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デュラン弘惠の自己紹介

はじめまして、デュラン弘惠 (デュランヒロエ)です。

NOTE記事を書いてきましたが、自己紹介を忘れてました。

私の生い立ちを書こうと思います。

ざっくり自己紹介

・【日本】魚屋で産まれる
・【日本】飲食店の企画、新規開店事業8店舗、広告制作、商品開発
・【日本】国際貿易事務、建築資材の輸入
・【オーストラリア】観光通訳
・【ドイツ】ジャーマン・シェパードの買い付けアシスト、通訳
・【中東 ドバイ】アブダビのカーショーイベントブースの製作
・【中東 ドバイ】日本の伝統産業の輸出ビジネス開発、通訳
・【フランス】留学生、駐在の現地アシスタント、通訳
・【フランス】国際交流イベントのコーディネーター
・【フランス】ワインツアーのコーディネーター、観光ガイド
・【スペイン】F1レーサーのプロモーションコーディネート、通訳
・【フランス】西洋占星術師
・【フランス】ZOOMを使ったワイン講座の製作、越境オンライン講座の開発、ディレクター

いまここ→ 西洋占星術師、越境オンライン講座の製作
HIROE DURAND ONLINEファウンダー

っといった感じです。
おそらく、読むだけでおなかいっぱい。(笑)
400年ぐらい生きてるんじゃないかと勘違いされますが、40代後半です。

生い立ち


昭和49年10月28日生まれ。今は47歳。福岡県北九州市生まれ。

福岡の北九州にある、とても上品な街、黒崎で産まれました。
父と叔父が、小さな魚屋を商店街の中ではじめて、その魚屋のトロ箱(むかし、魚を入れる木製の箱)にタオルを敷いて寝かされていたそうです。
さんま、さば、ひろえ。
3歳で引っ越しをしたので、その商店街にいた記憶は1歳、2歳ですが、鮮明にあります。
魚屋のおじさん達が、“お!ひろえちゃん、おはよう!”っとフランス風のほっぺたすりすりビズをしてくれたのですが、その髭と魚屋さんの香りと昨日飲んだ日本酒とオロナミンCかナゾのパフューム。
フランスに来てビズの挨拶が普通にできるのは、幼少期からのおかげかです。
昭和40年、威勢のよい魚屋さん、商店街がスタート地点です。
目の前にあった、山本惣菜店のおじさんが作る煮豆が大好きで、お惣菜の良しあしを試食してました。
肉屋のショーケース、魚屋の裏側、最初の遊び相手達は、生きたアサリ、ウニ、魚様たち。
彼らはキラキラして、生き生きして、まだパッケージされてない時代の“生き物”。
とても、とても小さな美しい声を出す。
その姿に魅了されました。
真摯で、美しく、なにより私の心を掴んで、何より胃袋を掴まれました。
昼間遊んだアサリたちは、その日の食卓にアサリの味噌汁として現れる。
「あぁ、おいしい!」
翌日は、ちがうアサリが遊んでくれました。自然塩が好きで、人口塩だと死んでしまう。
生き物達のおかげで生かされてます。

父、母からは“これがおいしい”、食の英才教育を自然に受け、料理上手な母から偉大な愛情をうけました。また、叔父さん、おばさん、従弟たち。
大手鮮魚の卸を経営する叔父さんが私をとてもかわいがってくれて、愛情を注いでくれました。
子供の頃から、男の子の玩具やラジコンが大好きで叔父さんはそれをコソッと私に買ってきてくれました。パチンコ屋にも連れていってくれたのは秘密です。私のことをおもしろがり、いろんな話をしてくれました。愛につつまれた幼少期を過ごせたのは幸運でうs。
4歳の時に、ひらがなを覚える玩具(蟻の絵を押すと、“あ”が出てくるキーボード式)を手に入れてひらがなを覚えました。
本というモノの存在を知りました。

歯医者の待合室
そこには、好きなだけの絵本があり、読み放題だったのです。
静かで清潔で、整頓された本が並ぶいい待合室でした。パラダイスという世界を見つけました。
待合室の後、むちゃくちゃ痛いんです。歯医者に行くのが楽しみでした。

小・中学生

小学校になり、田舎の商店街を歩いていたら、ある場所に出会い驚きました。
ものすごい数の本が並ぶ場所。
そして、レジで本をずっと読んでいる人がいる…。
あの人は何?ここは何?
その本屋は客がいなかったので潰れました。
私の小学校時に書いた将来の夢は『本屋さん』。
昭和の時代の憧れがあったのか、親はピアノを弾ける女の子に憧れて、私にピアノを習わせました。
大嫌いで、ある日ピアノのカギを絞めて川にほおりなげたそうです。
水泳、習字は好きでしたが、本当はラグビーを習いたかったのです。
たぶん、ラグビーを習っていたら今頃、フランスで日本女子代表で来てる可能性があるかもしれませんn。小6で162センチでした。
学級代表を毎年つとめる“クラスにいるデカい女子”で、男子との喧嘩にも勝利し、サッカーもし、人気モノだったと思います。
実は男子よりもバレンタインデーにチョコをたくさんもらっていて、ホワイトデーに困った経験があります。

そして、変な直観みたいなものがありました。
これも脳の個性で、よくあることです。
鼻のきく人、目のいい人と同じと思ってます。
頭の中で、道の行き先を教えてくれる人の声が聞こえること。
空間に漂う気がイメージで視えること。
翌日話すことを夢で先にみること。
怪しいヤツです。
そのうち、科学的に“原始的な脳”の部分をYOUTUBEで視れるでしょうが、その当時はタブーでした。

変な子だといわれて、そこに意識をあわせない訓練をしていましたが、36歳のあることで解放されました。

高校時代


勉強は英語のみ。テニスして遊ぶ日々。
数学は欠点、英語は福岡で1位という異常な事態。
先生から呼び出されました。
私は、おそらく数字障害があります。123465・・・最後の数字がひっくりかえったり、1万、10万、書いているのを読み取る能力が低いです。
書いてある数字の認識がうまくいきません。
電話番号をみながら打つと、“この番号は使われておりません…”と何度も言われます。
識字障害の一種で、脳の個性だと思ってます。
エクセルで関数を打ち込んだ式を作るのは人一倍早いです。
部活はテニス部の部長をしてました。

さぁ、大学受験。

いや、待て。仕事できたらいいから、たぶん、日本は将来英語が必要。英語使って貿易の仕事をするためには大学が必要?違うな…。
オーストラリアに英語の留学に行かせてほしいと親に頼みました。
しかし、親は20歳すぎるまではダメだといい。ならば、短大の英文科に入りましたが、3日間通ってわかりました。“ここに100年いても英語は話せない…”
2年の短大を終えて、アルバイトでお金を貯めてオーストラリア留学に行きました。22,23歳で覚えた英語はいつまでも忘れません。

日本に戻り、貿易会社の事務をしました。そこで、フランス人の先輩に会いました。日本の企業で働くフランス人の彼女から教えてもらったのは、「お茶は部長が先です。」ということです。
つかれていなくても、朝から“おつかれさまです”と挨拶すること。
男社会、年功序列の昭和な社会をみました。
優秀な女性が活躍できないで、無能な男性が無能な仕事をする社会では頭打ちなのは経営として当たり前。
居酒屋には通いましたが、お酒は一切飲めません。

インターネットに接続


今でも覚えているのは、モデムの配線を電話からとってパソコンにつないだ時です。
ピー―ガガガピー――。
パソコンの画面に画像が少しずつ現れました。
すごい!
1998年のネット環境は1枚の画像を見るのに2,3分。
今は、ラインで1秒。
他の家にはまだネットがなかった時代、叔父さんから依頼がありました。叔父はドイツのジャーマン・シェパードの世界大会に行っています。英語が使える私に情報を調べてほしいと連絡がありました。そのネットで、次回の大会の日を調べてくれない?。
検索しましたが、ドイツ語しか出てこない。
その時に、「ICQ」I SEEK YOU(私はあなたをさがす)というプログラムをパソコンに入れてました。世界の中でランダムに今コネクトしている人同士をつなげてチャットさせるというシステムです。 今のFACEBOOK, クラブハウス、ミーティングアプリみたいなものの原型です。
ランダムに現在接続してる同士をくっつける、粗いシステムです。
そこに、英語とドイツ語のわかる親切なドイツ人が現れました。チャットでドイツで開催される犬の大会について調べてもらいました。
その親切な人と英語でチャットしていたら楽しかったのです。
その親切な人は、自分のことをアルザス人だと言いました。
どこ、そこ? フランス?
フランス人は好きじゃないんだよね。

父といっしょに世界旅行


バブルのはぶりの良い時代だったのです。ファーストクラスで世界一周をしました。アメリカ、ドイツ、フランス、そして、イギリス。
私の尊敬する人は、父と叔母さんです。
父は、食の英才教育、生き方、話し方、ビジネスの仕方、世界を見せてくれました。
ハチャメチャな人ですが、世界一尊敬しているかっこいい男です。

そして、父と一緒にそのICQで出会った親切なアルザス人に会いました。

ネットの出会いです。1998年でした。

居酒屋2軒、餃子専門店2軒、惣菜バイキング店1軒、回転寿司店3軒


20代で飲食店の開業を8店舗かかわり、行列店を作りました。
東京へ行き視察をして、成功する店のエッセンスを研究し、お客様を喜ばせる戦略、メニュー構成。外装、内装の選択。メニュー構成、広告作り。従業員教育。企画営業をしました。
飲食店を作り、はじめることではなくて、続けることが大切。
お客様のために時間を提供する、すごい仕事だと思います。

国際結婚

“あっ この人と結婚する”
ストラスブルグ駅で列車が動きながら、到着する間にみたその顔をみて声が聞こえました。
そのICQでランダムにきたアルザス人男性は、アルザスワイン街道の中に住むITエンジニア。
4年の遠距離の中で、迷いましたがアルザスに来ました。
こんなところに日本人というテレビ番組がある20年前のできごとです。
夜になると星がふってくる、車のドアをしめると空気が澄みこだまする。ネットはあるけど、メールぐらい。
ぶどう畑で働く人とピクニックをして、アルザス語が飛び交う世界に住み始めました。
フランスに来た当時、私が言えたフランス語は、“クロワッサン2つください”だけです。
子供3人に恵まれました。奇跡です。
そして、30歳の時に長男、35歳の時に娘、39歳の時に次男に会えました。

フランス語で仕事

仕事をするためには、まず語学学習。ストラスブルグ大学の外国人のためのフランス語課に通いました。しかし、本気で覚えられたのは仕事のおかげです。
留学生のためのサポート業、観光ガイド、イベントコーディネーター、ワイナリーやレストランへの連絡、通訳。
そして、自動車免許の取得を妊娠中にしました。
おかげで、EU圏内ならどこでも運転できます。
観光ガイドの仕事はとても楽しくて、特に食に関するツアーではお客様に喜ばれたと思います。リピート、クチコミでどんどんお客様がついてきたところでした。

コロナで観光業の閉鎖


2019年12月、武漢からパンデミックだとニュースを聞き調べまくりました。
たくさんのご予約がキャンセルになってしまいます。英語、フランス語、中国のサイトを調べまくり、結果わかりました。
なんかおかしい。
PCRって前までなかった。
“これ、慎重にみる。” 
私は未接種のまま、2021年の8ヶ月の間ワクチンパスポートが無い状態で過ごしました。まだ10年の治験をしてないクスリは遠慮しておきます。

なんか、よくわからない世界だが、次、いってみよう!2020年3月にZOOMを使った、オンラインのガイドを試しはじめました。

アスパラガス講座


2021年3月に、アルザスから日本をつないで、おそらく世界初の「越境オンライン講座」を作りました。 ZOOMを使ったオンライントラベルではなくて、私は前撮りしたものを画面共有する、本場を勉強する講座作りをオリジナルで作りだしました。エラーばかりおこし、ダメだと思った時もあります。

親友の存在


不安でした。コロナ、ロックアウト、空港閉鎖、ワクチンパスポート。
仕事がなくなりました。
しかし、新しいこの仕事を裏でずっと支えてくれた親友がいます。
彼女がいてくれたおかげです。 みんなが“ヒロエは中途半端でデタラメ、手を出し過ぎ”と批判してきましたが、才能があるよと一人だけが信じて言ってくれました。
不安と不安しかない暗闇の中、小さな灯りをにぎりしめて歩く世界。
糸くずみたいな存在が命綱だと思い込んで生きる。
震える世界です。
ダメな自分をダメだと思うか、スゴイ自分をスゴイと思うか。
どちらも幻覚。イリュージョンだと思います。
ならば、スゴイ自分という幻覚を信じる。
赤の他人ですが、アルザスで出会った日本人。私の財産です。
私は人脈に恵まれるという幸運の星の下にいて、それは様々な周りへの感謝です。丸ごと包まれる安心感のある世界にいれば、人は必ず突破できます。
フランス語で、ラシンは根っこ。
人の根っこは人でできてると思います。

ヒロエ・デュラン・オンライン

HIROE DURAND ONLINE
本をロゴにしました。
日本文化を世界へ出す。
越境オンライン講座のノウハウをシェアします。
もっとよりよいものにして、私は日本のすばらしい物を世界に出す。
それは、魚屋で産まれ、本屋の定員さんに憧れ、貿易の仕事がしたいと思ってきた私に現れた美しい世界だと思います。
コロナで不安の中、糸くずをにぎりしめて歩いてきたら、どこかの誰かに会える。
おそらく他の人も、越境オンライン講座のまねをするでしょう。
いい物だから。
しかし、私には2年かけて作ってきたノウハウがあり、海外でガイドをしてきた、食の英才教育を受けてきた、なにより、私というタマシイのオリジナル性はつきないと思います。

わたしの今後 西洋占星術とビオディナミ―


私は越境オンライン講座を7人の人と実行できたら人に渡す予定です。
なぜなら、ノウハウは伝授できたから。
私の仕事は終わりです。
そして、次の仕事をします。
それは、西洋占星術とビオディナミ―、日本の新月を使った農法の研究。
土、食べもの、月の研究。
おいしい米、野菜、魚があっての私。

2011年にストラスブルグ大学の社会人学校・西洋占星術コースに1年通いました。フランス人に囲まれてフランス語で占星術を学び、それでもあきたらずに、プロの占術師に弟子入りしました。
それから、ずっと研究をしています。
西洋占星術を使った鑑定も口コミで人気です。
紀元前から続く占星術、月のカレンダーを使った農法があります。
日本にもインドにもフランスにも。
そこは真実があり、野菜、魚、肉、食べ物と人間の真実の物語があります。
農薬を使わないビオディナミ―農法をフランスで学び、日本のヒジリと掛け合わせた農業を開発して、フランスで日本の野菜を育てる予定です。
天秤座の焼き芋にマスカルポーネとアルザス産の蜂蜜かけて食べます。
天秤座エネルギーは、美と愛です。
美しくなる焼き芋です。
その農場は、英語、フランス語、日本語を話す若い世代と、世界の人脈を繋げる場所作りを目指していきます。

子供の頃に大好きだった歯医者の待合室みたいな場所を作りたい。静かで、清潔で、美しい本が並ぶ場所。(でも、その後には痛いことはない…)

ここまで、長々と呼んでいただいてありがとうございました。
私のことを知っていただき、こんな人が地球上に生きているんだ、“これでいいのだ”と思ってもらえたらうれしいです。

読んでくれたあなたといつか“蠍座のやき芋”を食べる日を楽しみしています。

ありがとうございます💛

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