急に発生したご近所付き合いイベント
夕方、晩御飯の材料を買い込んで家に帰ってくると、マンションのエントランス、その端にある管理人室から、なにやら警報音のようなものが鳴り響いていた。
「○○号室で緊急事態発生」というような文言を、くぐもった電子音声が繰り返し唱えていた。
その時は「なんか鳴ってんなあ」と思うに留めてエントランスを通過し、その奥の自分の家まで歩いていった。
しかし、鍵を開けて玄関先にエコバッグを置いた時、「あれ、あの○○号室ってお隣の部屋番号だよな?」と思った。
聞き間違いだったら恥ずかしいので、念の為もう1回エントランスまで行って電子音声に耳をすませてみると、
やはりそれはお隣の家で緊急事態が発生していることを知らせる音のようだった。
このマンションに20年近く住んできた中で、1度も聞いた事のない爆音に若干動揺しつつ、お隣のインターホンを押してみた。
すると、ノータイムで扉が開き、昔から隣室に住んでいる年配の女性、ワタナベさんが、とても憔悴した様子で出てきた。
こちらが「隣に住んでる者なんですけど…」と言うと、ワタナベさんは「なんか鳴っちゃってましたよね!?」と言って、いきなりこちらに深々と頭を下げてきた。
突然の誠実すぎる謝罪体勢にこちらが気圧されていると、
ワタナベさんは、こちらがまだ何も質問していないというのに、事の発端を独りでに語り始めた。
彼女の言い分は、「亭主が出かけてしまって暇だったから、なんとなくインターホンの周りを掃除していて、気が付いたらとんでもない音量の警報音が鳴ってしまっていた」
というような内容だった。
確かに、うちのマンションのインターホンはここ数年で新調されたもので、その上部には赤文字でデカデカと「非常 - EMERGENCY」との記載がなされた仰々しいボタンが存在した。
まあ普通にこれを押しちゃったんだろうなと思っていると、何故か家の中にあげられて、原因となったインターホンの本体を直接見せてくれた。
掃除の最中だったのか、そのボタンの周囲に嵌め込まれていたカバーのようなものが取り外されていて、とても非常ボタンを押しやすい状態になっていた。
そして、そのボタンを押してしまった時から部屋の中でも警報音が鳴っていたらしく、
ワタナベさんは隣人がそれを聞きつけて訪ねてきたと思っているようだった。
しかし、エントランスでは未だ警報音が鳴り続けていて、あなたが思っているよりもっと状況が深刻だということを伝えると、
ワタナベさんは血相を変えて、機敏な動きでサンダルを履き、「すぐに見に行きましょう!」と言って小走りに玄関を出て行った。
「見に行ったところでなあ……」と思わないでもなかったが、ワタナベ家に隣人が1人で居残るのも意味不明だったので、ワタナベさんの後をついて行った。
エントランスでは、当然さっきまでと同じように警報音が鳴り続けていて、帰宅してきた住人達がみな一様に怪訝そうな表情で通り過ぎていった。
エントランスを気にしながら帰っていく住人のひとりひとりに「誤作動なんです」と説明しつつ、管理人室の前まで辿り着いた。
管理人は17時で帰っていたため、管理人室は無人の状態で、しっかり施錠もされていたのでこちらからはなんの手出しもできない状況だった。
すると、そこから更に通りかかった住人の方が、「これ、ウチでもやっちゃったことあるんですよ」と声をかけてきてくれた。
その人が言うには、何分か待っていれば直に警備会社の人がやってきて、管理人室の鍵を開けて警報を停めてくれるとのことだった。
それからというもの、ワタナベさんは3分に1回くらいのペースで「早く来い!!」と言い、とてもソワソワしながらそこら中を歩き回った。
そして一刻も早く警備会社の人を視界に収めたかったのか、ついにはオートロックのガラス戸を飛び出して、マンションの敷地ギリギリのところから救世主を待ち構えていた。
そして、本当に10分足らずで警備会社の人が現れ、状況を説明すると「今後は気をつけてくださいね」という軽いお咎めの言葉を食らった以外は何事もなく警報音を鎮めてくれた。
ここまでおよそ20分、ご近所のちょっとしたトラブルは、規模に見合ったスピード解決で幕を閉じた。
これで一件落着、ハッピーエンドで家に帰れるかと思いきや、本番はここからだった。
事後処理的なことをしている警備会社の人を尻目に、取り留めもないことを喋りながら家の前まで戻ってくると、ワタナベさんは「本当に助かりました、ありがとうございました」と言って再び深々と頭を下げてきた。
そして、そんなワタナベさんに対し、その日唯一の本心から出た「とんでもないです、何事もなくて本当によかったですよ」をお見舞いした。
そして、続けざまに
「無事に収まって安心しました、本当によかったです!今日はゆっくり休んでください!」をぶつけて、会話を早々に切り上げようとした瞬間、ワタナベさんがカットインしてきた。
「いやあ、ほんとお隣にこんないい人が住んでるなんて知らなかった!ありがとうねぇ」
それはさっき既に2回言われた。
「とんでもないです、何事もなくて本当によかったですよ」
今までの会話と一言一句変えずに返答する。
「掃除なんて普段やらないことに手を出すもんじゃないね、あんな大きい音が鳴って、私もこんなに鳥肌立っちゃったもん」
同じくこれも2回聞いた。
「これから気をつけていけば大丈夫ですよ!実際なんともなかったわけですし」
これもさっき2回言った。
「こんな時にウチのはどこをほっつき歩いてるんだか……」
そんなこと言ったってしょうがないだろ。
「いやいや、ご主人だってこんなことが起こるとは思わないでしょうし…」
返答、これでよかったんだっけ。
「なんてお礼を言ったらいいか……今度お料理余っちゃったら持って行ってもいい?」
これは何回言われてもうれしい。
「うれしいです!ありがとうございます!」
その感情をそのまま口に出す。
「私、関西の出身だから味付け甘くなっちゃうかもしれないけど大丈夫?」
3回ともそれだけが懸念材料のようでしたね。
「もちろんです!ありがたいです!」
それは本当にそう。
「いやあ、ほんとお隣にこんないい人が……」
……。
終わらない。
流れるように次の周回に突入する。
「それじゃあ、失礼しますね!」を挟み込める隙間がない。
詰んでいる。
青かった空が、綺麗な薄紫色に染まってきていた。
気温が30℃を余裕で超える中、スーパーから15分ほどかけて自転車で帰ってきて、冷たい水かフルーツ系のさっぱりしたアイスか何かを摂取しようと思って、それを楽しみに玄関の鍵を開けてから、既に1時間半以上経過している。
「……です!ありがとうございます!」
蒸し暑い。
「私、広島の出身だから味付け甘くなっちゃうかもしれないけど大丈夫?」
なにか飲みたい。
「もちろんです!ありがとうございます!」
……ん? 広島?
「いやあ、ほんとお隣にこんな…」
そんなの言ってたっけ?
「…あの、広島のご出身なんですか?」
新情報だ。
「そうそう、尾道の方の出で、亭主の転勤を機に東京の方に越してきたんですよ」
何周目かのループで、突然の新情報だ。
「あ、そうだったんですね!そんな遠くから」
そんな演出があったのか。
「その亭主が船乗りなんだけどね、どうしても転勤が多くて……」
船乗り??
「船乗り、ですか?」
こんな関東の郊外に住んでいて、船乗り??
「そうそう、それでね、今度お料理余っちゃったら……」
再び軌道に入った。
「……です!ありがとうございます!」
暑すぎる。どうにかして体温を下げたい。
「あ、そうだ!ねえ、あなた、お肉とお魚どっちが好き?」
え?
「どっちも好きですけど…… お肉、ですかね」
ここにきて急に質問してくる??
「そう!じゃあ、お肉料理にしようね!あと、どんなお野菜が好き?」
好きなお野菜???
「…玉ねぎ、とかはあると便利ですかね…?」
咄嗟に便利なお野菜を答えてしまった。
「じゃあ、ネギ系だったらお好きなのかな?」
玉ねぎをネギ系と捉えてるタイプなんだ。
「いえ、野菜ならなんでも好きですが、どうしてですか?」
おすそ分けの料理する時に相手の好きな野菜まで考えるか?
「いやね、うちで借りてる畑があるから、そこで採れたのを差し上げようかと思って」
急展開だ。
「ほんとですか!ありがとうございます!!」
これは普通にうれしいかもしれない。
「それにしても、掃除なんて慣れないこと……」
またしても軌道に入った。
蒸し暑い。
水を飲みたい。
:(
こんな感じで、不意に新しい情報がポロッと零れ落ちてくるところにパチンコ的な面白さを見出してしまったせいで、余計に立ち話の時間が延びてしまった気がする。
このような会話を繰り返す中で、各ループの隙間にこちら側の事情を少しずつ織り交ぜていく手法を確立し、
「スーパーから帰ってきたばかりなこと」
「まだ食材を冷蔵庫に入れていないこと」
「これから家族のために夕飯を作らなければならないこと」
などを説明していくうちに、なんとか両親が帰宅するより早く、ループを断ち切ることに成功した。
それでも、夕飯を作る時間に充てようと思っていた1時間半は完全に消滅してしまっていたので、
その後すぐに帰ってきてしまった両親には、
申し訳ないと思いつつも、偶然購入していたカキフライとレトルトカレーを渡してCoCo壱的な食事をしてもらった。
まあ、食材の鮮度は1日分劣化するとしても、昔から存在だけは知っていたような関係性の人の半生を垣間見ることができて、ちょっと普通に興味深いところもあった。
こんな風に気兼ねなくご近所さんと会話する機会なんて、現代の日本においてはそれなりに貴重な経験だと思ったので、
両親がカキフライカレーを食す傍ら、思い出せる限りのことを記録しておくことにした。
後々見返した時に自分がどういうことを考えるのか、全く想像もつかない。
それを将来の小さな楽しみとしながら、今後も生きていくことにしようかなと思う。