追悼・高橋幸宏さん 彼のドラムのルーツ、「ザ・バンド」リヴォン・ヘルム、YMOのバンマス感、繊細と洒脱と男気との骨太さの同居について
高橋幸宏さん、R.I.P。新年早々に悲しい知らせが飛び込んで来ました。合えば、ご挨拶させていただくほとの、仲だったのですが……。何度か私にとって大変に濃密な時間を過ごしたことがあり、そのことを追悼の意を込めて書いてみようと思います。
幸宏さんとは、YMOがパルセロナのソナーミュージックフィスティバルにて再結成したときに、雑誌『SWITCH』のお仕事でロングインタビューしたことがあり、その時の印象が意外にも、バンマス(バンドマスター)感だったことに驚いたことがありました。なぜなら、幸宏さんといえば、YMOの3人の中では、一番繊細なイメージ。そのスタイリッシュな出で立ちや、アルバム『SARAVAH』の飄々とした洒脱さや、まるで、プローディガンの小説に出て来る人物のような釣り人風(釣り趣味は有名でしたね)のメディア印象とは違って、骨太くマスキュラン。インタビューに対する回答は、論理的かつ実際的。YMOは細野さんがコンセプトを立てたわけですが、そのバトンを引き継いで、意志と責任を持ってグループを発展させていった膂力は、実は幸宏さんにこそあったのではないかという想いがアタマの中をよぎりました。
幸宏さんとは、一度何かの打ち上げで、同じテーブルになり、ドラムについてじっくりとお話したこともありましたね。YMOについては、あの細野さんのベースのグルーヴライン、坂本さんの楽曲とスター性に関しては多く語られることが多いYMOですが、本当に凄いのは幸宏さんのドラム、特にスネアの“モノのいい方”であると私は長らく思っていたので、当時、その思いの丈をぶつけたわけです。
いやー、饒舌なんですよ。幸宏さんのドラム。そういうと手数が多い、ジャズ・フュージョン系のドラムのように思われますが、そういう「モノのいい方」ではない。ハイハットワークなどはほとんど無い、タン・タンというスネアが音色も含めて、軽そうでいて、実は深部に突き刺さる重量感があり、唯一無比。
簡単に言ってしまえば、YMOの楽曲は、メロと同様にあのスネア音を思い浮かべる人が多いのではないか?! という。ビートルズのリンゴスターは、その”オカズ”の独創性で群を抜いていましが、それと同種。ザ・フーのキース・ムーンにも独特の味がありましたが、そんな感じ。
ちなみに、クラシック分野の特にマーラーの交響曲第6番の要は、ティンパニーだったりするのですが、全体の曲相を決定するといってもいいほどの重責がそこにはある。そういったタイブのドラムです。テクノ→打ち込みという自動思考だと、「(機械のように)正確」という評価をされていたと思うのですが、そうではなく、独特の「ドラム言語」があった人だと思うのですよ。
幸宏さんの口から出た意外なバンド名はザ・バンドでした。70年代に活躍したアメリカの著名バンドでしたが、当時オンタイムではラジオやロック喫茶(吉祥寺の「赤毛とソバカス」とかの)で耳にしたぐらいで、スルー。私の印象では、土臭い、バンダナとネルシャツ&長髪系のロックと認識していたので、もの凄く違和感を覚えたのです。
「えっ、聞いたことないの?」から始まって、インタビューで感じたあの骨太な説得力にて、リズム体とその全体的なグルーヴの素晴らしさ、自由さの本質のようなことを語っていただいた。
で、帰宅してから、音源を探ったら、そこにはまさに、スタイルは違えども、高橋幸宏のルーツのようなドラムの存在があったのです。その名はリヴォン・ヘルム。この方も、まさに「歌うドラム」かつ、まさに、スネアのバックビートのノリと音色だけの究極シンブルなプレイスタイルです。スネアのゴーストノート(スネアのメインビートに装飾的に入れる弱音のオカズ)もこの人の特徴で、シンバルとハイハットオープンのような派手な手数がないのに究極に力強い、他に類を見ない独特のグルーヴが本当にカッコいい。勢い余って、ネットに掲載されていた彼のインタビューを読むと、そこにはメンフィスのブルースドラマーたちからヘルムが受け取ってきた、スネアの音色にこだわる伝統、アンサンブルのベースを背負う宿命が語られています。
そう、高橋幸宏ドラムのルーツのひとつは、メンフィスにあったんですね。ニューオリンズ、黒人音楽の敬愛で知られる細野晴臣さんとのタッグマッチの紐帯はまさにここにあり、YMOというバンドがこれだけ人々の心にしみこんでいる土台には、テクノ、電子音楽という表層とは別の、こういったポップスの文化土壌が存在したというわけです。
しかし、そんなルーツとは全く関係の無い、ヨーロッパ風でファッショナブルな出で立ち。多くの文化系は「あー、この音楽が好きならば、こういう文学に映画にファッションね! 」という分かり易すぎる紋切り型でおのれを創り上げますが、そういうのが嫌い、嫌いというより小っ恥ずかしい、というような、江戸っ子的なセンスが幸宏さんにはあって、本当に、そここそがカッコよかった。
ご冥福をお祈りします。