うまいうまいと言って食べるだけの簡単なお仕事でした
そのお店は、大学の正門から500mくらいのところに位置していて、クリーム色の雨よけにチョコレート色の文字で店名が書いてあった。カランコロンと優しい音をたてるベルのついたドアを開けると、バターとバニラとチョコが混じったような甘い匂いに体が包まれる。
街のケーキ屋さん。
間口が狭いお店で、テイクアウトが主だったので、イートインスペースは大きな窓側にあるテーブルとソファ2脚の1セットだけだった。ガラスケースはもちろん大きくて立派で間口全部を占めていたと思う。
アルバイト代が入って、懐があったかくなると、当時の親友とソワソワしながら「行く?あそこ?」と目くばせしながら自転車を飛ばしたものだった。基本貧乏学生だったので、主食以外にお金を費やすことは至上の贅沢だった。
私はモンブランに目がなく、彼女はレアチーズケーキが大好物だった。
秋が訪れて日差しが入り込むようになった窓辺に座ってイートイン。
カリモクの深緑色のソファの背にかけてある白いレースのカバー、テーブルにあった銀の一輪挿し、はかない薄いピンクの薔薇、オレンジ色のドーム型をしたペンダントライトからの仄かな光。全部覚えている。
そこへしずしずと紅茶のポットとティーカップ、そしてケーキが運ばれてくるのだ。
私たちは、ゆっくりと堪能した。
一口目はケーキとの出会いなので大切、とばかりに心を込めて切り取り、舌に乗せた瞬間の鼻腔に抜ける香り、広がる甘みを、余さず感じ取ろうと目をつぶって受け止めた。思わずこぼれる笑顔。それからは二人とも、満面の笑みでケーキに挑んだ。
「モンブランは、渋皮の色がそのままの茶色派か、実の色が目に鮮やかな黄色派に分かれるけれど、私は黄色派だね!」
「牛の乳入ってます、って分かるレアチーズにガッツポーズ出るよね」
なんて語り合いながら、もきゅもきゅとケーキをいただいた。紅茶を一口飲んで、紅茶のフレーバーを舌の上に漂わせて、ケーキをぱくり。紅茶にレモンを入れて少し明るくなった紅を目で楽しみ、また一口飲んでレモンの酸味を感じながら、ケーキをぱくり。
私たちは随分と食べるのが遅かったはずだ。
食べ終わった後に、ちょっと申し訳なくなって長居を謝るとお店のおばさんが言った。
「あなた達、本当に美味しそうに食べてくれたわねえ」
目を細くして、嬉しそうだった。そして言った。
「前を通る人たちはみんなあなた達を見たと思うの。そしてあなた達が楽しそうに美味しそうに食べている姿を見て、今度買いに行こうって、きっと思ったわ」
「ありがとう」
私たちは、目を見開いて喜び、そしてここのケーキがどんなに美味しいかを身振り手振りで伝えた。おばさんは、ウンウンとうなずきながら聞いてくれて、
「またおいでね。是非食べていってね」
と言った。
言葉を交わすようになって、そのケーキ屋さんを訪れるたび、おばさんは決まって「とっておきの紅茶」を淹れてくれるようになった。
今思うと、窓際で心底美味しそうにケーキを食べてもらうことは、最高のプロモーションだったのかもしれない。
ひょっとしたら、私たち以外にも、おばさんがスカウトした「食べ手」が存在していた可能性がある。研究室の先輩方の中にもあのケーキ屋さんをご贔屓にしている人はいたし、教授達もお客様のご接待用に買ってきてと指名なさるのはあのケーキ屋さんだった。
でも、いいのだ。
私たちは、何度も何度も通ってケーキをうまいうまいと言って食べた。売り上げに少しでも貢献したいと思って。そして、本当に演技ぬきで美味しかった。
あそこのケーキが食べたい。
ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。