2024年10月12日、それでも僕らは
月には行かないのワンマンライブ「それでも僕らは月には行かない」に行ってきました。
※音楽の記事書く度に書いてますが知識はゼロです。ろくに楽器も弾けないし歌えないし感覚でものを言うのできちんとしたレポではなく日記です。個人の感想であり効果効能を科学的に証明するものでも、客観的に音楽を批評するような文章でもこざいません。好きなものを好きだと書き連ねるだけです。
がっつり聴き始めたのが9/25リリースの新譜「生き急ぐ僕らへ」がリリースされた後だったため、正確には分からないけれど3週間足らずでライブへ足を運んだことになる。えー、せっかく地元だし行こうかな、いやでもホンダ楽器行ったことないしな、いつも見る顔ばっかで慣れてる人しかいなかったら浮くか?そもそも私自身が邦ロから遠ざかってたのもあってライブどんだけ行ってない???と考えているうちに当日が近づいてきて、予約フォームの送信が完了したのは多分2日前とかだった気がする。決め手は3連休の最初の日だから、多少疲れても何とかなるだろ、というものだった。結果これが英断となりました、祝日に感謝。
当たり前だけど音圧にびっくりした、コロナ禍の間にライブ経験値がマイナスになっていたから仕方ない。ライブ用の耳栓の存在意義を身をもって感じたけど耳壊れるぐらいがちょうど良いと思ってる人種なのも思い出した。
セトリは覚えてない、2曲目にOver!!がきた時点で記憶するのを諦めた、無理。冷静でいられるか。
彼らが鳴らした振動が私の鼓動や感情を揺さぶって音楽と成っていたということだ。オタクってすぐ天才って言うんですけど全然天才と呼ばせてもらうよ。行き慣れない場所での緊張みたいなものはすぐにどうでもよくなって、そこからはあっという間だった。
とにかく、とにかく目まぐるしくて、ここ最近聴いてきた音が目の前で鳴っている感動でいっぱいだった。ほんとうに申し訳ないけれど個人名とお顔すらしっかり覚えていない状態だったのもあって、見れた!というよりは聴けた!!という感じが嬉しくもある。そこから少しずつ、演奏をする様や表情、空気感を味わっていくという順番で咀嚼させてもらった。ありきたりな言葉だけれど楽しそうに演ってる姿を見ると自然と表情が緩むんですよ、青さと若さがその勢いにブーストをかけて楽しさを増幅させている気すらしていた。ちなみにドラムの永吉さんが叩きながら表情をころころ変えてるのを見てオタク心が疼きました、ごめんなさいありがとう。
BUMPを吸って育った人間というのもあって自分はそもそも音楽を吸っているのかそこにあるメッセージ性を吸っているのかが区別できない。そこが自分のコンプレックスでもあるのだけれど、このライブ中はずっと音と感情で殴られててハイになれてました。さいこ~~。
憂鬱も昂揚も愛情も何もかも本当は自分だけのもので、それを音や歌詞に乗せてこちらに放ってくれること自体にパワーを貰う感覚がある。私はそうやって彼らの音楽や言葉や関係性や人間性を勝手に消費しているだけに過ぎない。あらゆるコンテンツの話をする度に言っているんですけど、音楽や言葉や絵やお芝居ほかにもあらゆる”表現”を人生の真ん中にしてそれで生活をしている人、しようとしている人たちはもれなく全員終わりのない苦悩に身を置いてると思っている。どうして自分が、それをやるのか、いつまで、誰のために、何のために、何を生むのか、どう死んでいくのか、いくら考えて悩んで自分の人生を賭けたって消費者はそんなこと考慮してくれない。私が月には行かないを好きになれたのだって、タイミングが合っただけかもしれないし、退屈を紛らわせるものを手あたり次第探していたからかもしれない。彼らじゃなきゃいけなかった理由は私なりに持っているけれど、そんなのただの後付けに過ぎないのかもしれない。
今日彼らには彼らの葛藤があったことをMCでのぞかせていたけれど、つまり消費者であるところの私にはその全貌を知ることも、軽くすることもできない。出来るのはただ聴くことと、ほんの少しだけお金を払うことくらい。それとこうやって小さな声でも彼らのライブが素敵だったことを文字にすることくらいだ。だけど結局のところ、人生の交差というのはそういう些細なことだ。私という小さな人間が生きていく中でそうやって沢山のアーティストと、コンテンツに勝手に影響を受けて勝手に人生を変えていく、今日もまた、その中のひとつだった。
世の中にあふれる沢山の音楽の中のひとつを、たまたま私のメンタルが終わっていた時期に、動画サイトで見つけて、ワンマンがあることを知って、その日の予定が空いていた。偶然が幾重にも重なってその結果生まれたのが、私にとってはかけがえのない夜だったのだ。
もっと曲の感想とか書いたほうが良い気がしてきた。正直聴きたい曲全部盛りみたいな感じで満足感が高すぎて頭が働いてない。「セヴンデイズ・ブルース」は始まった瞬間に待ってましたと言わんばかりの表情になってしまったことは覚えている。それと「映画に成れない日々の中」が人生賛歌と称されていたのが腑に落ちて印象的だった。月には行かないというバンドがここまで来た道のりを全く存じないけれどやっぱり彼らの曲には赦されている感覚がある。甘やかされているともいうのかもしれない。大抵大丈夫なことばかりに一喜一憂して過ごす愚かな人間を愚かなまま受容してくれる。器がでかい船だなぁ、ただ一段下の客席から聴いている、ただの私のことも、私の隣にいる、前にいる、このフロアにいる人間を連れて行こうとしてくれているんだと、それがどれだけ遠いのかわかっていながら言葉にする覚悟が素直に格好良いなあと思って、そういう感性が自分の中に生きてたことにも面白くなったりした。
「恋したあの娘ロックスター」で皆とでけー声で万事オッケーって声出すのほんとに楽しかったです。また聴きに行きます。日常に溶け込む音源とは違って、非日常を味わえるライブで聴けて本当に幸せだったな。
余談の更に余談だけど、上に貼った別の記事に書いたみたいに簡単に言うと割としんどい時期が来ていて、自分にとって今このタイミングでライブに行けたのはある種の奇跡だったんだ、本当だ。勢いで終演後の物販で武尾さんに「絶対にエゴサに引っかかるようにnoteに日記書きます」って言っちゃったけど言って良かった。言葉にすることは感情を型に嵌めてしまうことだけれど、言葉にしないと自分でも理解できないことがたくさんあるから。私が今夜触れた感情が欠片でも拙い言葉で残せて今日抱いたオタクくんのクソデカ感情も成仏してくれることだろう。
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