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<人魚と金魚>Kaoruko 2025ver.
人魚。人魚は幻影なのか?実体があるのか?
物があり影が生ずる。これ、理り。だが、影があり物が生ずるとしたら?
2025年の私のテーマ、<人魚と金魚>
人魚姫はアンデルセン童話だ。上半身が人間で下半身が魚。人魚姫をテーマにした映画や物語、コミック、小説も山ほどある。もしかしたら、男性の人魚もいるかもしれないし、上半身が魚で下半身が人間の人魚もいるかもしれない。いや、下半身が人間なら人魚とは言わないのか?
人魚姫が生きる空間は海、人間が生きる空間は陸。陸に上がってきた人魚姫には足が生え、見た目は人間と変わらなくなる。だが、海に入ればヒレが生える。
人魚姫に関連づけた私のテーマは、<記憶と記録>だ。
2024−2025の年末年始、韓国ドラマの<青い海の伝説>20話を見終えた。主演は、チョン・ジヒョンとイ・ミンホ。
ここに人魚が登場してくる。2025始まりにこのドラマを見て、2025ver.Kaorukoを考えてみた。
ここでの人魚の能力に人間の記憶を消すことがある。
童話みたいに王子と恋をするわけではないが、人間の男と恋をする。二人は時代を超え何度も生まれ変わりながら縁が続いていく。
そこで考えてみた。
もしも、私の記憶が消されたとしたら??
まずは、<記憶>について色々調べてみた。
記憶とは
物事忘れずに覚えていること。また覚えておくこと。
(心理学)過去の経験の内容を保持し、後でそれを思い出すこと。
・・
(生物学)生物に過去の影響が何らかの形で残ること。
(コンピュータ)必要な情報を保持しておくこと。メモリ(曖昧さ回避)を経て各記事を参照のこと。
記憶にも色々あるようで、感覚記憶・短期記憶・長期記憶・自伝的記憶・展望的記憶などがあるらしい。
匂いや香りは感覚記憶に繋がっていくのかもしれない。
私は日々を記録している。日記ほどのものではないが、気になったことや気になった言葉、思いついたこと、などなど取り止めもなく記録する。
それらは気が向いた時に振り返る。最近では一年の終わりに振り返り、1年間の総まとめなんかにしたりする。
言葉も心も気持ちも表れては消え、消えては現れる、一つのところに止まっていないものであるから、日々の暮らしの小さなことを記憶しておくことは困難だ。だからこそ、記録が役にたつ。
日々を記録、時間が経過し、ある時点で記憶を消されたとしても、それ以前の記録は残る。記憶を消された時点以降にその記録を読み続け記憶にしていくことができたら、記憶は消えない。そうなのだ、全ては無かったことにはできない。
記録を続け、記憶を消され、記録を読み続け、記憶が現る。
物語は、続く。
年末年始の視覚からの気づきは私の中を一回りし、金魚として現れた。
あの日からの全ては無かったことにはできない。記録と記憶を繰り返しながら、あれからの物語は続く。それらは、豊かな繁栄をもたらすかもしれない。
2025年はあれからの物語が続く一年にしていく。あの日の私も今の私も全ては地続きで途切れていないのだから。金魚ってね、豊かさの象徴らしいよ。
人魚と金魚、私の2025年は魚だな。