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人間は成長しないこともある

 身長154cmというのは女性の中では若干小さい方かな、くらいの大きさだと認知している。小学校を卒業するころには150cm以上はあったと記憶しているため、そこから大して変わっていない。
 実は中身もそうだ。当時から自覚するほどかなりませた子供だった。小学校高学年の頃、宿題とは別に何でも良いから毎日1ページ書くことを課されたノートがあった。用途としては興味のあることを調べて書いたり、本の感想や日記を書いてみたりするもの。私はそのノートに「むやみやたらに人に優しくするのではなく、相応の責任を負う覚悟があるときにだけ手を差し伸べるべき」という新聞の投書欄みたいな内容の文章を書いていた。それも1度や2度ではない。そうやって当たり前みたいな顔でエッセイ本もどきみたいな使い方をしていた記憶がある。先生はそんなノートにも必ずコメントをくれていたけれど、もしかしたら困ることもあったかもしれない。
 こういうことを日頃考える子供だったからか、周りを自分より幼いと見下す気持ちがあった。あまり友達もいなかったから、そう思うことで自身を守っていた部分もあったのだろう。昼休みは本を読んだ。教室が騒がしい時は空き教室に逃げ込んで、そこにも人が居たら保健室でカーテンをしめてもらってひとりの空間を作ってもらっていた。

 ……今と変わらなくない!!??信じられないくらい変わってない。休日を共にする友人はほとんどいないし、大人数の騒がしさが苦手で自分の部屋が一番好きだ。部屋のカーテンはできたら開けたくない。なんなら活字はあの頃の方が熱心に読んでいただろう。そして今だって人に情けをかける時は責任と覚悟が必要だと思っているしnoteを使ってうだうだと自分の考えを吐き出している。私は本当に本当に、小学生のままだ。多少早熟だったかもしれないが、その地点から驚くほど成長しなかった。心身ともに第二次成長期を逃してしまったのだった。

 こういう人間もいる。昔から顔立ちが大人びていると大人になってから童顔に見えてくるように、あの頃大人だった私は今となっては私は本当に子供で、きっと小6の自分がそれを知ると鼻で笑われてしまう存在なのだろう。でもあまりショックでもない。誰よりも高かったプライドは、色々あってひしゃげてしまった。それが成長か退化かは各々の判断に任せるが、せめてこれをインターネットの海に放流することで面白がってくれる人がいたら良いなと思った。流石に誰かが笑顔になってくれたら昔の私も悪い気はしないだろう。

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