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30歳になりそうです

物心ついてから年齢の十の位が変わるのが初めてだからか、構えているけど、そんなにきっと変わらない。30代以上の方に話を聞くと悩みが減るよ!20代より楽しいよ!と言ってくれます。悩む必要があることとないことがわかり、どうしようもないことはどうでもよくなる、それはうれしいけれど、何かを失いそうな気もしてそわそわしてます。

ということで、せっかくなのでどのような20代だったかを書こうと思いまして、当時書いたnoteを読みながら書いていたのですが、2年以上前のnoteに書いている悩みや気持ちのほとんど今は自分の中になくて驚きました。笑


社会人1〜4年目くらい

この期間はやっぱり強烈だった。親の大反対をおしきり新卒で入社した会社を1年半でやめ、創業5年50人程度だった不動産スタートアップに飛び込んだ。社会人としてペーペーだったものの一年目にそこそこMVPとかをとってたもんだから変な自信を持ち合わせてしまっていて、それは周りの人のおかげ98%だったわけで、スタートアップに求められる馬車馬パワーもなく、あれやりたいだのわがままをいい、今思うとあなたは若かった。当時の上司には「あなたは本質的なことがわかってない」と言われ、本質ってなんなんだよ!ということもできず、態度で反発してたな、扱いづらい部下だっただろうな。

自分のできることを増やしたい、コミュニティが広がっていくのが楽しく、プロボノでは社会人サークルと宮崎のツアーのプロジェクトで、ライターとかディレクションとかなんでもやってた。どこから湧いてくるかわからないモチベーションに焚きつけられ、がむしゃらに、あのときが一番四方八方からエネルギー噴出してたんじゃないかと、今ではそのエネルギーが欲しくなる。といっても、うまく行かないことのほうが多く、自分も人も傷付けたこともあり、自分の力不足や構造上続けられなくなって、やりきれない気持ちで終わり、当時は浄化できてなかったけれど、心の奥底からやってよかったし、そこで得られた人とのつながりは今も私の糧になっている。何より、友人はほとんどこの時期にできました。人のつながりと馬車馬エネルギーを得た、何者かになりたくてもがいた3年半でした。

社会人4〜7年目くらい

社会人4年目で、キャリアの行き詰まりを感じ、Saas×マーケ、カスタマーサクセスと、異業種異職種に転職した。これまた多少の自信を携えて入社したものの、ずたずたのぼろぼろだった。この会社はコンサルやITメガベンチャー出身の方が多く、カルチャーや仕事の仕方としてもとにかくロジカルシンキング(なぜやるのか?なぜその選択をするのか?)「在るべき」に向き合い続けることを鍛えられた。自分の言い訳や弱さとたくさん向きあい、理論的に何かしないといけないときに本質的じゃないところがブロックして動かないと最終的に良い結果にならないし、それは思い込み!乗り越えられるよ!強強メンタルを武装した。ほんの少しのわからないことや違和感をそのままに進めるとやばくなることも身をもって学びました。コロナ禍だったこともあり、自分に合わないことをやってたり、なかなか辛かったな。けど、この鍛えられた2年半は私の仕事人としてのふっとい幹となっている。

と、2社とも周りの方にたくさんの言葉をもらったが、なぜそんなことを言われないといけないのか、それをやることでどうなるのかわからなかった。が、4社目で全部こういうことだったのかー!となっている。当時お世話になった方に会う機会はないけれど、本当に感謝しかありません。

社会人7年目〜今

そして今の会社に入社して、1年半が経つ。もちろん壁にぶつかることもあるけど、上に書いたような経験とお世話になった周りの方のおかげで、働けている。そして、私が言われことを伝えていて、今度は今は伝わらなくても未来のその人のために言うようにしている。これもこれで鍛錬。もう少ししたらちょっと上の人になることになりました。本当にその時々新しい試練を与えられるものなんだな。

8年間続けていたこと

副業は続けていました。前半はライターや編集、最近ではカスタマーサクセスや広報など。2社目にはライター編集者になりたいと転職し、でも思ってるようになれなくて、諦め、でも3社目はサクセスからオウンドメディアの編集長になって、並行してライティングの仕事を続け、いまは割となんでもどんとこいなライター編集者になれた。プレスリリース、採用インタビュー、事例記事、などトータル10社くらいで書かせていただいたのかな。副業をいただけたのは、ほとんどご縁でした。ぴよぴよだった私にきっかけをくださり、本当にありがとうございました。

ちゃんとした仕事のあれこれはこちら

住む場所

住んできたまちも今の私にとてもとても影響している。社会人2年目に転職と同時に学芸大学のシェアハウスで初めてのひとり暮らしを始めた。その頃から羽を広げて遊ぶようになりました。社会人4年目で、これまた不思議なご縁で、武蔵新城に引っ越し4年半住んだ。色々な人と出会い、お姉さんみたいな人もできて、大好きな場所ができて、仕事もいただき、本当に濃かったな。

そして、今年の4月に縁もゆかりもない立会川に引っ越した。

住まいを変えると、やっぱり何か変わっていきますね。具体でいうと、ランニングコミュニティに入り、ちょっと年齢が上の素敵な大人と話すことが増えた。そこで、立会川住みの人と出会ったり、道端でストゼロ飲んでた人をナンパして、立会川の友人もできた。もっと具体ではない、なにかも変わっている気がする。

変わったこと

喜怒哀楽がわかったこと。特に喜=自分の好きなこととか心地良いこととかを、仕事だけでなく生活で満たせるようになった。例えば、人との距離や関係、普段使うもの、住む場所、服や化粧とか。逆に、こう言うことで自分はイライラする、疲れることもわかったので、避けるとか起きたときはあ〜いつものやつね〜ってなだめればよし。

社会人になって価値観を広げたはいいものの、何がいいのかわからなくて、友人のを試したり羨んだりしたけど、全然しっくりこなくて、そんな自分にイライラいていたのだろうね。何が変えてくれたかというと、大きかったのはコロナ。外の世界が遮断されて、人と距離が離れて、孤独になって、一人でほって練ってを繰り返してたんだろうね。今思うと、であって、当時は全然自分が何してるかわかってなかったけど。

とにかく諦めてきた我が人生。諦めでいうと、自分が完璧にも善人にもなれない、ならなくていいことがわかってから楽になった記憶がある。

多分一番ひねくれてたとき

思考が変わったのは、7年目の終わりにメンタルブレイクして、カウンセリングをがっつり受けたこともありました。

中身を変えたければ外見を変えたほうがいい、という金言があったようななかったようなだけど、2年前くらいに髪の毛をばっさりきったことをきっかけに、ピアスをあけ、人生で初めて髪の毛を染めたら、洋服の好みが変わり、この2年で身につけるものを総入れ替えをしました。今の自分の方が好きです。こうなれたのは、私のことを褒めてくれた友人のことばの力が大きいです。

好きなこと

5年前は好きなことがなかったけれど、いまはドラマと映画と読書です!と胸を張って言えます。コロナ禍でドラマをかなり見るようになり、今は1クールで最低5本は見るほど。映画も好きになり、多い月は12本、毎週映画館に行きます。作家さん、脚本家さん、監督さんの軸で見て、それぞれの作風やテーマを研究するのが好き。

Xでナンパしたり、仕事の後輩とも趣味が同じだったり、大学時代の友人と再会したり、好きなものが同じ友人と、ほぼ毎月遊んで、語り、飲み、そんな時間が至福。好きなことを共有できる人はみんな好きです、いつもありがとう。

5年前にはこんなの書いてた

孤独

ひとりである程度のことはできるようになった。電球も変えられるし居酒屋も美術館も行けるしひとからもできる。孤独は悪ではなくなった。一人が怖くなくなった。世の中がどんどんおひとりに優しくなっている。「一人は楽しくない」から「一人でも楽しい、誰かと一緒なときはもっと楽しい」になりました。

孤独にびびりまくっていたとき

家族

大学4年生〜社会人一年目で母親との確執をのりこえ、今では妹と3人でデートをしたり、ふたりでおじいちゃんの墓参りに向かいながら団子を食べたり、さわやかに120分並んだりするくらいの関係になりました。社会人一年目には父がくも膜下出血で倒れ、そのあと毎年祖父か祖母が一人ずつ亡くなっていった。と思うと、毎年なかなかヘビーだった20代。

このなかで、従兄弟家族と仲良くなり、家族の中にお邪魔して一緒にごはんを食べたり、おじさんと六本木でサシ飲みをしたりもしました。

どうでもよくない話

新しいサービスをたくさん使ったり、舞台やフェスなど興味がなさそうなことにも触れてみたり、たくさんお酒を飲んで記憶をなくしたりしました。家にテレビの取材が2回来て、テレビに出演したこともありました。

podcastもやりました。

忘れてはいけない、22年間彼氏がいなかった私にとって二番目くらいに手強かった相手、ごちゃごちゃした恋愛コンプレックス。社会人で彼氏が二人できましたが、ふたりとも私の付き合うことへの執着、相手への期待など、私の弱さとぶつかり、結果的に人間として成長させてくれました。彼氏欲しい欲の波はざばんざばんしてて、街コン、マッチングサービスなどをおおいに活用し、この5年で50人くらいと1on1をしたものの、すぐに凪になっちゃうので、あーやっぱり欲しくないかも〜となり、3歩進んで4歩下がり続け、今は、会いたい人に会い続けるために、適切な距離感があること、気持ちはちゃんと伝えること、その人と共有できることを増やすこと、だけになりました。幸せになるのを避けてるとか、人と一定以上深い関係になることが怖いとか、そういう自分の根っこにある何かと向き合いつつも、私の幸せは私だけの幸せ。将来、柴犬は飼いたいです。

これから

これを書きながら、本当にいつもどんなときも誰かに、誰かの言葉に助けてもらっていて、その積み重ねのうえに今の私がいると思いました。常に大荒れだった私に付き合ってくださった皆さま、本当にありがとうございました。私も誰かに言葉を渡せていたら、救えていたら、いいな。もっとそういう人になります。

目標もやりたいことも何度も考えてもいまいちで、先は見えないまま一つずつ積み重ねていかないといけないことも、形式張ったことや思ってない上辺で振る舞うことができないことも、目的がわからないことはどう頑張っても動けないことは百も承知です。変に考えすぎたり変な所で弱かったり、だめだめな私を好きでいる努力をし続けるんでしょう。変わろうとしても変えられなくて、変わっていくんでしょう。ね!

努力次第で上書きできること。好きな人を大切にすること。いつか伏線回収されること。他人をわかることはできないけど理解しようとすること。違和感と直感は最強であること。自分のニーズを問い続けること。手放していくこと。時間と環境が解決すること。人は多面的であること。これからもよろしくお願いします。


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とやまゆか
ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。