おいしいもの、と可愛いもの、だけで充分

残りの人生、晴れた日にはカメラ持って散歩して、雨の日にはお気に入りの傘持って、お裁縫して、美術館と喫茶めぐって、猫なでて、本読んで、ぬいぐるみに囲まれながら寝て、作った焼き菓子を食べながら映画観るだけの生活したい、すきなことだけして生きていたい
秋冬   雨   休日
この3条件が揃ってる日、だいすき
ほんとうに、質や鮮度の高い散歩は、そこらの血出す自傷行為なんかより、よっぽど快楽だよ
しぬとは、自分以外になることですが、それは趣味に対して夢中になったり没頭した状態のように、それが散歩は愛と共鳴という内容において、長期的に持続されるのです、とても快楽なのです
ないものは欲しがって、だけど蓄積や所有は崩壊を恐れて守る、不可逆と矛盾
広くて大きいの意識に甘えないで、詳細と深層は共にある敬意であるよ
方針や基準を持つと堆肥が発生するのでつまり我は苦
ないものを追う、埋めようと欲しがる、対比ばかりに惹かれる、隣の芝生は常に青い
ホコリも、雑草も、かがみのくもりも、自然と湧くし終わることはない、ふしぎだね、掃除こそ洗練であり、生きることは基本的に無意識のうちに汚れているのだな
趣向は遷ろうけど、いつか欲求を湧かせることに一苦労となる時期がくる、それまで興味とか好奇心とか生命力とか、どれほど維持できるだろうか
依存と自覚に救済はない
つまり自他要因どちらも共に無情である
反応や基準といった仮である錯覚を打ち消さねば
拒む避ける追う選ぶことのどれもが不安ならば、共鳴を意識して調整に集中すること、何事も旬がある、大きさや重さは古くなり腐敗する、光の粒子と波動といった性質のように、繊細な多量こそがポイントである、それこそが若さ生命力である

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