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ハレの日、ケの日


86400が0時ちょうどに振り込まれる。万人に等しく。
どう使うのかはその人次第。
どう感じるのかもその人次第。

86400に付随する単位とは「秒」である。

等しく86400もらったはずなのに、長すぎると感じるのは、それは苦しい状況にある場合が多い。恋愛に敗れて一人に戻ったとき。健康を崩して体と向き合ってるとき。意に沿わない仕事をしているとき。エトセトラエトセトラ。86400が体感では永遠のように思えてくる。

一昨日がそんな感じだった。夕方、娘の胸に抱かれて赦しをもらい一息ついていた、あの日。86400の中に、さらに悲しいことがあったのだ。なぜ。目は開いていても見えず、ただただそこにある物を写しているにすぎなかった。心はつるんとシールドされて悲しいことを弾こうとしているようだった。そんな抵抗は虚しく、悲しみはどんどん胸の中に充満し、息は苦しく、眠る前のまぶたの裏にとげとげしい像を結んだ。

私は86400のなかの良かったことや栄養になることを選び取り、書くことか多い。実生活はハレの日ばかりではない。ケの日もある。どちらも等分にある。そんなケの日に、砂の中の砂金を探してつまみ取って書いている。私はそういう人なんだ。綺麗事ばかりを並べている人なんだ。でも、ケの日に苦しい息の下、清廉な冷たい空気の向こうに見えた星は脳裏に焼き付いて私を生かしてくれている。

いつか、ケの日に起きたことも、物語の中に格納してそれとは分からないように書きたいと思っている。

いつか。




ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。