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Vtuberと鏡

 Vtuberの好きなオリジナル曲についての記事を書こうと筆を執り気づいたことがある。挙げようとしていた中の数曲の歌詞に鏡の意味を持つ言葉が含まれていたのだ。ふーん、なるほどね、これは別で記事にしてみようと思い今に至る。

 私がたまたま発見した鏡についてのワードを含む曲は以下3曲だ。にじさんじに所属する男性Vtuber3人のそれぞれのオリジナル曲である。他にも心当たりはあるがあまりに増えると挙げていくだけで終わりかねないので割愛する。

・トレモロムーン / 加賀美ハヤト


・はんぶんこ / 三枝明那


・透明な心臓が泣いていた / 甲斐田晴


 そもそも、鏡というモチーフはおそらく歌詞に含むものとしては珍しくない。自分を見つめる、そういう意味合いを持つからだ。けれどVtuberの曲となるとそれだけではなくなる。

それは太陽の緋を借りる物語
私の総てを反射うつす鏡のように

トレモロムーン/加賀美ハヤト(作詞:buzzG)

Mirror 僕の中にいる君と今手を取り合うよ
Mirror 反対の世界に居る君もそう屹度
色付いた日々で二人が一つに 今全てが叶うだろ
だからそんな顔しないでさ 笑ってよ

はんぶんこ/三枝明那(作詞:いう”どっと)

僕は誰なんだ 鏡みたいな夜
飛び込む時は一緒だ
ずっと 聴こえていたんだよ

透明な心臓が泣いていた/甲斐田晴(作詞:堀江晶太)

 上記の歌詞ではもう一つ、端末の中の自分を見ることの意も含まれているように思う。彼らが彼らの姿をとるとき、専用アプリをいれた端末用いて自らを映し、そしてそれは画面へ鏡のように反映されるはずだ。その画面の中の自分は、自分自身でありながら自らの作品でもあり役でもあり、そして人によっては理想だったり憧れだったりもする。何万人ものファンを持つその姿の陽の強さに、鏡の外の自分が呑み込まれそうになることもあるのだろうか。

 そしてさらに、画面を隔てて私たち視聴者と向き合う様子もまた、液晶を鏡面に見立てた鏡合わせだ。
 しばしば私たちは、自分と彼らを重ねることがある。私とは似ても似つかない姿や立場を持つ彼らに対して、同じ趣味をと通して、あるいは覗かせた感情の一端を感じ取って、もしかすると自分と同じなのではないかと烏滸がましくも思い、手を伸ばしてしまう。親近感は同一視という魔物を生むが、それに対して彼らは、優しく手を伸ばしてくれる。鏡のように、近づきたいと願う私たちに歩み寄って語りかけてくれる。

 そして、彼らと反対の世界に居る私も彼らの姿を見て、改めて自分と向き合う。視聴者とVtuberとの間の営みには複雑にいくつもの鏡合わせが存在しているのではないだろうか。

 このように鏡のモチーフはVtuberにとってかなり相性が良いものなのだろう。参考にした3曲がどれもVtuber本人の作詞ではないところもまた、客観的に見て用いやすいモチーフだということを示しているように思う。
 あくまで私の解釈であることを改めて添えつつ、感想のひとつとして残しておく。聞き手によって味わい方が異なるのもまた、良さと言えるだろう。

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