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近未来fall in love

今日はいるのかな。いないのかな。

マイクロチップを埋め込んだ手首を扉の横にある読み取り機にかざす。瞬時に体温やIDを読み取って、何処かと交信した扉が反応し、ピという音とともに解錠した。

おそるおそる教室を覗く。
今日のメンバーは10人だと通知が来ていた。リストに彼女のハンドルネームがあったのはチェック済みだ。しかしながら当日の健康チェック次第で、スクーリングは許されないことがあるから、いないかも。

彼女は、いた。
印象的なショートカットの小さな頭、すっと伸びた背筋。窓際の個室ブースで、今では珍しくなった紙の本を読んでいる。

心の中で小さくガッツポーズをする。

僕らの『時間割』は成績、体調、メンタルのデータから導き出されたガチャになっている。クラウド上に僕らのデータが蓄積され、そこから最適な『時間割』という名のスタディプランが二週間に一度送られてくる。ホームスタディが中心なんだけど、学習習熟度が低い教科について自学補完のために定期的にスクーリングが入る。逆に成績が良い教科は、選抜クラスで特別な体験授業が受けられる。

今日は、「選抜」の方だ。
10人で一つの作品を作ることになっている。教科名をあえて当てはめるなら、芸術なのかな。あらかじめスクーリング前にデザインのコンペがあってそれに通過したものを実際に作ってみるというもの。3Dプリンタやレーザーカッターを駆使し、パーツを組み立てて最終的にはプログラミングして動かすところまでやる。

彼女は、いつもちょっと怒ったような顔をしている。他の子はにこやかで社交的な子ばかりなので、なんだか目立っていた。僕たちにとってスクーリングは、人に直接会う貴重な時間だ。だから、いつもより「盛って」いるやつが多い。ホームスタディよりもずっとエネルギーを使っていい感じの人を演じているんだ。だって「会う」だなんて、なんかすごくない?家にいて、ホームスタディしている時だってオンラインで色んな生徒と話すけど、「会って」ないもの。だから、彼女が怒ったような内面を外に表出してしまうのが不思議だったし、かなり僕の目を引いた。おそらく彼女は誰よりも真剣なんだろう。盛ることに力を割くのが惜しいのだ。作業前のブリーフィングの時間は誰よりも質問していたから。僕は、怒ったような顔の彼女が笑うことはあるのかな、とか考えながら手元のタブレット画面の彼女のアイコンと本人を見比べていた。アインコンの方は、瞳がのっぺりしていて二つの穴みたいだけど、本人の方はというと、濡れたようにしっとりと光る瞳には強い力が宿っており、ビームのように周りを見据えていた。

僕は彼女が気になるだけ。

別に、好き、とかではない。

僕と彼女とは同じグループにならなかった。僕はグループリーダーとして指示を出し、問題点を書き出し、解決するために仲間とディスカッションしていった。そして、作品の完成に向けてどうしても調整が必要だったので、別グループのリーダーである彼女と話すことになった。

「あのさ、ちょっとここなんだけど」
だいぶカスカスの声で話しかけた僕に、彼女は
「何。もう、変更きかないからね」
と噛み付かんばかりの勢いで言った。

彼女は、振り返りざまにマスクを外して、手に持っていたグミキャンディを口に入れた。

僕の中で時が止まった。

楕円形に整った桜貝みたいな色の爪が、ショートカットの髪をかき分け柔らかそうな耳の裏側にある細い紐を掴んで、小さな卵型の顔からマスクを引き剥がす。きめ細やかにつるりとした頬。高すぎない鼻梁は少しばかりツンと上を向いていて可愛らしい。その下に、小さめのぷっくりとした口がある。くちびるはしっとりとしていて艶があり、薄い皮膚に刻まれたひだの一つ一つに至るまでみずみずしくて血色の果実のようだ。ぷっくりとしたくちびるが少しだけ開いて、白い象牙のような前歯がのぞく。その奥に桃色の舌がちろりと見える。そこへグミキャンディが吸い込まれていった。それと同時に、また顔はマスクで覆われてしまった。

なんて肉感的なんだ。
僕は、家族以外の他人の口元を初めて見た。
なんて無防備なんだ。
人の呼吸が混ざった空気に直接晒される口元。

彼女は、僕の説明をじっと聞いている。彼女の今のやり方で進めると、最初はうまくいくが途中で止まる。そして最初に戻ってレーザーカッターでの切り出し作業からやり直すことになる。このプロジェクトに要する材料の種類とその費用を僕のグループで計算しグラフ化したものをタブレットで見せ、方針転換の重要性を身振り手振りを交えて伝えた。
「分かった。あなたのプランでやってみよう」
と言うと、彼女は僕の目を見てにっこりと笑った。

彼女の目から出たビームは、僕の目の虹彩をすり抜け水晶体で屈折し、透明な硝子体を通過して光の速さで網膜の黄斑へ到達。その衝突エネルギーが電気エネルギーとなって視神経を伝わっていき、ついに僕の後頭葉に熱く刻まれた。

その後のことは実はよく覚えていない。「選抜」クラスのスクーリングは彼女の活躍で無事に終わった。僕は今、ずっと彼女と彼女の口元のことを考えている。また、会えるだろうか。また、見られるだろうか。

えと。次回は何を調節していったらいいんだ?僕の『時間割』はガチャで決まるが、彼女の得意な分野や苦手な分野が僕のそれと重なればまた会うことができるだろう。SNSを調べれば彼女が公開しているプロフィールやタイムラインで何かを掴めるかもしれない。次は苦手な分野で同じスクーリングを受けられるようにしてみようか。

彼女の口元を脳内に再現する。

何度となく繰り返したビジョン。

ぷっくりしたくちびるの少し上、
そこには一片の青のりが張り付いていた。




ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。