悲しみからは逃げられない
初めて身内の人が亡くなった。
特に有益なことが書いてあるわけではないですが、意思のある人だけが読んだほうがいいなと思い、有料にしていました。が、時間が経ったので無料にします。
連絡をもらったのは金曜日の朝。母から「おじいちゃん死んじゃった」と連絡がきた。前日に危ないという連絡をもらっていたから、ガンッとショックは来なくて、そうか、という感情だった。そこから怒涛のように、お葬式と告別式の日が決まった。その日は何も感覚が変わらなくて、夜落ち着いてから、おじいちゃんとの思い出を思い出して、やっと事実が身に沁みてきた。
土曜日実家に帰り、おじいちゃんの顔を見た。わかってはいたけど、涙が止まらなかった。
次の日はお葬式だった。初めてのことで、さっぱり何がどうなるんだかわからない。辛いことだけはわかっているから、精神的にずっと気を張っているような感じ。福島から親戚が12人くらい来た。知らない人たちばかりだったけど。
会が始まると、おじいちゃんとの思い出がもっとでてきた。最近全然思い出していなかったものも。
シール交換が流行っていた小さい頃、毎月高島屋でシールをたくさん買ってくれた。
中学生くらいまでの夏休みや冬休み、一緒にお昼ごはんを食べてた。
いつもヨーグルトとリプトンとチキチキボーンと冬はおでんを買ってきてくれてた。
小学○年生とかを定期購読してて、いつも買ってきてくれてた。
私の帰りが遅い日は、お風呂に入る私を見届けてから寝てた。
私が好きな干し柿が田舎から来る度に、食え食えって言ってた。
塾の帰り、お母さんに怒られていたときは車で迎えに来てもらってた。
もう何回も救急車で運ばれてたからだめだってわかってたんだけど。この日常はもうやってこないってわかってたんだけど。それでもやっぱりつらいものはつらい。私はおじいちゃんからたくさんもらった。返せていたのかな。
途中全身の水分が枯れるほど泣いて、泣かないために水分とらないようにしようかと思ったほど泣いた。
思い出がたくさんある人ほど、悲しいに決まってる。人が死ぬってこういうことで、いつか死ぬってわかってるけど、やっぱり悲しみからは逃れられないもので。私と相手同時に死ぬことはなくて。全部当たり前なんだけど。じゃあそういう思い出をつくらない、人とのつながりを持たないなんていう、生き方はできない。思い出は忘れたくない。
だからやっぱり悲しみからは逃げられない。
だけど。
おじいちゃんの親戚の人たちとこうやって集まることも、このことがなかったら、きっとなかった。斎場の人たちの温かさとサービスに癒やされた。この方々の仕事に対する愛情をとても感じた。町内会の人がたくさん来てくれて、おじいちゃんの人徳の深さも感じた。
ひとり暮らしを始めてから、無意識のうちにおじいちゃんを避けていた。絶対心配するからと思って。会うたびに色々言われるのが嫌になって。だけど昨年の大晦日は、一緒に食事をした。なんとなく久しぶりに帰る前に、おじいちゃんのところに寄った。がんばれよって言ってくれた。
そしたら今日おじさんが「おじいちゃんが『ゆかはどこに行ったんだ。どこに行ったか教えてくれない』って言ってたよ」って聞いた。
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なんの脈絡もないけど、ふとなんか私が向き合ってるものの虚しさというか、なんか私はなにしてるんだろうってなった。色々一瞬どうでもよくなった。なんで私こんな頑張って生きてるんだろうって。
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私は日常的にもう少し感情を出すようにしてもいいのかもしれない。大切な人を大切にするために。
ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。