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50有余にして惑う

今年の誕生日は体調不良でスタート……

今年の誕生日は過ぎた。
8月29日が誕生日で、53になった。

誕生日の2日前、新型コロナウイルスに感染したかもしれない風邪を引いた。

最初は微熱。でも体質的に熱に弱いので溜まっていた作業(小さな子ども食堂チームでボランティアしてて会計を担当している)が手につかない。
その翌日が、月イチの子ども食堂の開催日である。

実は同時期に子ども食堂の主催者ご夫妻が新型コロナ感染していて、私はその2日前にご夫妻と会っている……。

置き薬屋から以前購入したことがあるインフルエンザと新型コロナの陽性/陰性を調べる検査キットがあったので、開封して説明書に従って行う。

喉の奥まで付属の綿棒を差し込むか、鼻の奥まで付属の綿棒を差し込め、とある。
しっかりと粘膜?粘液?を採取しろという。

ここに誰か容赦のない第三者がいたなら、きっと必要十分なソレを採取できたかも知れない。
私は私なりに頑張って、鼻の奥まで綿棒を突っ込んでグリグリした。

検査キットの試薬にそれをつけて結果を待つ。

新型コロナ感染の思い出

2年前に新型コロナに初めて感染した時のことを思い出す。
私には夫がいて、夫の両親がいた。
いた、と過去形なのは、夫の父は存命だが、夫の母は昨夏、天に召されたから。
まあ、その夫の両親は在宅介護を受けていて、夫の父は脳梗塞後遺症で左半身麻痺、夫の母が同じく脳梗塞後遺症で言語不自由で膝変形関節炎が悪化していて車椅子生活。夫と私の世帯とは別居しているものの、そんな両親の介護関係の件で、お世話になってた小規模多機能介護施設から、しょっちゅう連絡が入ってくるので、私は無職状態で呼び出されたらなるべく対応できるようにしていた。
そんな中で、夫両親が新型コロナ感染。
夫の父の方がワクチン接種を拒否し続けてきたせいで重症。
即入院を勧められている状態。
夫の母はワクチン接種をしていたので比較的軽症ながらも、夫の父が入院となると世話する人もいなくなるので入院を勧められた。
夫の母は素直に入院に賛同してくれたが、夫の父は「ここで死んでも構わないから入院はしない」と言い張る。
その夫の父を1時間半、小規模多機能介護施設の担当者と説得する。
その時に着ていたジャージも捨てるほどに私は用心したのだが、夫が不用心で、夫が感染し、私までも感染したのであった。

今回の結果は陰性だけども……

前置きが長くなった。
で、その時のPCR検査では、もっと遠慮会釈なく綿棒を鼻に突っ込まれて涙出たほどやられたのではなかったか?

試薬の結果は、陰性。
ホッとする反面、私の鼻の綿棒のツッコミの甘さへの後悔が疑惑のタネになる。

かかりつけのクリニック(私の持病は糖尿病なので糖尿内科)に行くとしても、夫は泊まり勤務(公共交通機関勤務)だし、娘(心理学専攻の大学2年)も私もペーパードライバー。
高熱の私には、病院に行く気力もない。
その2日後の誕生日に微熱になったが、木曜日でクリニックはお休み。
金曜日には平熱に戻ったので、結局、クリニックで診察と検査をするキッカケを失ってしまった。

パートのこと

さて、私は家電量販店でパートをしている。
夫の両親が、新型コロナ感染で入院した際に、夫の父の足がいよいよ弱ってしまい、夫の父も車椅子生活となってしまった。
小規模多機能介護施設による訪問介護では支えきれなくなって、有料介護老人ホームに入居してもらえるようなったのが一昨年の夏。

昨春、夫の母が脳出血で倒れてしまったが、そちらは老人ホームと相談しながら対応しつつも、私は就職活動を始めていた。
娘の大学入学での入学金からの授業料を賄うと生活費が足りない。
当初は、派遣社員で週3でのデータ入力の仕事を狙っていたのだが、基本事務職は週5だし、年齢的にも20〜30代の同僚が多くなるせいか書類選考で落ちる有様。

そこで派遣会社からバイ◯ルでの募集に切り替えて販売系で探してみて、履歴書を忘れると大失態をしたにも関わらず、なぜか採用してもらえたという奇跡でパートとして就職できた。
だが、1年ほど経っても失敗しかないようなダメな販売員で、いつまで経ってもオロオロマゴマゴしている。

そんな私であるせいか、お盆の時期に1週間シフトに入らなかったら、翌週もシフトを入れてもらっていなかった。
まぁ、日頃の業績を考えると、繁忙期に私がシフトに入っている方が他のスタッフの足手纏いになるくらいのレベルで仕事できないので、それはそれで仕方がない。
実力主義の会社なので。
それなのにまだ在籍できていること自体がありがたい。
ここのパート仕事はシフトに融通が利くところがありがたいところ。

へっぽこだからクリスチャン。

私は実はクリスチャンでもあって、小さな教会だが教会役員としてここでも会計担当をしているので銀行関係や役所関係の奉仕(教会における仕事や作業は奉仕という)は平日に行う必要があることも多い。
教会役員と言っても、人手がないのだ。
クリスチャンは洗礼を受けた日から新しい命を生きていくのですが、ちょうど昨年のクリスマスで10年目。クリスチャン10歳児ってところ。
教会役員というのは、偉くもなければ権力もない。
むしろ、教会員の皆さんと教会運営のための縁の下の力持ちだ。
クリスチャンは人格者にならなきゃいけないとかお堅いとか思われがちなんだけど、むしろ神様は、へっぽこで欠点の多い人間ほど先に救ってくださるもんなのだ。
ちなみに、私以外に家族も血縁も一族郎党含めて、クリスチャンは私だけだ。
そんな私がクリスチャンになったワケについては、また後日の投稿で。

そして、先述したように、子ども食堂のボランティアで会計の仕事もしている。
日曜日はクリスチャンにとっては大切な礼拝があり、礼拝の進行役(司式という)を務める週もある。
これは基本、毎月第4水曜日に行われているが、水曜日は他にも教会関係の地域向けイベントがあるし、たまに土曜日にも教会のイベントがあれば奉仕参加をすることも多々ある。

となると、平日に家電量販店のパートとして働けるのが2日くらいになる。
1週間、週7でフル稼働してたら、私が倒れちまいますしね。
ほんとは週3のつもりだったけれど、そこも今のところは了解してもらって働かせていただいている状態である。

ついで言えば、糖尿病の数値をよくして体力維持のために、筋トレのためにカーブスにも通っている。
パートを始める前は週3で通っていたが、今は週2通うのがやっとだ。
カーブスでの話も、後日の投稿で。

そんな日々にあってモラトリアム

と、まぁ長々しくもどれが本筋の話なのか分からないくらい寄り道寄り道しながら徒然に書いてみたけれども、とりあえず、私の自己紹介くらいにはなったでしょうか?

50歳を過ぎてなお、私は何に向いているのか? 私には何の能力があるのか?
どんな仕事ならば周囲のスタッフやお客様に迷惑をかけないでやっていけるのか?
夫の母の葬儀の席では、夫の母の兄弟姉妹や夫の従姉妹に散々と事務処理はするけど、愛情を持って夫の母を世話をしなかった嫁呼ばわりされる有様。
私、結構尽くしたんですけどね。
言われるままに耐え忍んで、喧嘩にしなかっただけ、我ながらよく頑張ったと思う。
同居しなかったということが、彼らは許せなかったらしい。
同居しなかったのは、お互いの同意があってのことなのに。

50過ぎてもモラトリアム。
孔子は四十にして惑わず、五十にして天命を知る、と言ってましたけど。
ちっともだよ。惑うばかりだよ。

しかし、私はクリスチャンの端くれなので、論語よりも聖書に従うのが筋ってもんだ。

惑いつつ、日々を過ごす。
時折、「見るべきほどのことは見つ」という『平家物語』の平知盛の気持ちになりつつも、彼の如く自害の道は選ばないし、選べないし、イエス・キリストはすでに私が世に勝っているのだから、生きなさいとおっしゃるので、ともあれ、生かされている限りは生きるしかないよな、と目の前に来た球を打ち返す日々。

気が向いた時に、それを綴っていこうと思って、note始めました。

ちなみに、目の前に来た球を打ち返す、というのは、赤瀬川原平さんの言葉です。

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