何者かになりたかった私
こんにちは、moikoです。
今日ふと思ったというか思い出したことがあります。
私はずっと今の自分ではない「何者か」になりたがっていたな、
と。
小説家になりたかったお話はnoteに書きましたが、◯◯家といった仕事のような自分の名前が看板の仕事をするような人になりたかったんだと思います。そして、富と名声の一発逆転ホームランをいつか打ちたいと願っていた。
そうすれば今までうまくいかなかった過去の経験や人間関係を見返せる、帳消しにできると思っていたから、なんだろうな。
そんな動機で私の思う所の何者かになれたとしても、過去は0にはならないだろうし、幸せではないだろうな。
世の中の成功している◯◯家の人で自分が好きな人達は、根本はそれが好きで好きで、好きなことをただひたすら続けていたら、気づいたら誰かが見ていてくれたとか、必要とされていた、とかで成功している気がします。
これを書いている時に思ったのは、現代っ子がYouTuberになりたいのも似たような理由からなのかもと思いました。今は簡単に自分の看板が自分でいつでも出せる時代ですよね。看板に偽りありだったり、まだ未熟であっても注目はされるわけで…。
もし、私が現代っ子だったら、YouTuberになりたいと思っていたかな?
ずっと何者かにならなきゃいけない病に追い回されてたけど、散々悩まされた挙げ句、ある時ふと気づいたんです。
私は私になろう
私は1番私になりたい
と。
長い間チルチルミチルが青い鳥を探すかのように、どこかにいる何者かになった私を探し回っていたのだけど、今ここにいる私をおざなりにしていたことに気づいたのです。
何か他の者になるんじゃなくて、まずは私自身を見つめて私らしくやっていこう
今はこれに取り組み中です。ずっと自分を見ないで来たから、急に私らしくってちょっと難しいです。でも、何者かになろうとしている時よりずっと楽です。
何者かにならなくても、人生は楽しめる
ただ、夢中になれるものは見つけたいなぁとは今も思っています。その方がきっと生活が豊かになるんじゃないかなぁ。
この話を友達にしたら、「満塁ホームランじゃなくて、ヒットを打ち続けるでもいいよね」と言われました。
なるほど!座布団1枚!
まずはウォーミングアップをして、試合に、それから塁に出られたら嬉しいな。
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