…そうだ、髭、剃ろう。
すう。すう。すう。
あぁ、生きている。
真夜中、暗がりで赤ん坊に顔を寄せて耳を澄ませていた。
それが私の習慣になっていた。
私の娘は、遅くに授かった子である。
待ちに待って、やっと来てくれた子だ。
生まれおちた瞬間から愛しくて愛しくて…、
そして、怖かった。
うつ伏せになって窒息してはいまいか。
ガーゼケットが口元にかかって苦しがっていないか。
ベッドの隙間から落ちるのではないか。
ぎゅと握った小さなこぶしも、頼りない小さな唇も、薄くつぶった目蓋も、私が守らなければいけないのだ。
このはかない生きものは、私が目を離さずに心を配らなければ、死んでしまうかもしれないのだ。
私が初めて果たすことになった「おかあさん」という役割。
おかあさんは怖がりだ。
分からないことが多すぎて。
自分の中の絶対的な尺度がないので、情報に育児書にアドバイスに縛られて呪いをかけられてしまう。
いつも怖かった。
この室温で良いのかな。
乾燥し過ぎてないかしら。
もう少し暗い照明に…
もう少し静かに…
お腹が空いているのかな
お尻が気持ち悪いのかな
ゲップが出てないから苦しいのかな
泣き過ぎではないかしら
これで大丈夫?
私、「おかあさん」ちゃんとやれてる?
◆◆◆
『病牀六尺』という正岡子規の随筆がある。
病牀六尺、これが我が世界である。しかも六尺の病牀が余には広すぎるのである。
この病牀六尺とは、正岡子規が過ごしていた一辺六尺四方の自室のことだ。結核を患った子規は、病床から起き上がることが叶わなくなり、六尺の部屋が彼の世界の全てだった。
◆◆◆
乳児を抱えた私。
ふと、周りを見ると、
紙おむつのパック
お尻拭き
汚れたおむつを入れる蓋付きバケツ
ヨダレを吹くガーゼ
綿棒
爪切り
湯沸かしポット
ミルトン
殺菌された哺乳瓶
粉ミルクの缶
これらが全て手の届く範囲に並べられており、そこを24時間ずっと右往左往している。
温度湿度の調整された快適な部屋に、赤ん坊と私だけがいる。
「…、正岡子規じゃないし。」
快適なはずの部屋で、
困惑している私がそこにいた。
世界はそこだけだった。
窓の外に目を向けると、うらうらとした日差しが燦々と降り注ぎ、明るい風景が広がっている。
車は走りまわっている。
人々が活動している気配がする。
社会はどんどん目まぐるしく動いているに違いない。
でも、私は、ひとりだった。
部屋と赤ん坊と私。
だけだった。
私の育児環境は決して悪くなかったと思う。
自宅の隣に実家があり、実の母が呼べば飛んできてくれるし、夫は買い物に行き、おむつなどを切らさないように補充してくれ、部屋の掃除からトイレの掃除までやってくれていた。
それでも、初めて踏み入れた育児の世界に飲み込まれて、怖くて怖くて、心のエネルギーがなくなっていくのを止められなかった。
◆◆◆
私がその部屋からやっと出たのは、娘の一ヶ月検診のときだった。
出産した病院へ娘を診せにいくのだ。
同じ日に出産した出産同期のママも来てるはず。
私は、久しぶりにメイクするため洗面台に立った。鏡に写った自分は、予想通り衝撃のブスさであった。
一番愕然としたのは、ホルモンバランスのせいか口元にかなり濃い目のうぶ毛が生えていたこと。
そうだ、髭を剃ろう。
心に風が吹いた。
右往左往して振り回されていた自分から、目を外に向け、自分から「こうしたい」と動き始めた一歩だったと思う。
足元では娘が泣いていた。
「ちょっと待っててね」
初めて言えた日。
「…、正岡子規じゃないし!」
私は、部屋を出た。