災いと芥川龍之介 第二章「盗作だぞ!」
この章の魅力:自他身分
回りくどいようだが『沼地』を読んだ体験に基づいて小説風の一文を物したのでまず読んでもらうことにする。以下の様。
縁起。
二〇二二年二月二十四日。
昼頃、ロシアがウクライナに侵攻した旨の速報入る。呑気に予定通りに六本木へ。森ビルの一画でアーティスト集団Chim↑Pomの結成十七年の回顧展。展覧会の副題がHAPPY SPRINGで、happyとhappeningが同じ語源で時宜を得てしまっていた。
ビルの高層にコンクリの道敷いてる。マンホールも拵えて、都内がアンダーグラウンドに。着想すごっ。
メンバーの一人が大量の折り鶴に囲繞されながら一つ一つの折り鶴を解いてゆく映像も観る。妙に崇高。
某日。
都内、雨ふきっさらし。ぬらりのひょんで澁谷駅構内の連絡通路へ行った記憶がかすかにある。『LEVEL7 feat.『明日の神話』』の抜け殻観る。巨大な広告みたくある。
央には独り、燃え盛り立つ枯骨dry boneのお化けが不思議な仰角で天を仰ぐ、これをまた不思議な仰角で眺め、独り。原色の地獄変。藻のように翻り昇る火ならぬ火の中でお化けは悶えるよう。何やらん歓ぶよう、「肋骨」をぐんと広げている。鶏肋馬骨、正体考えたが明らかならず。
空から降る悍ましい色の天使Angel、骨Bone、暗い海Sea、と対角線ACを成す構図(これは洒落です)。線分ACの先に矩形の空隙、採光の悪い片隅。「雨」「の」「降」「る」「日」「の」「午」「後」……ときて、然るべく『沼地』が想起されたのだった。
こうして私は『沼地』を発見し、「私」は「沼地」を発見した。
画は泥土草木悉く黄で描いた面妖な画であるという。自然な色が無い。黄の草木、黄の「蘆や白楊や無花果」、「私」は沈吟し一見、退屈な画だ、と言う。
『沼地』もまた、尋常の見物から「スランプ」と評されても仕方ない拙作だと思う……が……
しかしその文の中に恐しい力が潜んでいる事が、見ているに従って分って来た。
この文にも自然な色は無い。「踏むとぶすりと音をさせて踝が隠れるような」『沼地』、「踝」ankleが隠れるように英語Englishが隠れてないか(語源同じ)。循環論法だが英国紳士たる「私」の読みなので間違いはない(笑)。「蘆や白楊や無花果」も「戯作読め!」”Read popular fiction!”の命令文とは、なるか。
大正八年のREAD MEで召喚される『戯作三昧』、その冒頭で老残の身を嘆く「傷しい」男の影のあること、「傷しい芸術家の姿」それに他ならない。
「気違い」じみた作品叙述ekphrasisで、
『戯作三昧』、戯作者たる曲亭馬琴(一七六七-一八四八)の老次の苦悩に迫る芥川氏の「傑作」? 大阪毎日新聞で連載十五回に及んだ。無花果figに些末事valueless thingsの意味あると知れば、その可否は自ずと知れようか、というところ。
茫然と霞む銭湯の光景。骨聳やかし哀れな老爺は何十年来間断無き創作の苦に凋んでゆく。柘榴口の内の湯船には白声寂声に歌祭文を乗せる嬶たばねがいて、もちろん俯いてうたう奴なんかこの世には居ないのだが、柘榴口の外は陰気なので、止め桶を覗き込んで濁り湯の張る水鏡が映す秋情を憂うという向きもあるわけだ。
これが「傷しい芸術家の姿」、『沼地』は次のように続くがどうか。
「恍惚たる悲壮の感激」とは。画の方を見ると、場面は夜の書斎へ。芸術家は、独り、行燈の弱光の中で筆を運ぶ。
自戒の声に「焦躁」が見える。徐々に勢いを増して筆が辷ってゆく。筆の枯れぬか「不安」も襲う。
戯作の興はとうとう馬琴を虜にし、無我夢中で筆を駆る。
「私」は「沼地」の油画に「恍惚たる悲壮の感激」を認めた。「恍惚たる悲壮の感激」、私はそれを文字通りliteralに復誦させられている次第。
紋中紋mise en abymeでもって読者の足を絡めとり作中に引きずり込む「沼地」と『沼地』の奇巧。これ、当世では〈パラフィクション〉と呼ばれたり呼ばれなかったりする。
「あなたは今、この文章を読んでいる」あるいは「私はある絵画展覧会場の一室で、小さな油絵を一枚発見した」、何径庭ない。ここではむしろ、「あなたは」「あなたは」と言い募っているくせに、「私は」「私は」と一人称を装う二人称小説であることの不気味さを問題にすべきだろう(後述)。
傑作もとい戯作にかまけていると、新聞屋に否を突き付けられてしまう。
あるいは、
あるいは、
云々。五月蠅いブンヤは、おかしい、大阪毎日新聞社の芥川氏その人ではないか、あれれ(このときの画の中には、眼路を遮る湯気に紛れた眇が馬琴に向けての攻撃演説を振るう場面が映っており一興です)。彼によれば、画は画家の遺族の尽力在って此処に掛っているとか。『LEVEL7 feat.『明日の神話』』の抜け殻だって、そうだろう。『沼地』も画家の死後「忘れられ」ていた。
然るべき「作者の死」。書いてある言葉を復誦しているだけの者には、「死んだようなもの」という評が下される。全員死に絶え、Readの命令だけが生き残る。
誰が誰を批判しているのか、判然としないのが面白い。もっとも、私は挑発されようとも「毀誉に煩わされる心」を持ち合わせないし、新聞屋の嘲笑を跳ね退けてしまうのだと、そう書いてある。
「私」は悚然として再び、この「沼地」の画を凝視する。
「焦躁」と「不安」に虐まれている傷しい芸術家の姿なら、さっき見てある。
そうして戯作を味到した私は新聞屋に向かってこう言う。
……これにて戯作読了としよう。
「戯作三昧」という、ポピュラーな読み方に対して異を唱えているのに気が付かれたろうか。「戯作」は「戯作」とも「戯作」とも読め、濁点の有無は「沼地」の「傑作」たり得るかを決める。それ故に、いつからどのようにして「戯作三昧」という読みが定着したのかを調べ上げるのは些細ながら重要なことである。「戯作三昧」を収める著作集『傀儡師』を見ると、「戯作」にも「戯作三昧」にもルビは振られておらず、少なくとも最初からそう読むと決まっていたわけではないようである。細かいところは、面倒臭いから誰か代わりに調べてくれ。
〈パラフィクション〉の具となった『戯作三昧』の連載は大正六年十月二十日に始まっている。その一週間ほど前の同月十一日、芥川氏は友人の松岡譲(一八九一–一九六九)に宛てた書簡で「やつと二十枚書いた」と零しており、ざっと八千字。であれば馬琴が銭湯からの帰路で眇の攻撃演説について不快を託つ第五、六章止まりで、最終章の「恍惚たる悲壮の感激」は遠い。
他方『沼地』は『新潮』大正八年五月号にて初出を迎え、本文末尾に脱稿の日付は「(六・九・三)」、即ちそれ大正六年九月三日、『戯作三昧』の起筆にすらおそらくは至っていなかった時期に書かれたことになる。「展覧会場の採光の悪い片隅」には澁谷の大広告の片隅のそれに似た虚空が横たわっていたということ。芥川氏、そこに「沼地」の画を挿し込んで、よーっ、大正年間のChim↑Pomっ!
自作自演は失笑だが、とまれ、転倒させられた日付はある作品が未来の「新たな光のもとに、これまでとまったく違った相貌を呈する」瞬間に居合わせてしまう、そういった体験をテーマにしていることを示唆していよう。戯作に向けての評としては幾分大袈裟になるが、黙示録的体験に近い。このことは大震直後の『金春会の「隅田川」』から『蜜柑』の匂いがするわけを上手く説明する。大震後の世界を『蜜柑』に織り込もうとすること、日付の嘘、二つの同工異曲。
敢えてその趣向には全面的に乗っかってみた。全然「盗作」(倒錯?)と相成ったけれども、次の一文に予告されていたことに過ぎない。
読者が「沼地」の作者になって初めて『沼地』は「駆動」し、「変異」する。パラフィクション宣言と読める。
大正年間にパラフィクションの試みがあったこと自体は驚くに値しない。イワン兄さんから「盗作だぞ!」との一言を引き出したアリョーシャのキッス、そこに至るまでの一連の劇中劇が、アリョーショ、イワン両名にとってのパラフィクションたり得ていることを考えてみればよい。『沼地』の霊感源の一つであろう。『あなたは』の佐々木氏が「パラフィクションは(…)フィクションの歴史と同じだけの歴史を持っている」と言うように、パラフィクションの始原はもっともっと昔に遡れるはずだ。
ここでは先に指摘した特徴に注目したい。あくまで「私は」「私は」と言いながらその実「あなたは」「あなたは」と迫ってくること。形式上一人称でありながら実質的には二人称であること、呼びかけであることを隠ぺいした呼びかけであること、命令ならぬ命令であること。
このような話法自体は身近に溢れている。『発言小町』に次のような相談トピをみることができる。「私ならこうする」という言葉に悩む「私」が居る。
主語の不明瞭さが散見されるが、疵だろうか。冒頭、
という部分が眼を惹く。二文目(「どうやら……」)での「自分」および「私」という一人称は、それぞれ『こころ』の前半と後半のように、その指す人間を異にし(一人称多元)、その転換はなんとたった一文の中で行われている。この反則の語法は、しかしマンダリン氏の心境と微妙くも照応し、曖昧な視座に因む葛藤を見事に表し尽くすのだ。
悲しいかな、友人に疲れるマンダリン氏は、忖度するうち、「私」と「自分」とどちらの視座に拠って物事を見るべきなのか分からなくなってしまった。トピの後半部(とくに「実は(…)だと言うことは分かっているのですが」のあたり)からそのことは見て取れる。
「自分」は「私」ではないはずだ。だから「あなたのときはそうすれば」と言えば済む。しかし一文目(「私が何か話を……」)において、二人が「私」の一語で結ばれてしまっている点にも暗示されているように、「自分」は「私」に付きまとって切り離し難いのだ。関係の機微についてではなくて、一人称の使い方についての話である。
「あなた」とは言い出せず「自分」と「私」との隔たりに葛藤するマンダリン氏は芥川氏の想定したパラノイックな読者と相似る。『沼地』の読者たる資格がある。
と言って「自分」と訣別してしまうところをみれば、不健全さを欠いているようにも見える。しかし、そうではないのだ。この訣別の言葉は記憶しておいてよい、とだけここでは書いておく。
『沼地』の読者は葛藤を切り捨て、「私」を私と見做し、そして密約を交わすことでしか存在しえない。私を捨て「私」にならなければ、そもそも続きを読むことができないのだから。「何のためにすべてがこんなふうになっていたかを、突然みんながさとるとき、俺はその場に居合わせたい」、終末論的願望とリテラシーとに支えられ、新聞屋と「暫く会わない」では済まなくなる。「憂鬱」だし「疲れ」るけれども……。
「兄さんの詩はどういう結末になるんですか?」。Dixi、と締められたはずのイワン兄さんの詩には尻尾が付き、大審問官は滔々と自論を放ったのち囚人キリストの口づけを受けたことになっている。
詩的なキッスの要求にアリョーシャは当意即妙に応え、それを望んだはずの当のイワン兄さんは、散文的に言葉を費やしたのだった。「盗作だぞ! それにしても、ありがとう」云々。
他方で芥川氏は、やはりパラフィクションをもってしてだが、最後まで沈黙するイワン兄さんを演じてみせようという。それなら今度はこちらが散文的に応じるまでである。こんなふうで密約の「密」は反故にされる訳だ。
マンダリン氏と「年上の友人」のその後はどうだろう。「《あなたじゃない》! あなたじゃないとは、どういうことだ?」「俺じゃないことくらい、自分でも知っているさ、うわごとでも言ってるのか?」、こんな剣呑な応酬と韻を踏んでいやしないか。
だから、というわけではないが、パラフィクションはおそらく最も危険な装置の一つだろう、
私は「私」となることを進んで受け入れ、テクストの内で見動き取れなくなる。その意味において、私はあっけなく死のなかへ送り込まれる。これが『沼地』に書かれていた「一方の死」だ。「他方の死」はその内には書かれなかった。
しかし、「他方の死」は書かれなかったに過ぎない。『沼地』は未然のテロリズムを秘めている。表面上それが戯作に終始しているにしても、何が戯作を書かしめたかを思えば、テロの影は微塵も消えていないことに気づく。
何やらん、戯作が暴力の予感と切り離し難い。いや、こう言うべきだろう、「以来」戯作は暴力の予感なくして戯作たりえない、と。パラフィクションは戯作たるに恰好の装置だったようだが、佐々木氏のパラフィクション論はテロリズムにまで言い及ぶことがない。そこには「批評」が無いだろう、というのが二〇年代から見た感想である。
予感は予感に終わったのだろうか。そうではない。散文詩『沼』は『沼地』と不気味に韻を踏む。歌に誘われ、「おれ」は沼に入水する。耽美的でロマンティック?まさか。
凡庸な次章は読む価値特に無し。(次章題)、というだけの話。すぐに『沼』を読むほうがいい。
(第二章 おわり)