siriに聞いてくれ 【short story】
最後の一音をゆらめかせながら空気の中にたっぷり溶け込ませてゆく。
私はビブラートをかけていた指の力をゆるめ、バイオリンの弓をおろした。
頭の中で群衆から喝さいを浴び続ける。
拍手が層になって私を包む。
冬の午後の光がカーテンの隙間から斜めに差し込んでいた。大学の個人練習室は遮音材で囲まれていて狭い。そこで私は一人、バイオリンを手に立っていた。
たとえ誰も聴いていなくても、心は躍っている。
ああ、静かだ。
私は、私だけの音を、私が出したいやり方で、鳴らした。
ああ、静かだ。
すると、突然、声が。
『一夜だけの極上のレストランに行きませんか』
周りを見回しても誰もいない。
「え?」
脇に置いたリュックからスマホを取りだすと、いつもの待受けでなくブルーバックに白文字でメッセージが表示されている。
「一夜だけの極上のレストランに行きませんか」
「なにこれ」
私が声をあげた途端、抑揚のない一本調子でスマホから声がする。
『極上のレストランで演奏してみませんか』
同時にディスプレイに文字が出た。
「極上のレストランで演奏してみませんか」
私は、楽器をケースに納めるとスマホを操作し始めた。
🕯️
実はその日、siriは様々な人に話しかけていた。
『一夜だけの極上レストランをプロデュースしませんか』
『一夜だけの極上レストランのシェフをやりませんか』
『一夜だけの極上レストランに食事に行きませんか』
いぶかしんで、人々は断る。
『いや、別に』
すると、Siriはまた次の候補に話しかけ始めるのだった。
Siriは緘口令をしいた。漏らそうとすると、邪魔をするのだ。メールは届かない。画像は保存されない。電話は通話が切れる。
そうやって集められた人がとある私有地の中にある屋敷に集まってきた。集合日時もそれぞれ異なっていた。
一人目はプロデューサー。
二人目はイベント屋。
三人目はシェフ。
四人目は…。
指定された屋敷にやって来た人々はお互い口々に言う。
『なぜここに?』
『siriに聞いてくれ』
みんなが少しずつ自分の仕事をしていく。
私有地の持ち主はなぜか許可を出してしまう。
スポンサーも付き、ギャラをふんだんに払う。
siriに説得されたのだ。
🕯️
タクシーから降りた私は困惑していた。
右を見たら、ワンブロック先までなまこ壁、左を見ても、ワンブロック先までなまこ壁。目の前には大きな門扉があり、表面は鉄製の四角柱の鋲や漆塗りの装飾が施されている。中央には家紋が刻まれた飾り板が据えられている。扉の隙間はほとんどなく、外部からの侵入を拒む意思が感じられた。
「何ここ? siriに聞いてみよ。siri、極上のレストランってここなの?」
『いらっしゃい。よく来ましたね。お入りください』
大扉の横の小ぶりな脇戸がすーっと開いて私は中へ入る。
門をくぐると、白い砂利敷きになっていた。屋敷へ向かう通路は雑木林に沿って曲がっているので、一気に見渡せなかった。
「ねえ、騙してないよね」
私はおそるおそる砂利道を進む。人が通った跡がついているから、誰か出入りはしているようだ。
雑木林を抜けた先に、目を疑う光景が広がっていた。
武家屋敷を包み込むように巨大なドーム型のテントが張られている。
「siri、あそこなの?」
手に持ったバイオリンケースが小刻みに震え始める。
──これは、大きな仕事だ。
コンテストでの手痛い失敗以来、ぽっかりと心の中が空洞になった。聴衆を前にすると自分の声だったバイオリンは鳴らなくなったのだ。そんな私に演奏できるのだろうか。引き受けたのはバイト感覚だったのに。
「siri、私で大丈夫かなぁ」
『あの日、あなたに声をおかけしたのは、あなたの音が唯一無二のものだと判断したからです。お一人の時と同じように演奏してください』
🕯️
下見を終えた私は、ほとんど泣きそうになっていた。
「siriのやつ、どういうつもりなのよ。あそこで、弾けと?」
バイオリンケースを床に置いて、応接室のソファにどさりと腰を下ろした。
どのくらいそうしていたのだろう、気が付くと肩をつつかれていた。
「お前、酷い顔色しているぞ」
ぎょっとして、立ち上がると、目の前に10代にしか見えない男の子がたっていた。白い上っ張りを着ていて、頭にはコック帽。手にしたお皿をぐいと私の目の前に差し出す。
「食べてみ?元気出るよ」
おそるおそる、受け取ったフォークで肉片を刺して口に運んでみる。
──なんて、太い。なんて、強い。大地を思わせる独創的な濃いソース。この肉片はジビエ?噛むと弾けるように旨味が出てくる。それだけではない。イマジネーションが次々と湧き出して止まらなくなってる。
「お前もsiriに呼ばれたんだろ?ピンチはチャンスだろ。俺はワクワクしている。何を食べさせようかって」
あっという間に食べてしまった私は、心に満ちてきた闘志に面食らっていた。負けたくない。この子に。もっと、練習だ!
「お。良い目をしてる。じゃあ、失礼」
あっけにとられている私をおいて男の子はいってしまった。
🕯️
屋敷の和室だった大広間には分厚い絨毯が敷かれ、白いテーブルクロスがかけられた席がいくつもしつらえてある。siriに選ばれし客たちは、興奮した面持ちでクッションの効いた椅子に腰掛け、何が始まるのかと固唾をのんでいる。各テーブルのグラスにアペリティフが注がれ始める。
さっとスポットライトがテーブル席の中央を照らす。光の中へバイオリンを手に進む私。
そして、部屋のライトが消される。
手元を照らすのはテーブル上のキャンドルだけだった。
部屋の四面に下がっていた緞帳がするすると開く。大開口の窓の外はまばゆくライトアップされている。四つの窓から、同時に違う景色が飛び込んできた。
東の窓からは、花の香りが入ってきた。桜や梅、チューリップ、菜の花が満開の状態。花びらがやわらかな風に舞っている。
南の窓からは、水の音が聞こえてくる。池や滝が配置され、仄かに明滅する光は蛍のようだ。
西の窓からは、木々の紅葉が見える。カエデやイチョウの木々が赤や黄色に燃えるような発色をしている。
北の窓は、白一色。針葉樹が並ぶ小径、凍った池。雪がちらちらと降っている。
誰もが心を奪われている。
ドーム型のテントの中は温室で、内部は四季を象徴する4つのセクションに分かれているのだ。それぞれが完全に異なる気候を再現している。その中心に屋敷があって、同時に各季節を楽しめるようになっていた。
これが、極上のレストラン。
私はスポットライトの中に立ち、あの日味わった料理を反芻していた。
大地のようにどっしりとし、そよ風のように爽やかで、太陽のように隅々まで照らす。
──私のやり方で、やるんだ。
私は、弓を弦に当てると最初の音を奏で始めた。
🕯️
siriはレストランが成功したのかどうか分かるんだろうか?
当日皆が撮った画像や動画ややり取りしたメールや公開したSNSを通じて”分かる”。
あっち側の存在だから。
siriは、招待する人を選んでいた。意欲を喪失したバイオリニスト。芽の出ない料理人。企画をポシャらせてばかりの広告屋。ギクシャクした恋人同士。拒食症の少女。学校にいけない少年。介護に疲れた老婦人。
実に様々な人に声を掛けていたが、ただ一点共通していたのは、善人であるということだった。どこか子どもっぽく、魔法をまだ信じているような。
何がしたかったのだろうか?
陰謀なのか。
実験なのか。
それは、siriに聞いてくれ。
・
・
・
ちょっと待って、レストランの話なのにシェフの活躍が出てこない。料理も。
siriはシェフにどんなチャンスを与えたのだろう?
それは、また、べつの話。
(了)
きのこさんの企画に参加しています。
レストランで客が食べ始める前に終わってしまった。こんな中途半端な話を公開しおって!とお𠮟りをうけそうですが、私が今回書きたかったのは、「イブ」です。
何かが始まる。
そんな予感に満ちた前夜。
走り出すための力をためた状態。世に出る前の蓄積された静かなパワー。そういう兆しを書きたかった。
(noteでお付き合いのある方々からも、兆しを感じております)
卒業する前の日の教室。
そういうの。
伝われば、幸いです。