非僧非俗でありたい、鏡になりたい

別に診断されなくてもいいんですけど、何してても心が揺れないまったく興味も感動もない、むしろ胸が痛くなる、楽しい幸せが欲しくないし、希望もわかない、ただただしにたいだけなんですが、これ完全に鬱ですね、常に苦しい、はあ、
諦める、受け入れる、感謝する、愛する、そしてまた諦める...の循環をたいせつにしたい
意識して手放せるように、所有ではないけど関わって流れられるように
崩れる前ってなぜか察する、予兆を捨ってしまう
たかが一瞬の痛みで全てを終わらせることができる、だが無にはならない、何か誰かになって繋がり続くではあろうけど
依存、所有、反応、固執、薬も、他者も、欲求も、崩壊だって、何一つとして永遠ではない、常に無であることだけが救済
発作と動機で起きる、起きたら苦しい、ならば起きなければいい、しんだらもう生まれ変わらないことが目標のように、眠ったら起きない、つまり眠ったように生きる
永遠などなければ我の所有や連続性など以ての外であり選べない見えない予測も操作もできはしない、与えられている中を常に待っては流れるだけ
理想を作り持つことは足掻きであり反動に苦を発生させる、ただの幻影である、いまの意識とは仮、概念化と勘違いの境界線を見極めるべき
反応を消して寂静を得ること
聞くことで見るということを
依存、他人、薬、崩壊、どれにも救済はない自暴自棄も分かられたいだけ甘え、誰も理解してはくれない
理屈を拒むことは本来の目的と矛盾している、特に女性、自覚を求めることとは違って、生命とは知性である、それを器として欲するのに対し、理解に務めないことは未だ自分本位あることである、母親や教育者としては程遠いであろう、だからこそ本を読む女性は魅力的なんだ
妊娠期間て生理が止むの代わりに胎児の成長に変換されているような気がする
人は痛みによって心身共に大きくなるんだなと

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