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【三次の推しメン】美和桜酒造 福田翔大さん

東京から三次市へ移住した福田翔大さん。三次のお酒が好きで三和町に移住し、美和桜酒造で働きながら自身でも事業を営むなど、複数の仕事を掛け持ちしている。一年の大半を三次市で過ごし、三次市と東京を行き来する2拠点生活をしている。「複業」をしながら自分らしい働き方や三次での暮らしについて話してもらった。

三和町に住むまで

福田さんが三次市へ移住したのは4年前の2020年。三次市三和町出身の知人に連れられて、三和町にある知人の実家によく遊びに来ていたそう。何度か三和町に来て過ごしたり地域の行事に参加したりするうちに、だんだんと三和町に知り合いが増えていった。

その中で、三和町の美和桜酒造のお酒を飲む機会があり、それまであまり日本酒になじみがなかった福田さんは、その美味しさに驚いたと言う。そこから三和町に移住しようと思い立ち現在に至る。

三和町への移住のきっかけとなった美和桜酒造

現在福田さんは美和桜酒造で働いている。移住当時は「仕事は住んでみてから探せばいいか」と流れに身を任せて考えていたとか。その順序からも、フットワークの軽さと、まずは三和町に住んでみようという気持ちの優先度がうかがえた。縁あって移住のきっかけとなった日本酒を作る仕事にたどりついた。

前職では営業の仕事をしており、休みがほとんどとれないような激務だったため転職を考えていたところ、三和町とのつながりがきっかけで移住を決断した。両親もそれを尊重してくれたそう。

美和桜酒造にて

現在福田さんは美和桜酒造で契約社員として働き、約半年は三和町へ、残りの半年は実家のある東京などで過ごしている。日本酒づくりは10月から3月が繁忙期のため、主に秋から春先までを三和町で過ごしているとのこと。

酒蔵で作業をする福田さん

取材で訪れた冬のある日、福田さんは日本酒の製造に使うお米の精米作業をしていました。高齢の精米担当者から最近引き継いだ仕事だそうで、まだ慣れないこともあると話しながらもきびきびと動く。

酒造用のお米のことなど、取材中も絶えず教えてもらった

「今日は160キロになるよう精米します。きっちり160キロになったら拍手してください!」

と笑う。とても人懐こい笑顔で、作業をしつつも何度も作業の説明をしてくれたり、こちらに話しかけたりしてくれた。

人懐こい笑顔で話しかけてくれる福田さん

精米作業は長時間に及び、その間は精米機の近くにいなければないそう。作業中も酒蔵の人たちが何度か様子を見に来ていた。

精米機の様子を見守る福田さん

「終わりそうかのぅ?」
「もう少しです!」

何気ないそのやりとりに、福田さんが慕われ、かつ頼りにされている様子が伝わってきた。実際、福田さんがここで働くようになって、周りからは

「蔵がにぎやかになった」

と言われるそう。笑い声がよく聞こえる職場なのだとか。笑顔でハキハキとした福田さんと話すとそれがよく分かる。

精米機の前で

職場での昼食の話題になったとき、福田さんは

「まかないが美味しいんですよ!」

と嬉しそうに言った。もとは住み込みで働く杜氏さんのためのまかないで、今では社員にも昼食として提供されるのだそう。栄養バランスが良く、福田さんはそのまかないを毎日楽しみにしている。メニューの中でも特に茶碗蒸しが好物だと言う。こんな風に喜んで食べてくれるなら、まかないを作る人たちも張り合いがあることだろうと想像がつく。

文化祭前のような毎日

ずらりと並ぶ米袋

福田さんは美和桜酒造での仕事を「文化祭の前みたいな毎日」と例えた。美味しいお酒をつくりたい。そのために春は田植えの手伝いをすることもある。お米という「生きているもの」を相手にするこの仕事は、「作っている!」という実感が湧くのだそう。とにかく美和桜のお酒が好きで、そのお酒を長い時間をかけて皆でつくりあげ、お客様に喜んでいただくことには、文化祭の準備のような高揚感があるのだそう。

インタビューのあいだ笑顔を絶やさず、よく笑い、好きなものを好きと言い、ここの生活が自分にとても合っていると言う福田さんの清々しさがまぶしい。

二拠点生活

美和桜酒造での取材を終えると、福田さんは、「落ち着いて話せるので」と、インタビューのために近くの集会所へ案内してくれました。慣れた場所なのだろう、集会所の鍵を開け部屋の準備をするその姿に、地域の集会所を自由に使えるほど地元からの信頼も厚いのだろうと感じた。

一年の半分は三和町で、残りは実家で過ごし、東京にある広島の日本酒専門のBAR「古風路(こふろ)」のカウンターに立つこともある。このバーで福田さんは自ら、三次のお酒の魅力を伝えることもあるそう。

お酒づくりの背景やストーリーを知って飲みたいというお客様もいるそうで、実際につくり手としてかかわっている福田さんがこのバーで果たす役割は大きい。自分がかかわって作ったお酒の魅力を、自分だからこそ伝えることができると言う。

これまでにも、東京と三次をつなぐ取り組みも行ってきた。東京と酒蔵をつなぐようなモニターツアーも実施した。そのときにはバーのお客様も来てくれたという。お酒に使うお米の田植えや稲刈りを企画した。

お酒が好きで移住してきたほどの福田さん。普段は夜自宅で飲むことが多いそう。自分が携わったお酒を、虫の音やホタルの光、カエルの鳴き声が聞こえる中で飲むことが「たまらない」と言う。この自然のなかで育ち美味しくできた美和桜のお酒を、もっと多くの人に飲んでもらうために、今後はお酒に関するイベントをしてみたいと語る。

集会所にて思いを語ってくれた福田さん

おわりに

今後はどうしたい?と福田さんにたずねてみた。

「美和桜酒造で今以上に酒づくりの知識とできることを増やしたい。もっと年月を重ねて、深堀していきたい」

と力強い答えが返ってきた。

大好きなお酒に携わる仕事をしながら、東京でそのお酒の魅力を伝える仕事をする。三次と東京のに拠点生活を、福田さんは「この働き方が自分にとても合っている」と言う。

地域では、祭りではバザーを担当し、太鼓をたたくこともあれば、役員をすることもある。地域の人たちは自分を特別な存在として見ているというよりは、普通に接してくれているし、よく話しかけてくれると言う。それが、ここに溶け込めていると実感するときだと福田さんは言う。

三次と東京。両方での生活が互いに活かされていると感じた。インタビューを終えると集会所の鍵を閉め、「鍵かえしてきます!鹿がよく出るので気を付けて帰ってくださいね」と笑顔で見送ってくれた。


最後に、この橋を渡った先に広がる田園風景がお気に入りと話してくれた

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