プロポーズ
「結婚しよ。」
熱を帯びた声で言われた。
目の前の踏切を、特急列車が轟音とともに駆け抜けて行く。
額にかかる柔らかな髪は、列車が巻き起こした風に吹き上げられ、はらはらと揺れている。両手はこぶしとなって、ぎゅっと握り締められている。
真剣だ。
私の心臓は、早鐘のように打ち始める。
私の目は、彼の瞳に捉えられ、すいこまれていく。
⭐︎⭐︎⭐︎
私と彼のデートはいつも鉄道がみえる場所だった。
その日は、踏切へ特急列車を見に来ていた。
彼は甥っ子である。当時5歳だった。
甥っ子は、鉄道が大好きな「テツ」で、自宅にはプラレールの街がまるごと保存された部屋があるほどだ。
その踏切は、田園地帯のど真ん中にある。線路の直線区間が3kmほど続いた終わり付近に位置しており、上り線のその先はゆるいカーブが始まる。
甥っ子の言葉を借りるならば、
「とおーくから急いでくるでんしゃが、すこしだけゆっくりになって、とおりすぎるふみきり」
である。
甥っ子のお気に入りは、特急列車だ。
彼の母親は何度もここへ連れてきて、通り過ぎる特急列車を何本も見せてあげていたものだ。絶好の特急列車ウォッチスポットだったから。
私は、甥っ子のことが大好きだった。
私はまだ子供を授かっておらず、実家に初孫としてやって来た彼が可愛くてしょうがなかったのだ。
こんなにも小さな生き物がいて、
こんなにも懸命に生きていて、
こんなにもテツ!
小さいのに、もう愛する世界がある甥っ子が、不思議だった。
私にはやりたいことがあった。
彼にプレゼントしたいことがあった。
切り株だらけの冬枯れの田園風景の中を特急列車が走ってくる。
何kmも向こうから走ってくるのが見える。
特急列車が来るのが分かったら、踏切の警報機が鳴る前から、特急列車に向かって手を大きく振るのだ。
恥ずかしがっては、いけない。
ヲタ芸を打つパフォーマーのようにサイリウムダンスばりの動きをする必要がある。特急列車の運転手さんに、一瞬でも注目してもらう必要があるからだ。
どんどん近づいてくる特急列車。
私は、成人女性としてちょっといかがなものかというぐらい、大胆なオーバーアクションで、180°の範囲に腕から手を振った。一生懸命に何往復も。目立つように赤いフリースの上着も着ていた。
そして、その時は訪れた。
ファァァァアアーーーーーーンッ!
特急列車の運転手さんは、とおりすがりに警笛を鳴らしてくれた。
しかも、運転席からささっと手を振ってくれたのだ。
鉄道の規則では、注意を促すべき危険があった時以外は警笛を鳴らしてはいけないらしい。しかしながら、甥っ子はほぼ毎週その踏切に母親と電車を見に来ているし、なんだか熱烈に手を振っているし、ちょっと応えてあげようかな…、と思ってくれたのだろう。
だいの大人が、がむしゃらに本気で我を忘れて行動すると、それに応えてもらえる時がある。
私と甥っ子は、
しっかりと、
その耳で聴き、
その目で見た。
しばらくの間、甥っ子は感動に震えていた。
声にならないようだった。
何台か列車が通り過ぎていった。
そして、5歳児の頭の中で何かが起こったらしい。
知りうる一番の愛情表現をせねばならないと思ったのだろう。
冒頭に記した人生初めての求婚につながる。
⭐︎⭐︎⭐︎
「結婚しよ。」
熱を帯びた声で言われた。
目の前の踏切を、特急列車が轟音とともに駆け抜けて行く。
額にかかる柔らかな髪は、列車が巻き起こした風に吹き上げられ、はらはらと揺れている。両手はこぶしとなって、ぎゅっと握り締められている。
真剣だ。
私の心臓は、早鐘のように打ち始める。
私の目は、彼の瞳に捉えられ、すいこまれていく。
⭐︎⭐︎⭐︎
そこは、周りに遮るものがない吹きっさらしだった。長い時間にわたって特急列車を見ていた私のからだは、すっかり冷え切っていた。
そこへ、すっと、手が差し伸べられた。
瑞々しい細胞で構成され、ふくふくとした温もりに満ちた手がそこにあった。
その手を受け止めることにした瞬間、
感情が激流となって私の中へ流れ込んできた。
岩代ゆいさんの企画「#触れる言葉」に参加させていただいています。