性の仮説でただちに対応した。
政府がケムトレイルにさまざまな物質を混入して噴射し、特定の地域で特定の症状が生まれるように仕向け、それに特化した検証を行っているという話はさらに深みを増していく。
やがて抗精神剤によるマインドコントロールや、不妊薬による人口管理計画まで、ありとあらゆる可能性が語られるようになった。
主流派科学の枠組みの中に身を置く人たちは、半ば冷めた視線を向けながら陰謀論への反論を行った。陰謀論陣営の主張は信頼のおける科学文献を基に構築されたものではなかったからだ。こうした状況の中、デビッド・キース博士をリーダーに据えるハーバード大学応用物理学部の教授グループは次のような声明文を出している。
「政府が主導して自国民の不利益となるような行為に及んでいるのなら、それについての追及を行うのはわれわれ科学者である」
そしてハーバード大学チームは、独自の見解も公表した。ケムトレイルと呼ばれるものが噴射されるのは大気中のかなり高い部分であり、こうした場所では強い風が吹いている。こんな場所では噴射された成分が拡散し、実験であるとしても何の効果も得られないはずだ。つまりまったくの無駄であり、科学的根拠とはなりえない。
しかし、どんなデータや科学的事実が突き付けられても、陰謀論陣営は揺るがない。HAARPテクノロジーとひもづける形で、ケムトレイルが気象転換技術の実用化の一端を担っている可能性を強調し始めた。
環境や健康への懸念が国境を越えてつながる
注目すべきは、総体的に見れば、陰謀論陣営がごく普通の飛行機雲であるコントレイルとケムトレイルを同一視していたことだ。熱を閉じ込める作用など、コントレイルが環境に対して悪影響をもたらすことは主流派科学の枠組みの中でも認知されている。こうした科学的事実をフックにして、ケムトレイルが人口管理や天候変換、そして大規模マインドコントロールを実現するためのツールとして使われているという話が生まれ、瞬く間に広がり、それが根強く残っているというのが現状なのだと思う。
これまでの流れを見れば十分に予測できるだろうが、最近は世界規模で起きる感染症の原因もケムトレイルであるという主張が目立つようになっている。新しい仮説は、かつての時代のように自前のウェブサイトやブログだけではなく、各種SNSを通して発信されている。こうして「新ケムトレイル陰謀説」とでも呼ぶべきものが若年層にまで浸透することになった。
このような過程を経て、若年層のメンバーから成るケムトレイル関連のSNSグループが数多く形成された。環境問題に大きな関心を寄せる人たちを巻き込みながら、あるいはQアノンとも連携しながら、90年代半ばの出発点とは微妙に異なる方向にスピンオフしていった。
それと同時に顕著化しているのは、かつてはアメリカ国内に限られていた陰謀論だったはずのケムトレイルの国際化だ。ネットの世界で大きな発言力と影響力を持つインフルエンサーと呼ばれる人たちにもビリーバーが現れている。“古くて新しい陰謀論”であるケムトレイルのデータを、たとえば数字という目に見えるデータとして発信していこうという姿勢も目立つ。
「ケムトレイルモニター」というサイトは、リアルタイムでのケムトレイルの出現情報を提供し、90年代半ばから現在に至るまでの経緯をまとめて紹介している。かつての時代はカメラで撮影した画像や映像がサイトにアップされるやり方が主流だったが、今は一部ウェブカメラをつかって、リアルタイムで出現データが把握できるようになっている。
http://www.chemtrailmonitor.org/real-time-chemtrail-forecasts/
また、ケムトレイル陰謀論全体がある種先祖返りのような様相を見せているのも事実だ。再びHAARPテクノロジーと結びつける考え方が復活しているのだ。ここ3年ほど、世界各国が異常気象に見舞われている。とんでもない時期にとんでもない場所が豪雪に見舞われたり、これまで山火事が起きなかった場所の空気が異常に乾燥してアメリカ西海岸から東海岸にまで煙がたなびくような、史上例を見ない規模の火事が起きたりしている。
HAARPプロジェクトに関して言えば、主導していたアメリカ空軍が2014年5月をもってアラスカ州ガコナの研究施設を閉鎖(事実上の廃止)することを発表したが、これはHAARPプロジェクトの完成を意味するものであるという見方が圧倒的だ。政府主導で同時進行していたHAARPとケムトレイルが、2010年代半ばになって融合され、新しい段階に入ったのではないかという意見もある。
「政府に対する不信」という根本的な問題
日本ではまだ誰もケムトレイルという言葉を知らなかった頃、筆者は並木伸一郎先生といっしょに、当時かなりの発言力を持っていたケムトレイル研究グループにインタビューしたことがある。印象に残ったのは、政府に対する強烈な不信感だ。そして今も、ケムトレイル関連のサイトには全く同じ種類の感情が渦巻いている。
不安な時代だからこそ陰謀論が増殖するのか。
それとも、陰謀論の増殖が時代独自の不安感を生み出すのか。
これから先も、両者が永遠ループのように上下になりながら、数えきれないほどの層を積み上げていくことはまちがいない。