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天啓なんてない

 ジョー・力一1stミニアルバムリリース決定の発表と共に公開された曲「レイテストショーマン」の感想やらなんやら。

 本人曰く「ラジオで視聴者からもらった幾多の相談などにに対するアンサーとして書いた」と言われる歌詞。これを出されて正気でいられるファンはいたのだろうか。私は”推し”と称するほどではないにしろ彼のラジオや雑談、歌を楽しみにしている視聴者のひとりとして、発表されてから今まで咀嚼しきれない感情を抱き続けている。

 誰かの悩みに答える時、人はどんな言葉をかけるだろうか。解決手段を提案する、自分の経験を話す、ただ頷いて言葉を促す、そのどれも相手を思う心に由来するのであれば間違いなどない。力一はそれに対しこの歌詞を紡いだ。自分の燻っていた頃や現在の人前に立ち続ける自分を綴る歌詞は具体的に他人の悩み直接的に大丈夫だとか、頑張れだとかを一切言わず、ただ自分を見せてくれる。生き様というのは少々恰好つけた言葉ではあるが、まさに彼の生き様やポリシーを歌っていると感じた。

ここでにじさんじ公式HPにある彼のプロフィールを振り返る。

正体不明のピエロ。
ティーンエイジの終わりに突如天啓を受けて以来、フリーランスの道化師として活動中。
トリッキーな容姿や言動とは裏腹に寂しがり屋で、常に人とのふれあいを求めている。が、ピエロゆえに孤独である。

にじさんじ公式HPより引用

 正体不明なミステリアスさを打ち出す割に本当は寂しがり屋なことを既に明かしている不思議なプロフィールは、驚くほど明け透けだ。人によっては公式怪文書とまで言われる公式プロフィールだが、これに関しては彼を知るための手掛かりとして充分に機能していると思う。

 ステージの上は孤独だ。ピエロとしての仮面を被っていれば尚更。観客の有無も量も関係なく、ただ自分とその技のみを頼りにして、幕が上がっている限りはショーを続けなければならない。
 Vtuber、インフルエンサー、タレント等として自身を長時間人目に晒して売り物にしている人にとって、舞台袖でうかうかしているのは禁物だ。それ故、未完成でも自身を人目に晒す特有の苦しみがあるだろう。完成されたもののフリをして、あるいは等身大の親しみやすさをもってして、自分を如何に魅力的に見せられるか、その演出の上手さがコンテンツの完成度と大いにかかわってくる。プロフィール文は力一がこの両面を抱えていることを明示しているように見える。
 この、表現者としては微妙にセンシティブな側面が最初から彼の在り方と直結しているからこそこの曲の歌詞は赤裸々なほどはっきりと、未熟な己が虚勢を張ってでもそこに立っていることを歌っている。

分かってんでしょ わかりゃしないでしょ
天才 前夜なんです
過大評価と 神様だって仰った
でも知らね 気持ちだけ 頂戴しときますね

レイテストショーマン/ジョー・力一

 リスナーというのは配信者本人に近いし遠い。一番近くで活動を応援する存在でいながら、水面下で動いていることや本人の心情については言ってもらわなければ感知もできない。味方であっても理解者にはなれない、そういう距離感だと思っている。私は力一さんの配信を見ながらその巧みな話術と温かな言葉に感心しているし、どうしても贔屓目にみて天才じゃん!と思ってしまうことはままある。私のようなリスナーの声によって孤独なピエロは配信上で人と繋がっていたって、より孤独にを浮き彫りにするだけなのかもしれない。誰も本当の顔を知らないまま、そういう生き方を選んだ自分を自分で奮い立たせるしかない。

 天啓を受けてピエロとなったらしい彼はこの曲でその天啓すら否定をしてみせた。選択はいつだって自身で行わなければならない。何を為すのか、何が為せるのか、彼も私たちも自分で叫ばなければならない。レイテストショーマンとは、高らかに、自分の在り方をもってしてそれを告げる曲なのだ。

 リスナーと配信者は近いし遠いと先述したが、それはリスナーからしても同じことだ。日々の楽しみにはなれど、その存在が直接的に生活に変化をもたらすわけではない。画面の中の彼らと過ごす時間とは別に、私たちの人生を行かなければならない。
 もしその私たちが何かを為したいなら、何者かになりたいのなら、それを叫んで、もがいて、今更だってなんだってその身をスポットライトに晒す覚悟をしなければならない。思いが芽生えた時点でほら、幕は上がっているのだ。

 誰かにとっての最高となる、ほんの一瞬誰かに笑ってもらう、彼は自身の満身創痍の末にそれがあれば良いと歌う。彼のステージに対する執着と渇きがあったからこそジョー・力一は生まれ、私たちの眼前で愉快の限りを見せてくれるのだろう。この曲で感じるその心意気の片鱗に対して、私は感謝と敬意、そして愛しさを覚えた。

ショーは続く、いつか終わるその日まで。
せめてそれを見逃すことなく、目に焼き付けていたいと改めて思う。
そして私も私のショーを全うすべき時が来たなら、幕が下りるまでそれを続けなければならないのだ。

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