200円を手にいれたくてさまよう
どこ住みなのか、私はこのnoteで明かしていない。
でも、昨日まあまあの距離を無駄に歩き回って思った。
「駅」とは?
大部分の人がするはずの定義と私の持つイメージに乖離がありすぎて、そこに身バレの可能性すら感じる。
🚃
自宅の最寄り駅に降り立った私は、駐車場へ向かう。
はい、もう、おかしいって!
駅から自宅まで車に乗るほど離れてるということだよ?
私らの住む地域を1/25000白地図でイメージすると、A3の紙を縦置きし、その中央に線路を引く場合、A3の紙隅々まで他の路線は走っていない。「その駅一択」「それしかない」感は伝わるだろうか。自宅から見えるのは、今、一面の麦畑である。
車を出そうとして、財布を見た私は気がついた。
「小銭がない。」
駐車場の清算、現金オンリー。このご時世にアレだよなあ。交通系のカードと連動させてキャッシュレスにして欲しい。しかも、5五千円札と一万円札は使えない。電車に乗る前に買ってしまった『ドラえもんどらもっち まるごと苺 あんこ&ホイップ』のせいだ。一円単位まで現金で払ってしまってた。私よ…!(バカなのか)
一度乗った車から降りて駅へ戻る。
「駅に行けば何とかなる。」そう思った。
東京の駅はすごい。特に、私鉄や地下鉄が接続しているハブ的な機能を持つ駅はすごかったなあ。なんだかもう駅一つでそれが街だった。デパートもホテルも銀行も飲食店も駅構内にある。
わが最寄り駅の構内には、トイレ、自販機、券売機だけしかない。一縷の望みを胸に券売機に万札を入れて千円チャージを試みる。9千円お釣りが欲しい。
すると、『現在、つり札切れ』の文字が表示される。駅員さんは、いない時間帯だった。(おい!)
「駅前に出よう。」
お金をくずせるお店を探す。
えーと、万札をくずせるところ。
コンビニ、なし。
タクシーすらいない。
私鉄沿線の駅前商店街みたいなの、憧れる。人が行き交いおいしそうな匂いが漂い、灯りに照らされたやさい達が並ぶ。
周りにあるのは、寂れたアパートと民家。
私は半べそで約1km先の銀行を目指した。
心の中でずっと唱えていた。
「お金はあるんです。お金はあるんです。お金はあるんです。」
やっと銀行に到着。私の取引銀行でないアウェイの銀行に入り、時間外手数料を上乗せされた1000円を引き出した(硬貨は出てこない)。そしてまた、半べそで約1kmを歩いてもどった。
駅前のパーキングで200円の駐車料金を払った。
これがやりたかっただけ。
明日から財布には小銭をジャラジャラに入れておくつもり。
🚃
私の常識では、駅に行ってもなんとかならないし、都会でもてはやされる『駅チカ』は意味なしである。
何しろ徒歩3分で行ける範囲には、人っ子一人住んでない可能性すらあるからだ。むろん、お店なんかない。
駅という言葉が内包している当然こうでしょという象徴的イメージは、私には通用しない。それと同時に、私が使う駅のイメージは他者には通用しない。これは文章を書いていく上で気をつけたいポイントだと思っている。
小説とかであれば、状況説明がある程度可能だから解釈に齟齬は起きにくいと思うけれど、超短編のエッセイ書きをしようとする私は、注意しようと思っている。