楽しいことって楽しくない

楽しみ、幸せ、どれも永遠ではない
欲を追っては常に揺らされて苦しめられているのに。感情もいちいち一喜一憂する無駄な反応でしかないのに。事実は色でしかないのに他また先は仮でしかないのに。決まっていないけど見えないし操作も選択もできない与えるだけなのに。
段々と妄想することもなくなり見えないものへの信仰や想像すらもしなくなって大人になって老いていって、それでも輪廻があるとしたら業火で焼かれて転生した先では見えないもの幻想が見える
童心を付与されてまた子供という1からのスタートだったら、きっと見えないものは存在するしバ力げていると段々と見えないものを薄っぺらくて浅い体験やらを根拠として否定していく大人たちこそ間違っているのではないか、なのではと思った、早くネット脳にへと回帰したい。
満たされないことに不満、じゃなくて、無が心地いい、無がとにかく永続、反応しない発生させない、そうすると今になれる目の前の瞬間と繋がり続けられる、ほんとに何を追わなくて求めなくても心地いいんだよ、感情も意識もあって、存在できる
虚しさとは軽さであり軽さによって加速する寂しさこそが心地いい
重さ大きさではなく多さ量こそが豊かさ、如何に流せるかの調整を任されている

べつに特に期待も希望もない
自覚を求めて追ったり飾ったり揺らされたり
もう、これは、いまの私は、いきてはない、いきているとはいえない、
ただ脈打つ肉片、呼吸する屍、ただしぬを、暇つぶしで延命して、余所見して待つだけ、
持つことは対比が発生するの永遠に完璧にはならない、完成とは調和だけ、
要は反応しないことで無になれる永遠になれる、自我をうまないこと、生まれ変わらない、眠って生きること
らくになってきた

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