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【365カレーエベレスト街道トレッキング2024:本編9】

(2024年春のネパール旅行の20日間を日記形式で綴っております。)



【ネパール旅行9日目】2024年4月2日(火)

標高。そして経験則。

標高4,400mくらいのディンボチェで過ごす、エベレスト街道に入って三日目の夜。
寝袋には入らず、上から掛け布団のようにかけて、その上から宿の布団もかける。服装は、長袖Tシャツと軽量で薄手のダウンジャケット、下はトレッキングパンツとダウンパンツを重ねて履いた。これで寒くない。というより、ほのかに暑いかもしれないくらいだ。
体が冷えると体温を維持するためのエネルギーを無駄づかいしてしまうからよくないと聞くが、暑いのもどうかと思いつつ、まあ汗をかくほどではないので適温ということにしよう。
環境が僕に合わせてくれるはずもなく、僕が環境に合わせるしかない。

夜中に何度かトイレに起きる。お腹の調子が悪い、わけではない。
今夜のロッジは部屋に専用トイレが付いているのもあって、トイレに行きやすい。
壁の薄さは相変わらずなので、隣の部屋の人はどう思っているのか、僕のトイレ音は漏れてしまっているのか、そんなことが気になってしまった。
ここでこそ音姫(トイレ用擬音装置)が役に立ちそうだ。

話がそれてしまったので戻す。
トイレも含めて、体を起こすたびに息が上がってしまう。頭も少し痛む。ベッドから出ると、さすがに寒い。ここは標高4,400mということを再認識。
標高が高いのももちろんだろうが、もともと僕は鼻炎持ちだ。ここではさらに鼻が詰まって口呼吸になってしまう。それで呼吸が浅くなっている可能性もありそうだ。
そして、同じく、口呼吸の影響か、喉も少し痛い。

自発呼吸だけでは苦しくなってしまう環境を楽しんでいる自分もいるし、このままもっと体調が悪くなったらどうしようとやや不安になっている自分もいる。

仮に体調が悪くなり続けているとしても、不安になっているだけでは解決しない。もっと言えば、標高が高くなるにつれて、体調が異変を来すのは当然の反応なのかもしれない。
僕の体調はこの後、回復するのか、悪化するのか、注意深く且つ冷静に観察しつつ待つしかない。
初めての標高(酸素の薄さ)に身を置いていることを第一に、他にも初めてづくしの状況では、これまでの経験則が通用しないことを思い知る夜になった。

Hotel Stupa Innの食堂の朝

起床。そして希望。

6:00頃、起床。うがい、歯磨き、乳酸菌、と日課をこなす。
鼻をかんだら血が混ざっている。昨日は土埃だと思っていたのも血だったのかもしれない。
とある人から教わったことのひとつに、乾燥と寒さで鼻の中が切れるという話があったが、それなのだろうか。
いずれにしても、今までで一番体調が悪い気がする。起きてしばらく深呼吸しても回復し切らない。
とはいえ、経験則からの判断ができない。
これまた不安が無いと言ったら嘘になるが、新鮮な感覚であることも間違いない。
頑張ってください自分の体。冷静に、自分の体にそう言い聞かせる。
こんなことをしている時点で冷静さを欠いている可能性は否めない。

不安に負けかけているのか、これまでずっと問題無かった食欲もイマイチな気がしつつ、食堂に向かう。

今朝もタトパニがおいしい。
そういえば、標高が高くなってからというもの、お湯(hot water、ネパール語だとタトパニで通じる)が非常においしく感じる。
これまた新鮮な感覚。

トーストと卵とシンプルおかず=名づけてインターナショナルパワー飯&タトパニ

タトパニを飲んでまったりしていると、太陽もすっかり昇り、食堂内も明るくなった。
明るい食堂で、インターナショナルパワー飯をゆっくり食べる。
さらにミルクティーを飲んだ。

ほっこり

時々「ほっこり」ってどういう意味だ? と思いながら生きてきたけれど、こういう時のためにある言葉なのかもしれない。

朝は不安を連れ去り、食事は元気を呼び起こす。
これは2021年に四国お遍路を歩いた36日間で実体験して、思い知ったことのひとつ。久しぶりに思い出した。身体にはこんなにも素敵な機能が備わっているのに、東京での日常生活ではほとんど感じなくなってしまっているなんて、もったいない。

コトリちゃんも、今朝は朝食をちゃんと食べている。

不安からのギャップが大きいせいか、1時間前の自分が嘘みたい。僕は元気になった。
そして快便。(お食事中だったらごめんなさい。)

今朝も来てくれたポーターM君に、今日もよろしくと挨拶。
ガイドSさんにも行けそうだと報告した。
そして、今の希望的な元気さだけではなく今朝の体調についても報告。
今日は今まで以上にゆっくり進むことにしよう、ということで合意した。
次の売店までどれくらいなのか? どれくらい水を持って行けばいいのか? 等々も相談し終えて、いざ、出発。

今日も絶景

出発。そして出会い。

8:00過ぎに宿を出発。
視線を上げれば山々の絶景に囲まれていて、視線を下げたら草原のような場所を歩く。

ラメチャップで足止めされていた三日間を取り戻すかのように、先行していた人たちに追いついたということだろうか。昨日までよりもトレッカーが多くて、やや賑やかな印象だ。

我らがガイドSさんは、別のグループをガイドさんの中に仲間を見つけたようで。二人並んでおしゃべりしながら歩いている。
こんな場所に仲間がいるなんて、僕の日常生活では想像できないが、そりゃそうだとも思う。とにかく、なんだか楽しそうにしているのだから、何よりのことだ。

左がSさん、右はそのガイド仲間だろうか

その様子を見てコトリちゃんが楽しそうにしている。
さらにそれを見た僕も楽しい気持ちになる。楽しい連鎖。

楽しげなコトリちゃん

楽しく歩みを進めていると、生えている草がどんどん少なくなっていく。
氷河ではないが、川の所々が凍っている。
この四日間だけでも、様々に景色が変わって、「エベレスト街道」と一言で言うものの、表情の豊かさに驚くばかり。

氷河からここにつながっているのかもしれない
谷の向こう側がドゥグラ(Dughla)

11:00前にドゥグラ(Dughla/標高4,620m)という谷のような所に着いた。

Sさんが言うには、ここから先のトゥクラパス(Thukla Pass)という峠へ向かう登り坂が、エベレスト街道で最も急な登り坂らしい。
その前に休憩を取っておこうという話になり、Kala Pathar Lodge で少し早めの昼飯 Dhal Bhat(ダルバート)。
お店によってダルバートのダルの表記がDhalだったりDalだったりDaalだったりするのも興味深い。結局は、現地の言葉にアルファベットを当てただけで、本質的に正しい表記というのは存在しないということだと思う。

Kala Pathar Lodge の Dhal Bhat

ダルバートを食べていると、近くで日本語が聞こえてきた。
エベレスト街道を歩き始めて、初めて会う日本人だ。
もっとたくさん日本人がいるものだと思っていたけれど、この三日半で日本人らしき見た目の人を見かけても、中国や台湾や韓国の人だった。

エベレスト街道で初めて話した日本人

お名前こそ聞かなかったものの、とても興味深い方だった。
癌を患っており、しかも末期だという。それから人生でやりたいことをしようと思い立ち、エベレスト街道をトレッキングしているそうだ。ちょっと前にはキリマンジャロにも登ったと言っていた。
その彼が、お店の人とネパール語で話しているから、びっくりする。なんと、独学で勉強したのだとか。
他にも驚くことを教えてくれた。いわゆる人工肛門をつけているらしく、それが凍るほど寒くなってしまったら、その先には進めなくなってしまうらしい。
話しぶりや、もりもり食べる様子からは、まるで余命宣告されているようには見えず、むしろ活力のようなものが滲み出ているようにさえ見えた。
命の輝きというのは、今この瞬間にあって、少し未来の命の危うさとは無関係なのかもしれない。
彼が長生きできますように。そう祈るのは、あまりに凡愚な気さえする。

酸素の薄さゆえ、意識的に呼吸をせざるをえない環境だから、ただでさえ自分が生きているという実感が強い中、さらに自分が生きているということを改めてしみじみと考えさせられる時間だった。

奥に Thukla Pass への登り坂が見える

登る。そして震える。

生きている僕らは先に進む。
早めの昼飯を終えて、表に出ると、少し風が強まっている気がした。

ここまでにもっと急な坂があった気もするけれど、標高が高まっているので苦しさは一番かもしれない。そんな長い登り坂を、深呼吸しながらゆっくり一歩一歩進む。
トゥクラパスへの坂を登り切ると、上の開けた場所にはお墓がたくさん立っていた。
エベレストで亡くなった方のお墓なのだろう。
今日は生と死とせわしない。
お墓周辺だけ風が穏やかになることに、変な意味を見出しそうになるが、おそらく谷から丘へと地形が変わっているからに過ぎないのだろう。

お墓で手を合わせた

その後、風もやや強く、だんだん寒く感じる中、1時間程歩いただろうか。
14:00前には今日の目的地のロブチェ(Lobuche/標高5,000m付近)に到着。
今日泊まるロッジの名前は OXYGEN RESTAURANT & HOME。

OXYGEN RESTAURANT & HOME

OXYGEN RESTAURANT & HOMEの部屋でひと休みしてから、ガイドSさんと話していたら、この近くにある標高5,000m超の丘に登ると、向こう側にクンブ氷河とエベレストベースキャンプが見えるという。
ただただ見てみたい。
荷物を置いてその丘を登ることに。

準備を整えて、ロッジを出ると、コトリちゃんが寒いと言い出した。
確かに、ここは標高5,000mだし、やや曇ったりしているし、当然これまでで一番寒い。

サガルマータ国立公園のLOBUCHEの看板

コトリちゃんが着込むのを待って、丘登りに出発。
深呼吸しながらゆっくり登る途中。突然、コトリちゃんが立ち止まり、それから嘔吐してしまった。
一瞬、何が起こったのか理解できず、びっくりした。
引き返そうか。相談すると、丘の上までもう少しで、吐いたらスッキリしたので行けると話すコトリちゃん。
それならと、丘の上まで登ることにした。

写真で見返すと苦しそうなコトリちゃんと僕

僕だって楽だったとは言えないが、丘を登り切った。
視界に入る景色に息を呑んだ。
色々な本や人の話で見聞きしていたクンブ氷河やエベレストベースキャンプが自分の直接の視界に入る日が来るとは。
僕の体が震えているのは、寒さのせいなんかじゃなかった。

肉眼だと真ん中にエベレストベースキャンプが見える

ピンチ。そして食事。

感動の丘から降りてきてロッジに戻った。
コトリちゃんは、まあまあ元気そうだ。
今夜休めば大丈夫だろうと言っているし、僕からもそう見えた。

が、ピンチは忍び寄ってきていた。

夕飯前に血中酸素濃度を計ったら、コトリちゃんの数値がおかしい。ちょっと低すぎる気がする。
一般的には「90%未満になると危険な状態」とも言われたりするが、ここは標高5,000m。ガイドのSさんでさえ80%台、ここでもまだ食欲旺盛な僕でも70%台、これで元気とみなされる。
とはいえ、小鳥ちゃんは何度か計測しても55%くらいしかない。

やばい!?

心配していると、そこに現れたのは、このロッジのオーナーと奥さん。
オーナーは日本で働いていた経験があり、日本語上手。奥さんは看護師の経験があるという。

オーナーは穏やかに「頭痛いですか? 10段階で言ったら、何番くらいの痛さですか?」とか聞いてくれている。
優しさがありがたい。

ガイドSさん(左)とロッジのオーナー(右)

オーナーが医者に電話して、薬とか酸素吸入について、色々と相談し、指示を仰いでいる。
時々、日本語で解説してくれるからよくわかる。
ありがたくて、涙が出そう。

あれ、もしかして、僕が思っているよりも深刻なのかもしれない。

ガイドのSさんが僕を食堂から外に連れ出して質問してきた。
コトリちゃんがここから先に進むのはやめておいた方がいいと思うが、僕一人でも先に進みたいか? と。
この状況でパートナーと別行動を選択する人も過去にはいたらしい、それに驚きつつ、僕はコトリちゃんと一緒に行動したいと伝えた。

食堂に戻ると、医師の判断もあって投薬と酸素吸入で経過観察してはどうか? という話になり、合意した。
というか、合意するしかない。

酸素吸入中のコトリちゃん

夕飯は一旦やめて、部屋にセッティングしてもらい、酸素吸入開始。
すぐに血中酸素濃度が正常値に戻った。さらに、冷え切っていたコトリちゃんの手も温かくなった。酸素が足りていなかったことが明白。加えて、酸素の大切さと人体の機能のすごさも思い知る。

その間に説明を受ける。
しばらく酸素吸入して、その後にボンベを外しても数値が安定すれば、一時的な症状だったと判断できるが、ボンベを外すと数値が下がってしまうようであれば、肺水腫等の疑いもあるため病院に行った方がいい、とのこと。

この時はまだ、OXIGENという名前のロッジで酸素(英語でoxygen)吸入だなんて、ダジャレみたいだと思う余裕はあった。


食事。そしてピンチ。

いったん酸素吸入を終えて、様子見のため、食堂へ。

元気な僕だけでも何か食べるよう言われ、メニューを渡された。
標高5,000mにしてノンベジ(つまりお肉のカレー付き)のダルバートがあることに驚く。さらにこの状況でも食欲がある自分にも驚く。

標高5,000mのノンベジダルバート

隣のコトリちゃんは食べ物なんか見たくもない、という顔をしているし、実際にそう言っている。今は特にニンニク等の匂いでも気持ち悪く感じてしまうらしい。
僕はといえば、こんな状況でもうまいダルバートって普通に食べたらどうなっちゃうの!? と思っている。薄情さも残る自分の余裕に少し安心。
正直、コトリちゃんの体調が心配で、自分の精神状態がどうなっているのか自分でも判断がついていない。

コトリちゃんは、ニンニク抜きでスープをお願いしたものの、やっぱりニンニクの匂いがするスープが出てきてしまって困っている。そのスープは僕がありがたく飲ませてもらうことにして、コトリちゃんは、たまたまガイドSさんが持っていた日本製の北海道たまねぎスープの粉末をお湯に溶かして飲んでいた。もう食欲がゼロに近いみたい。

食後に再度、血中酸素濃度を測る。
こんな時に女性(オーナーの奥さん)が立ち会ってくれるのは、コトリちゃんとしても安心できるのでないだろうか。
結局、数値的には厳しい状況で、先ほどよりも少し低くなっている気さえする。

念のために僕も計測する。その数値を見て、オーナー奥さんが親指を挙げてくれた。
「あなたは大丈夫ね!」と心に直接語りかけてくるようだ。
きっと僕の不安にも気をつかってくれている。
本当に本当にありがたい。

結局、肺水腫等々の疑いが消えないため、病院に行った方がよさそうだということになった。
だけど、どうやって?

そして、ガイドのSさんは僕をまた食堂の外に呼び出した。
今度は電話を旅行会社の社長Lさんにつないで話す。
Lさんが言うには、
・今日はもう日が暮れて無理なので、明日の朝一でヘリコプターを手配する
・ヘリコプターでカトマンズに戻り、そのまま病院に向かう手配を進める
・保険で賄えるように手配するから安心して欲しい
ということだ。
へ? へ、ヘリコプターですか? 大袈裟過ぎませんか? それとも、僕が軽く考え過ぎでしょうか? というのは声には出さず、自問というか、僕の心の中で可能性として残すだけにして、「よろしくお願いします」と声に出して伝えた。心の底から。

血中酸素濃度48%(看護師の友達が言うには「勤務中にこの数値を見たら死ぬと思う」らしい)

コトリちゃん本人は「少し気持ち悪いけど大丈夫」「明日の朝、治ってたら歩いて戻りたい」とかなんとかむにゃむにゃ言っているから、逆に気味が悪くなってきた。
酔っ払いが「酔っ払っていない」と言う時は酔っ払っている証拠だったりする。

寝やすいようにマスクではなく鼻から酸素吸入するようにしてくれた

夜通しで酸素吸入をすることになる。
吸入していれば問題無い数値に戻ることが、せめてもの救いだ。

はっきり言って、僕もそれなりに息苦しい。
僕だけでも大丈夫でいなければならない使命感に平静を装う。

本当に今日は生と死とせわしない。

もし、自力でここまで来ていたらどうなっていたのだろうか……
ゾッとする。

長い夜になりそうだ。




実は、2025年秋頃を目安に再びエベレスト街道トレッキングに行こうと計画して、いま資金を貯めています。図々しいですが、下記の[いいなと思ったら応援しよう!]のところ等から[チップで応援する]をしていただけると助かりますし、とても嬉しいですし、非常にありがたいです。そこまでは無理でも、とにかく、ここまで読んでいただいて恐縮です。本当にどうもありがとうございます!


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365curry 南場 四呂右(なんば しろう)
チップをいただけたら、貯金にまわします。嘘です。ちゃんとカレー活動メインで使い切ります。たとえば僕の好きなカレー屋さんが儲かったりします。