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小売業に対する感謝 人間にしてくれてありがとう

前回の記事で自分が考える製作物をPOP analyzerという形でまとめました。

今回はその記事から更に根源的なやりたい理由まで、深く掘り下げます。すなわち、なぜ私が毎回リテールテックの記事を書くのかということです。

直属上司ともタイマンで議論して、改めて自分の会社愛を感じました。

特異的過ぎる中学・高校時代

中学まで地元の栃木。高校は鹿児島に進学。理由は受験で飛行機に乗りたかったから。

好きな科目は数学。理由は点と直線の距離以外覚えなくていいから。

授業つまんなすぎてうさぎ飛びしたら死ぬほど怒られた。

観光旅行は嫌い。理由は景色見ても何も感じないから。

スポーツは好き。特に圧倒的に相手を叩き潰せる競技であればあるほど。でも、高校では結局体格に恵まれなくて、楽しめないことが増えた。

スポーツ観戦は嫌い。自分より優れてる奴を見るとイライラする(技術を学ぶ為には見る)。

弓道はずっと続けた。理由は試合に出られるから。

これが私でした。狭い世界でしか生きていないことがわかりますね。
絶対に近づきたくないタイプだな、と我ながら思います。

大学時代 人生最大の熱量

弓道部入りました。理由は試合に出られると思ったから。ホストみたいって思われてたそうです。まあ、浮いてたってことですね。今でこそ笑い話ですが、辞める奴筆頭と思われていたようです。

大学デビューしたかったので、部活入った割には真面目に練習せず、気がつけば試合に出る同期がいる一方で、自分は試合の手伝いやってました。

当然、死ぬほど負けず嫌いの私がそれを許せるわけもなく、全てを捨てて弓を引きはじめました。

そして迎える2年の秋終盤。公式のリーグ戦は終了し、Jr.戦一橋大学戦。16中/20射 とまあ、悪くない試合デビュー。遅咲きながらも、試合メンバーとして選ばれるようになり始めました。

そして、3年生への進学の時期でしたが、3年生になり学部が忙しくなると共に部活との両立が厳しくなる方々を見て、私は考えました。3年生にならなければたくさん練習ができると。
自主留年届を出す人って全然いないそうです。進学予定の学部も気に入っていなかったこともあり、私は更に弓を引き続けることとしました。

しかし、春シーズンの試合を重ねるにつれて私の射は崩れ始め、決定的だったのが全日本選手権の当日選手を決める練習。汗で弓が滑り、離れの瞬間に弓が後ろ側に吹っ飛び後輩に弓を直撃させるという事案を発生させました。
弓が直撃してもあてた後輩には頭が上がりませんが、こうして私は射の修正を余儀なくされ、的中が回復し始めた頃にはリーグ戦が終了していました。

その後、4年生の引退試合となる京大戦では16中/20射と、少し物足りないながらもそれなりの的中で3年生シーズンは幕を閉じました。

そして迎える4年生・・・学年的には3年生ですが、私は気づきました。来年は部活がないから今より遥かに暇になるということに。単位は来年回収することにして、私はより一段と弓を引き続けることにしました。

練習量を基本1日100射、時間がなくても80射を基本として、結果を出すために練習を続けていきましたが、この判断がよくありませんでした。4年生の私は常に怪我と戦い続けることとなるのです。4年春、早稲田大学戦前に肩鎖関節脱臼を発症し、その後も怪我から明けると的中を戻すために大量の負荷をかけ、更に肩肘を中心に怪我をするという悪循環に見舞われることとなりました。

春シーズンはほとんど試合に出られず、不安を抱えたまま秋のリーグ戦に突入していきました。チームとしては連戦連勝を重ね、1部入れ替え戦が見えてきていた状況。私も肘に痛みはあるものの、的中自体は出ていました。そして忘れもしない東京工業大学戦。試合前日の選手練習で私は19中/20射と肘は痛いものの的中としてはノリノリでした。そして試合当日、私は寝坊しました。

なぜ寝坊したのかいまだにわかりません。不規則な生活のツケが出たとしか言いようがないのですが、結局試合には出られず、次週以降は肘の痛みが限界に達し、まともに引くことすらできず、リーグ戦は1射もすることなく幕を閉じました。入れ替え戦中央大学戦では、2度の延長戦にまでも連れ込み、1部昇格に手がかかるところまで来ていましたが、僅かに足りず2部残留。当日夜は同期と道場で一晩中泣き続け、人生最大の悔しさを味わいながら、引退の時期を迎えることとなりました。

引退試合の京都大学戦は、リーグ終了からまるまる1ヶ月練習を休むと共に、体に優しい引き方を心掛けました。16射目までで12中と1ヶ月引いてない割にはいいかな、と思える的中で来ていましたが最終の4射がなんと1中。まあ、現役最後の矢はあたったからいいか、という引退試合でした。

大学院時代

引退して4年生。理系だったので、特に理由もなく大学院に進学することを考えていました。単位はたくさんありましたが、部活に割いていた時間がなくなったので、それでも暇でした。

この1年間は圧倒的なゲーム量でした。これまで、土日は試合が当たり前だったので、急に土日がフリーとなると何をして良いのかわからず、終日ゲーム、特にポケモン対戦をしていました。部活での先が見えない熱い勝負も良いものだと思いますが、やはり、圧倒的に相手を叩き潰す快感の虜になっていました。

そんな生活を1年間続けてしまったこともあり、大学院での研究生活は、生活リズムが崩壊した状態で送ることとなりました。昼の15時ごろから実験を始め、3時ごろまで論文読んだりデータまとめたり。帰ってゲームして、次の日また15時ごろから実験して。

こんな状態で成果が出るわけもありませんが、当時の私は、実験してるし、別に良くね?くらいにしか考えていませんでした。

研究は好きだし、続けたいとは思っていましたが、それでも、一度生活を正したほうがいいだろうと思い、強制的に規則的な生活を身につけるために企業に就職することにしました。研究続けるのであれば大学残ったほうがいいという考えもあったので、あえて研究職は受けず、なんとなく良さそうな企業を3社ほど受けました。そして、研究室の先輩が行ったからという理由で受けた今の企業に、縁あって入社させていただくことになりました。

普通の生活してる人と普通に過ごす日常の価値

以前の記事にも書きましたが、同期の中でも私のバックボーンは完全に異質でした。やっぱり浮いていたのでしょうか?

ここまで、私の話の中にバイトしたとかそんな話が一切出てきていませんね。そう、私は小売業に全くなんの興味もありませんでした。ですが、やはり性格的に負けず嫌いなので、一生懸命仕事しました。農学部で専門性少しでも活かしたいということもあり、入社は農産部門。朝早いのは苦手で、東工大戦は遅刻した私ですが、無遅刻無欠勤でがんばりました。まあ、当たり前なんですけど、それが頑張らないとできないくらい生活荒れていた、ということでご理解ください。

小売業の現場で働くと今まで自分が見えていなかったことが見えるようになりました。小売業の基本はトレンドを押さえること。いわば"究極の普通"です。普通や常識からかけ離れたところで生きてきた私にとって、その普通な生活を日々安心して送れることがいかに重要なことか、その普通な生活を守る小売業の使命がいかに素晴らしいことなのか、次第に実感として持つようになっていきました。なんだこのクソな会社は?と数えきれないほど思いましたが、一方で会社に対して恩を感じるようにもなり始めていました。

また、店舗で勤務していた私は、当然店を異動するわけですが、その度に一緒に働いてきたパートタイム社員の方が泣いてくれることに、少し嬉しさを感じるようになりました。そして、一緒に働いたからこそ日々どれだけ大変な思いをしながら仕事をしていただけるかもわかり、会社を変えててせめて一緒に働いたこの人たちの生活が、より豊かになれば良い。そんなことを考えるようになり始めました。

年を重ねて丸くなったとも言えなくはありませんが、あまりに強すぎる”個”であった私を、社会的に共存できる”人間”にしてくれたのは、間違いなく一緒に働いた上司、同期、パートタイム社員の皆様であり、小売業であり、今の会社でした。

外部機関への出向を経て、現在の経営戦略部(着任当時、経営企画部)に着任し、本当に会社を変えられる部署に着任しました。私一人では難しくとも、企画を部内で練り上げて、提案して、然るべき決議機関で意思決定がなされれば、その通りに会社が動く。そんな立ち位置にきてしまいました。

それでもすぐには会社を変えられない。企業が大きくなればなるほど、その動きは遅くなる典型的な状態であり、もどかしさを感じていたところで、DXという飛び道具が大歓迎な世の中となりました。

これが私がいつもいつもリテールテックばかり書く理由です。もちろん、リテールテックさえあれば良い訳ではありません。それでも会社を変える起爆剤として、加速度的に導入していきたい。それが私がリテールテックに拘っている理由となります。

お前のやりたいことは店のPOPを変えることなのか?

以上のべた自分の生涯を振り返り、自分の情熱を再確認したところで、POP Analyzerについて、上司である経営戦略部長に話を持っていきました。

その中で、DXはまるで本社が巨額の投資をして現場がただ従うだけの構造になっていることが許せないこと、自分が店にいたときにできなかったことができる世界になってきているのだから、それを手軽に店でも使えるようにしたいこと、その思いを伝えた上で、POP Analyzerの話をしたところ、標題の問いが投げかけられました。

私は答えました。

POPはできそうだと思ったから選びました。

本社がトップダウンで落としているだけのDXを現場でもできる形にする。この情熱はわかったし、誰も否定しない。
まずは手を入れられるところに素早く手を入れたい、それもわかるし正しい。でも、それでやるところがPOPだけでは共感は得られない。もっとやりたいことがあるだろう。

という問いかけをいただき、政策発表の準備が終了した後1時間議論させていただきました。感謝してもしきれない。

そして、考え抜いて出した結論、売場の人が見たいのは、自分が魂込めて作った売場に対して、お客さまがどのように反応しているのか、ではないか。POPはあくまで一要素、見るべきは魂を込めた売場、という結論です。

使用する技術自体は従来のPOP Analyzerと大きく変わりませんが、その意味が大きく異なります。

商品の配置、場所、陳列方法、衣料品であればVP、いわゆるマネキン。
一つ一つ、売場担当者が悩みに悩み抜いて出した結論が売場としてお客さまの目に触れているわけですが、その売場の是非を知りたいのが売場担当者の本音です。

私も自分が納得のいく売場を作るために、朝の4時まで作業を進め、6時の商品入荷と共に、完璧な状態に商品を陳列したこともありました。早朝オペレーションの人とおはようございますして、こんな時間から働くなんて大変だと思った、という話を同期にしたら、大変なのはそんな時間まで働いてるお前のほうだろ!と突っ込まれました。
また、前日の2時まで翌日分の商品準備を進めたこともありました。その時は中型の店でしたが、該当商品の週間売り上げでは南関東地区で一位という結果を取れました。他にも、思い返せばキリがないほど売場に魂をこめてきたつもりです。

もちろんその時の全力を尽くして売れたことは売れたのですが、一日売場に張り付いているわけにもいかず、結局お客さまの反応はどうだったのか、もっと改善すべき点があったのではないか、そのような情報は全てわからず闇に葬られています。

今私は売場ではないですが、思いを同じくする人にこのツールを使っていただき、売場に魂を込める喜びをさらに味わってほしい、そして店でも独自にデジタル技術を使えるんだという希望を持ってほしい。その想いとともに、この企画を推進していきたいと考えています。

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