おじいちゃんはハーレーに乗って
急に春めいた陽気になりましたが、朝晩はまだまだ寒いですね。
春が近づいても、入院中の患者さんは家族と面会したり外出したりすることはまだできません。
入院が長引くと、ただでさえ認知症が進んでしまうのに、家族に会えないとなおさらです。
認知症ケアのなかに「回想法」というものがあります。
長寿科学振興財団では「回想法とは、自分の過去のことを話すことで精神を安定させ、認知機能の改善も期待できる心理療法」と定義しています。
具体的な方法は、以下のようなものです。
視覚や聴覚、触覚、嗅覚、味覚などの五感を刺激して昔のことを想起しやすくするために、昔の写真や音楽、歌、本、新聞、映像、地図、おもちゃ、生活用品、着物、季節の花や地域の特産物、季節の行事を想起するもの、香りがするものなどを用意します。昔のことを思い出して言葉にしたり、相手の話を聞いて刺激を受けたりすることで脳が活性化し、活動性・自発性・集中力の向上や自発語の増加が促され、認知症の進行の予防となります。また、昔の思い出に浸り、お互いに語り合う時間を持つことで精神的な安定がもたらされます。 (健康長寿ネットより)
病棟では、日常生活の何気ない会話でも回想法を用いるために、病室のテーブルの上には、その方の思い出の品が置いてあります。
コロナ渦でめったに会えない家族が、患者さんのそれまでの人生を想い起こしながら選びぬいて持ってきてくれたものです。
それは年季の入った目覚まし時計だったり、
子供が大事にしていたぬいぐるみだったり、
一緒に暮らしていた猫の写真だったり……。
ミールラウンドといって、患者さんの食事時間帯に合わせて訪問をしたとき、食事には見向きもしない人がいると、
私はたいてい、そばに置いてあるその「思い出の品」を使って会話をします。
入院したときから、ほとんど食事を口にしない90歳を超えたおじいちゃんがいました。
「何か食べたいものはありますか?」
と聞いても、
かえってくるのは、
「動いていないから、何も食べたくないよ。お腹もすかないんだ。」
と、どうしてあげたらいいのかわからず途方に暮れてしまうお返事。
認知症がすすんでおり、
脳梗塞の後遺症もあってうまく会話ができず、
それでも一生懸命に話をしてくれるので、
こちらも神経を集中して聞き取ります。
一生懸命に話を聞き取って、
おじいちゃんの伝えたいこととかみ合った返事ができた時は、
とても喜んでくれます。
一回訪問しただけで顔を覚えてくれて、
次からは「おう!」とあいさつをしてくれるようになりました。
おじいちゃんは私と会うといつも、
ある一枚の写真を見せながら長々と話をしてくれます。
愛車のハーレーダビッドソンと一緒に写る、
若いころブイブイ言わせていたおじいちゃんと、その仲間たちの写真です。
若いころと言っても、写真で見るかぎりみんな「おじさん」です。
一番楽しかったころの思い出なのでしょう。
実のところ、
おじいちゃんの話は、
ほとんど聞き取れず理解できていませんでした。
ただ、その写真を見せながら、
楽しそうに思い出話をしてくれることが、
私は嬉しかったのです。
何度足を運んでも、
食事をとってくれることはなかったので、
おじいちゃんはずっと点滴をしたままでした。
お水も十分に飲んでくれないので、
点滴から栄養と水分をとるしかありません。
しかし、いつかは「その時」がやってきます。
ある朝、
「〇〇さんは、今朝早くハーレーに乗って虹の橋を渡りました」
と、看護師さんにつげられたのは、
それから間もなくのことでした。
あのおじいちゃんはハーレーに乗って、
日の出とともに東の空に旅立っていった。
私は、その姿をこころのなかで思い描いてみました。
むかし流行った、昭和を感じさせる暴走族仕様のプラモデル
「俺のマシン 風林火山」みたいに、
ハーレーの後部には「風林火山」と書かれた軍旗じゃなくて、
ポールに吊るされた点滴のバッグがはためいている。
食べたいものがなくなっても、
お腹がまったく空かなくても、
ずっと点滴につながれたままでも、
おじいちゃんは、またあの立派なハーレーに乗りたかったと思う。
さみしげな真夜中の星空に向かってではなく、
朝日に向かって旅立ったおじいちゃんは、
やっぱりハーレーなおじいちゃんだ。