supernova
小学校高学年頃から中学を卒業するまで、同級生に漫画とCDを貸しまくっていた。それは自発的に始まった私なりのコミュニケーションで、当時周りの好きなアイドルやティーン向け雑誌の話についていけなかったのを、私がみんなの好きなものを見るのではなく、みんなに私の好きなものを見せるというかなり強引な手段を用いて解決しようとしたせいだった。
ひとりの男子に鋼の錬金術師を読ませれば、その友達から声がかかったし、そのすぐ後にはもうサッカー部中で回し読みされていた。そうすると返して貰うときや休み時間に感想や好きなシーンの話が出来る。そうやって少しずつ私はあの狭い教室の中で立場を固めていった。単純に漫画にお金をさくことのない子たちにとっては便利な存在だったとも思う。私は広めたいものを読んでもらって趣味の合うクラスメイトが増える、相手はタダで漫画が読める。少なくとも私にとってはwin-winの関係だった。
徐々に漫画だけでなくCDも貸すようになっていった。BUMP OF CHICKENを聴いてから邦ロック、とりわけロキノン系に傾倒していた私は、漫画で趣味が合うと感じた子たち、成長と共に音楽に興味が出た子たちにこっそりとBUMPやアジカン、RADのCDを貸していった。約3000円のアルバムは漫画よりも手が届かない。私の家はお小遣いは全くなかったが、お年玉を全額自分で管理するルールだったため大きい額の買い物にそう躊躇のない子供だった。今思えば浪費癖のはじまりなのだが。
世界の終わりのデビューミニアルバムはクラス内で小さな流行と呼んで差し支えないほど色んな人のもとを巡った。その頃にはもう立派にスクールカーストが出来上がっていて私はその下層ではあったけれど、こと漫画と音楽においては一軍の子たちから一目置かれると同時に、こいつは褒めれば差し出すちょろい奴との評価を貰っていたと思う(貸したものは返して貰っていたのでトラブルはない)。これに関しては私の地元が保育園から中学校までを共にする人が7割程と、みんな幼馴染のような土台があったからではある。カーストはあったが厳しくはなかった。オタクにも優しい恵まれた環境で、闇商人のように自分の趣味を流通させながら立ち回ることで、私はほどほどに円満な学校生活を手にしていたのだった。
とある日、学校を数日休んだ男の子が私にお礼を言ってくれた。それは、前に貸していたBUMPのアルバムが彼の助けになってくれたからだという。彼が祖母を亡くした忌引き明けのことだった。彼が私に言ってくれたのは、
supernovaが自分を助けてくれた、初めてそばにいる誰より音楽が自分の気持ちを分かってくれる体験をした。だから感謝している、ほんとうにありがとう。と、そういう内容だった。
私にとっては文字通り布教で、当時自分にとって神さまのように思っていた曲やアーティストを知ってくれることで自分が満たされていた。だけど、それが偶然でも彼の助けになったことは純粋に嬉しかったことを覚えている。
中学校を卒業するとき、私のアルバムには○○と出会わせてくれてありがとう。という言葉がいくつか書かれた。休みの日に遊んだり、恋愛の話で盛り上がったり、そういう関係を築くのは下手くそだった私ができた精一杯の交流を受け入れてくれた同級生の優しさの塊みたいなメッセージだ。
明るくもない日々だった、友達と言える人はもはや片手も必要ないかどうか、アルバムのメッセージだって本当は社交辞令やおべっかみたいなものだったかもしれない。だけど、まったくの嘘でもないと思っている。だからあの時のクラスメイトのみんなはもう覚えていなくてもそれはそれで構わないのだ。