どこに続いているかわからない道の先にあるもの。
どこかで思い込んでいることって、意外とたくさんある。言い訳しちゃいけない。意思を持たなきゃいけない。怒っちゃいけない。ネガティブな感情は出しちゃいけない、とか。だけど、なんでそうなのか?考えると、私がいきつくのは親とか他人に「〜したらだめ」「しないといけない」と言われてきたからという理由だった。
誰かに「〜しなきゃだめだよ」と言われることは、たぶん若ければ若いほど多くあると思う。私は全然受け取れないし行動にも移せない。なぜなら、その人が見ているのは私の一部分でしかないし、その人の正しさの中だから、私のためではない。あなたを想っている愛なんだよって言われる。それで、自分は逃げているだけなのかと思うし、余計に受け取れない自分を責めるし、その割に人の意見聞いちゃうし、あーもう自分めんどくさいなってなる。
あと、自発的な「〜すべき」も厄介。私は何をやるにしても「〜したい」から始まるのに、そこに責任をくっつけて、気づいたら「〜すべき」になっていて、相手に対価を求めたり自分を苦しめたりということが時々あった。でも、「〜すべき」と思っていることも「〜したい?」って聞くと、答えは「したい!」だったりする。これを「〜したい」に留めておくように、常々「本当に〜したい?」って問うことにしてみる。
あと、その先にハッピーがあるかを考える。私は私が書いたことに対してみんなからもらった感想とかを、実はスクショしてアルバムにして、見返してハッピーを思い出してます。本当にありがとう。
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やはり、この半年はトンネルの中だったと思う。「雨降って地固まる」の「雨」シーズン。まあ、それより前からずっとあんま天気よくないし、そろそろ誰かに長すぎじゃないか?と言われそうだけれど、人生100年時代だからそういう時期もあるよね。ってくらい。そのときの私はそれを認めたくなくて、私が頑張ればいいんだって走ってたけど、やっぱり、つらかった。心がつらいかどうかって判断がむずかしい。つらいって思うと、ただ逃げたいだけなんじゃないか、私が弱いからなんじゃないか、低気圧なんじゃないかって思ってたけど、先々週、ぽきって来た。
この状況になって自分と向き合ういいきっかけになりましたーとかいうけれど、私は向きすぎちゃう。もともと失敗とか嫌なこととか寝ても忘れられないタイプなのに、この状況だともっと忘れられない。色々な人に「嫌なことってどうやって忘れる?」って聞くと「寝たら忘れるかなー」って答えが返ってくる。うらやましすぎ。忘れられない私が悪いんじゃ?って思ってたけど、もうそういう習性なんだ。寝ても忘れられない同盟、誰か組みませんか。
めずらしく、つらつらと私の弱みを書いている。これらを一般的に弱みっていうかわからないけれど、私にとっては弱みです。なぜ書いているかというと、弱みを出したところで何か悪いことが起きるのか、何を恐れて出さないのか、わからなくなった。もともとわかってなかったんだけど、出した方がいいことがありそうな気がしてきた。
とはいえ、これを読んでつらい感情が感染してたらごめんなさい。でもどこかで私みたいに弱みをだせなくてつらくなっている人がいたとしたら、私と同じような弱みを持っている人がいたら、どこかで共感してもらえるかなって思っている。「わかるー」って最高の癒やし言葉だと、最近すごく思うから。
昨日、友人とひたすら「HSP」についてわかるわかると話してた。HSPというのは、周りからの刺激を過度に受け取ってしまう人のことなんだそう。(HSPについて詳細はこちらから)話してから、記事とか動画を見漁ったら、私は特徴にほぼ全部当てはまる。まわりの人に近い人が多いから、大したことないって思ってたけど、これを認めたらすごく楽になって、今までのつらい感情の理由がわかった。なんか生きづらい、人のことを気にしすぎちゃう、溜め込んじゃうという人はぜひ色々調べてみてほしい。
でね、この9ヶ月くらい、私は必死にこの敏感な自分を押し殺していたことに気付いた。敏感な自分が嫌いだ!って言って。簡単にいうと色々鈍感にして、とりあえず行動行動行動って生きてた。そしたら、最近その代償がでてきて、それが体調とメンタル不良なんだと思う。
敏感な自分、おかえり。
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最近、タロットの動画をよく見る。特に好きなのはレナさんとフローズンマリーさんとホリミホさん。私は占いが好きだけど、それにすがるというか、これに従えば幸せになれる!とかは思ってない。人生の出来事に対する意味づけとして使っている。あと「心の声をもっと聞いてー」みたいなこともよく言われるから、心と向き合うきっかけになる。私にとってはコーチングのようなもの。
例えば、6月くらいまでのタロットでもしいたけ占いでも、後少しで晴れるよ、と言われることが多かった。当時の私は、さっきも書いたけど「雨」シーズンで、ジャングルの中を走っているみたいな状態だった。先が見えない中走って小枝に傷ついてこけて。晴れることを信じたいけど、信じれない。
どういう状態かというと、土日もずっと失敗を引っ張ったり未来への不安でいっぱいで、本当に余裕がない。不慣れなのか努力不足なのか、不向きなのか。不向きなんだ、だからもうあきらめちゃえ!って思いたかった。だけど、これができるようにならないとだめだ、やらなきゃいけないって、勝手に思っていた。
そんなときには、知り合いに教えてもらった「過去回帰法」をやっていた。「過去回帰法」というのは、未来の私を召喚させて、その私に過去(つまり今)の私をストーリーテリング仕立てで話してもらうというもの。「当時の自分はとにかく悩んでいた。これが逃げなのか。何を信じればいいのか・・・」といったように。
それで、本当に晴れてきた。簡単にいうと、発信する仕事をすることになった。これを好きな人たちに言ったら「ゆかちは、やっぱりそのほうが似合うよね」と何回も言われました。私よりもまわりの好きな人たちの方が私のことをわかってくれてるってね、ありがたすぎる。自分の至らなさと好きな人たちへの感謝でしかない。
たくさんある道の中で、あっちがだめだったから、こっちを歩く覚悟ができる、ということもあると思う。そこで起きた失敗や運の悪さを全部自分がつくりだしたものだと思って、全部自分のせいにしてたけど。それらもきっと私にとって必要なものだから、この失敗もつらさも無駄じゃない。
まさにこの話。
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今まで、ちょっと効率的に生きすぎた。でもそのおかげで、やりたいことを実現できたし、いらないコンプレックスともお別れできたし、何より、たくさんの大好きな人たちと出会えたから、良かったんだと思うけど、もっとゆっくり生きようって。
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人は他人を通して、自分を理解する。だから、人は死ぬまで、自分を知るために、人と出会い続けるんじゃないか。働くんじゃないか。やっぱり人には向き不向きがあると思うし、みんなが無意識にできることをやれば、日本の生産力が最大限になると思うんだけれど。そんなうまくいかない。
道がどこに続いているかわからないし、わからない人はわかり合えないから。共感を通して、みんなで支え合って生きようね。
ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。