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見た目的
うん?今朝両足の太腿が筋肉痛だ。走っても無いし筋トレもしてない、週の終わり金曜日はいつもよりのんびりめ、家事や食事もサボる日で、特別なことなんてなにもしてないのに。
なのに、なんで??
昨日の一日を振り返ってみた。いつもと違うこと、普段あまりしないこと、そんなあることをしたことに気付いた。
『7センチヒールを履いて歩いた』
えっそれだけ?そんな声がどこからか聞こえる。
わたしは身長が169センチあって、友達の中でもどこでも、まぁまぁ高めなのだ。靴を履くと170は超え、ヒールなんかを履いた日には175センチなんかすぐに追い越してしまう。だからか、昔からあまりヒールは履かない。ジャンボな女は可愛げがないと思い込んでいるのかもしれない。それでも、あやつが奏でる「コツコツ」は、できる女風が漂い、武装したいときには力を借りてきた。
今手元にある靴でヒール靴は2足。その内の1足を昨日履いた。ヒールの高さは7センチ、わたしの身長は177センチになった。バレーボール選手みたいな身長になった私は、歩いていても人間の頭一つ大きい。隣を横切る小さな女子を可愛いと思う男性目線が内に芽生える。
身体がでかいからと言って、心が広く強いとは限らない。
見た目には姉御。どこからでもかかってこい、わたしが相手になってやる!私の醸し出す雰囲気はそんなもの。ところが、中身は180度あっち側にあって、人が沢山いるのを見ていたら、心がなんとなくザワザワしてくる。動悸がしてパニックにまではならないが、どう観察しても心にざらつきを抱えている。不安の種はいつも内にあるってことなのか。
わたしは、見た目的に得をしてきたのか?損をしてきたのか?
姉御、男前、強い女、カッコいい、サッパリ、私の見た目だけで、私を表現され使われてきた言葉。
ホントの私は、妹、女前、弱い女、カッコ悪い、めんどくさい、これらが内面を表現した言葉。
どちらの私もわたしか。服に裏地があるように、人間にも裏がある。どちらが表でどちらが裏か、そんなことどーでもいい。
一つ言える確かなことは、二つで一つってこと。
私の日常には、見えない糸がめぐっている。その糸にハマった小さな幸せの種を、どこまでも無限に深め広げるわたしは最強に幸せだ。
素敵な種はあちこちで見つかるからこそ、その裏側に隠れる不安の種さえも、とてもとても愛おしく思っている。だからさ、見た目の裏側に在るものも、これからもずっと抱きしめていきたいねん。
ヒールを履いて歩くことも、立派な筋トレになる。たまにはジャンボになることも意味があるってことだぁね。
だけども、太腿の筋肉痛は歩くと痛い…。(涙)