飛客日記『才媛』
「おにーさん、この子昨日入った子。上がってあげてー」
僕は背中に羽が生えてるかのように早足で通り過ぎる。
「なんや無視か」
おばちゃん、その捨て台詞バッチリ聞こえてんで。
だが、そんなことは気にしない。目指すお店はただ1つ。
目的のお店に到着し、すっかり顔なじみになったおばちゃんに話しかける。
「おばちゃん!きょうマ…」
「マイちゃんな。いま接客中やねん。上で30分待っとって」
食い気味におばちゃんが応える。これもいつものこと。
『上』というのは使ってない部屋のこと。女の子が接客中に外で時間を潰していたらその間に運良く通りかかった別のお客さんにお目当ての女の子が取られてしまうかもしれない。なのでおばちゃんが確実に上がると思ってくれた客は別室で待たせてもらえる。
これまでにゲットしたマイちゃんの情報は、
大学卒業後に一般企業に就職したものの合わなくて1年で辞めてしまったこと、いま彼氏はいないということ。
なぜ男は「彼氏いる?」という、女の子にしてみたらどうとでも答えられる無意味な質問をしてしまうのだろうか。
女の子が「うん彼氏いるよ」って答えたとして、そのあと別に話広がらないよな。
「お待たせ」
マイちゃんがふすまを開けて迎えに来た。
「あーマイちゃん。きょうは60分で」
「ありがとう。でもまずは部屋移ってから話そ」
僕ががっつき過ぎてマイちゃんがくすくす笑ってる。
カワイイ。きょうも安定のカワイさ。
部屋を移ってたわいもない話をした。
「マイちゃん、いい匂いするね」
「ホント?なんだろう?ボディクリームかな」
マイちゃんが、商売道具が一式入った大きなトートバッグから瓶を取り出しキャップを取って僕の鼻先に向けてくれた。
「あっ、そうそうこの匂い」
「これね、ディオールのボディクリーム。ちょっと高いやつ」
ディオールってなに?って思ったけどそんなことは質問せず
「すっごくいい匂い。なんかマイちゃんぽい」
ディオールがなにかは分からないが、いまのが褒め言葉になってないのは確実だろう。
「うーん。匂いが強いって、このお仕事ではあんまええことではない」
「なんで?」
「お客さんは結婚してる人もたくさんいるから、家帰ってから奥さんにバレんねん」
「あー」
「だからほんまはもっと普通で、匂いがあんまりしないやつがいい。ジルスチュアートとか」
ジルなに?と思ったけど「ああ、そうなんだ」って返した。
話題を変えよう。
「接客で大変だなーと思うことある?」
「大変なこと。。。あっ、この間、馴染みのお客さんが台本を持ってきて。台本って言ってもA4用紙2枚だったけど」
「台本?」
「そのお客さん、歳は聞いてないけどたぶん60歳くらいのかたで」
「うんうん」
「『そのお客さんと私がクラスメイト』って設定で楽しみたいって言ってきて」
「えっ、『先生と生徒』ではなく?」
「そうなの!リアルだったら話が合わないでしょ?だからその台本が頼りで、『5分ください』って言って急いで台詞を暗記した。で、そのお客さんメチャメチャ喜んでくれて、それから90分とかで入ってくれる」
飛田の女の子は還暦の男とクラスメイトになる演技ができないといけないのか。僕は勝手にそのときの二人を想像して軽く引いてしまった。
でもマイちゃんはニコニコしてる。
「ぼ、僕もマイちゃんにクラスメイトの役やってくださいって言ったらやってくれる?」
そう言うと、マイちゃんはアハハッと爆笑して
「もちろんもちろん。どうせならセーラー服着たほうが盛り上がるかな。頼むときはセーラー服用意しといて」
ドンキにピラピラのセーラー服売ってたかな?あっ、その前にそういうチープなやつサイズってあんのかな?と真剣に考えた。
次の質問。
「マイちゃんは、出勤のたびに大金を稼ぐわけでしょ。気が大きくなって無駄遣いしちゃわないの?」
「うん、ぜったい無駄遣いしちゃうから前日の売り上げは翌日口座に入れちゃう」
マイちゃんは続けて
「飛田の売り上げの記録って伝票に手書きやねん。忙しいときはわけわからなくなるし、コンドームとかウェットティッシュとかはぜんぶ自腹で調達やから経費も管理しないとあかん。だから家帰ってからExcelにぜんぶ打ち込んで毎月の収支を管理してる」
Excelで収支管理。
「えっ、マイちゃんExcelでお金の管理してんの?Excelの使い方勉強したの?」
マイちゃんは微笑んで
「大学にいたときは毎日のように使ってたし、社会人になっても必須スキルやろ?特に気合い入れて勉強しないでもすぐ使いこなせるよ」
端正な顔がいっそう輝いて見えた。
「マ、マイちゃんみたいに賢いと、き、客が馬鹿に見える?」
コンプレックス丸出しの質問をした。
マイちゃんは一瞬呆けたような顔をしたあと、ふふふっと笑って
「馬鹿になんか見えないよ。運がいいのか私のお客さんは優しくて紳士的な人ばっかり。たいていのお客さんはお仕事頑張ったお金で飛田に来てくれるんだから、ちゃんとした人なんだなぁとは思うことはあっても、馬鹿だなぁと思うことはないなー」
百点満点の優等生回答。ぐうの音も出ねぇ。ぐう。
「あっ、まえに泥酔した客が勃たないのを私のせいにして時間になっても下りようとしなかったときは『死んだらええねん』と思った。そういうのはある」
また、ふふふと笑った。
キレイだ。魂を抜かれそう。
そのとき、なぜか勤めてる会社の経理部のおばちゃんを思い出した。
そのおばちゃんはExcelのSUM関数がエラーになるたびに僕に内線電話を入れてくる。
説明してるとき『関数』という単語を使うと逆ギレする。
いま目の前にいる平均日給10万円(推定)の美しい女の子はSUM関数で悩んだりしないだろうなぁと無意味に思った。
マイちゃんにはリピーターを増やすしたたかな戦略がある。
自分がカワイイのはもちろん分かっていて、お客のニーズがどこにあるのかも見抜いてる。
他のお客さんを相手してるときのマイちゃんは、いま目の前にいるマイちゃんとはぜんぜん別のキャラを演じてるのかもしれない。
そう考えると、ちょっと怖くなってきた。
食虫植物が昆虫を飲み込むのを見てしまったような。見たことないけど。
チャイムが鳴った。最後の質問タイム。
「マイちゃんはお客さんにすっごい愛されてるから、お客さんから告白とかされるんじゃない?告白されたとき、どう答えてるの?」
マイちゃんの顔がきょう初めて曇った。
「うーん。難しいよね…好きだって言ってくれるのは別にいいけどね…」
マイちゃんの顔が曇ったのを見て、僕は異様に焦った。
タイミングよく2回目のチャイムが鳴った。
「きょうはありがとう。マイちゃんといるとホント、話が尽きない。また来るね」
「うん、ありがとう。今度来るときはセーラー服持ってきてね」
カバンにセーラー服が入ってるとき路上で職質されたら警察署まで連れて行かれるのかな。
マイちゃんとおばちゃんにバイバイして、商店街の方にフラフラ歩いた。
スーパー玉出の辺りでふと立ち止まり、手のひらを嗅いだ。
「うん。やっぱええ匂いする」
そのときおそらく世界で一番キモい顔して動物園前駅に向かった。