可愛くないから幸せになれないと思っていたあの頃
「だが、情熱はある」がグサグサ刺さっている
「だが、情熱はある」は南海キャンディーズの山里さんとオードリーの若林さんの売れない若手時代から今に至るまでのドラマです。「ほぼ実話」とうたっているように、ほぼ実話。初回から主演ふたりの演技がすばらしすぎて見続けていたら、過去の劣等感にまみれた私を浄化できたので、その話を書こうと思います。
昔の私がやまちゃんに似てると思ったのは、劣等感を着火剤に猛烈に努力すること、周りの人が自分と同じくらい頑張ってないとイライラすること。若林さんに似ているなと思ったのは、たにしょーさんが若林さんに「みんな死ねって目をしてるね」と言うシーンがあり、私は母に時々「大学生くらいまで四方八方にいらいらしてたよね」といわれます。自意識過剰で、周りからの目を気にして、少しでも変とか嫌いと思われるような行動はしない、殻に閉じこもる、人に心を開かない。
可愛くない劣等感にまみれてた
ふたりは面白くないから幸せになれない、私は「可愛くないから幸せになれない」、可愛ければ幸せになれる、そして幸せ=恋愛と結婚だった。高校生のとき、私よりも勉強や部活を頑張ってない子に彼氏ができると、なんで私のほうが頑張ってるのに彼氏できないの?って思ってた。中学生のときも高校生のときも社会人になっても、好きな人は可愛い子と付き合ってた。恋愛だけでなく、可愛ければスクールカーストの上位に君臨でき、行事も最高に楽しめて、友だちもたくさんできる。高校のときの写真を見ると私はまじで笑ってないし、行事も適当にやっていたし、クラスではとにかく目立たないようにしてた。
恋愛は勉強と部活の頑張りと比例するわけないし、恋愛に必要な努力をしていなかったこと、恋愛に向いてない性格が理由で、私に100%非があるし、スクールカーストの仕組みは正であっても上位だからなんなん?だし行事を楽しめるかも私の心次第なのに。すべて可愛くないことのせいにしてた。
劣等感が着火剤になるおかげで
当時は可愛くてなぁなぁに生きてる女の子に負けたくなくて、勉強も部活も頑張り、中学の成績はほぼオール5、マラソン大会では二位、高校生のときは文系のなかで一位の成績だった。最大の敵である可愛くて勉強も部活もできる女の子は避けて生きてた。可愛いはつくれないと思っていた(可愛いはつくれる!という言葉が流行りましたけどね)ので、であれば体型をキープしようと、高校を卒業してから週二で走り社会人になってからはヨガに通う筋トレをする食制限を続けている。
そうやって、劣等感を着火剤にするおかげで行動できるときはたくさんある、むしろ一番大きなモチベーションの源かもしれない。遠くのあの人たちにぜってー負けねーーー!私を振ってきた・素通りしてきた男たちを見返したる!!!と思いながら、頑張って生きてます。その人たちに勝つとか見返すことがどういうことなのか、とかは別にどうでもいい。なので、永遠の着火剤です。一生消えない。
幸せになれないという呪い
世界を広げたら、そもそも幸せ=恋愛や結婚ではないし、可愛い以外にもたくさんの評価基準があることがわかった。いまは当時ほど燃えるような劣等感は持っていないけれども、自己中で卑屈な私はまだどこかにいるし、まみれていた過去の私は消えない、だから幸せになれないと思っていた。
今のやまちゃんと若林さんに「いま幸せ〜〜?」(たにしょーさん風)と聞いたら答えは「幸せ!」だろうし、多くの人に受け入れられているし、私もふたりのことが大好き。だから、劣等感にまみれてた過去の私も、どこかにそんな私がまだ残っていても、幸せになれるんだろうなと思えた。
そして、いまも私は可愛いわけではないけれど、当時よりは可愛くなれたかもしれない。わかったことは可愛さは努力と心の問題で、劣等感を多方面にまき散らしているから可愛くない。つまり、可愛いはつくれる。だけど、結婚もしてないし恋愛も全然していない。でも、今はそれなりに楽しく生きています。
「だが、情熱はある」、良いドラマなので、ぜひ。