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災いと芥川龍之介 第二章「盗作だぞ!」

この章の魅力:自他身分パラノイア

回りくどいようだが『沼地』を読んだ体験に基づいて小説風の一文を物したのでまず読んでもらうことにする。以下の様。

 ある雨の降る日の午後であった。わたくしはある絵画展覧会場の一室で、小さな油絵を一枚発見した。発見――と云うと大袈裟おおげさだが、実際そう云っても差支えないほど、この画だけは思い切って採光の悪い片隅に、それも恐しく貧弱なふちへはいって、忘れられたように懸かっていたのである。画は確か、「沼地」とか云うので、画家は知名の人でも何でもなかった。また画そのものも、ただ濁った水と、湿った土と、そうしてその土に繁茂はんもする草木そうもくとをいただけだから、恐らく尋常の見物からは、文字通り一顧さえも受けなかった事であろう。
 その上不思議な事にこの画家は、蓊鬱おううつたる草木を描きながら、一刷毛ひとはけも緑の色を使っていない。あし白楊ポプラア無花果いちじゆくいろどるものは、どこを見ても濁った黄色きいろである。まるで濡れた壁土のような、重苦しい黄色である。この画家には草木の色が実際そう見えたのであろうか。それとも別に好む所があって、故意ことさらこんな誇張こちようを加えたのであろうか。――私はこの画の前に立って、それから受ける感じを味うと共に、こう云う疑問もまたさしはさまずにはいられなかったのである。
 しかしその画の中に恐しい力が潜んでいる事は、見ているに従って分って来た。殊に前景の土のごときは、そこを踏む時の足の心もちまでもまざまざと感じさせるほど、それほど的確に描いてあった。踏むとぶすりと音をさせて踝が隠れるような、なめらか淤泥おでいの心もちである。私はこの小さな油画の中に、鋭く自然を掴もうとしている、いたましい芸術家の姿を見出した。そうしてあらゆる優れた芸術品から受ける様に、この黄いろい沼地の草木からも恍惚こうこつたる悲壮の感激を受けた。実際同じ会場に懸かっている大小さまざまな画の中で、この一枚に拮抗きつこうし得るほど力強い画は、どこにも見出す事が出来なかったのである。
「大へんに感心していますね。」
 こう云うことばと共に肩を叩かれた私は、あたかも何かが心から振い落されたような気もちがして、卒然とうしろをふり返った。
「どうです、これは。」
 相手は無頓着むとんちやくにこう云いながら、剃刀かみそりを当てたばかりのあごで、沼地の画をさし示した。流行の茶の背広を着た、恰幅かつぷくい、消息通を以て自ら任じている、――新聞の美術記者である。私はこの記者から前にも一二度不快な印象を受けた覚えがあるので、不承不承ふしようぶしように返事をした。
「傑作です。」
「傑作――ですか。これは面白い。」
 記者は腹をゆすって笑った。その声に驚かされたのであろう。近くで画を見ていた二三人の見物が皆云い合せたようにこちらを見た。私はいよいよ不快になった。
「これは面白い。元来この画はね、会員の画じゃないのです。が、何しろ当人が口癖のようにここへ出す出すと云っていたものですから、遺族いぞくが審査員へ頼んで、やっとこの隅へ懸ける事になったのです。」
「遺族? じゃこの画をいた人は死んでいるのですか。」
「死んでいるのです。もっとも生きている中から、死んだようなものでしたが。」
 私の好奇心はいつか私の不快な感情より強くなっていた。
「どうして?」
「この画描えかきは余程前から気が違っていたのです。」
「この画を描いた時もですか。」
「勿論です。気違いででもなければ、誰がこんな色の画を描くものですか。それをあなたは傑作だと云って感心しておでなさる。そこが大に面白いですね。」
 記者はまた得意そうに、声を挙げて笑った。彼は私が私の不明を恥じるだろうと予測していたのであろう。あるいは一歩進めて、鑑賞上における彼自身の優越を私に印象させようと思っていたのかも知れない。しかし彼の期待は二つとも無駄になった。彼の話を聞くと共に、ほとんど厳粛げんしゆくにも近い感情が私の全精神に云いようのない波動を与えたからである。私は悚然しようぜんとして再びこの沼地の画を凝視ぎようしした。そうして再びこの小さなカンヴァスの中に、恐しい焦躁しようそうと不安とにさいなまれているいたましい芸術家の姿を見出した。
「もっとも画が思うように描けないと云うので、気が違ったらしいですがね。その点だけはまあ買えば買ってやれるのです。」
 記者は晴々した顔をして、ほとんど嬉しそうに微笑した。これが無名の芸術家が――我々の一人が、その生命を犠牲にして僅に世間からあがない得た唯一ゆいいつ報酬ほうしゆうだったのである。私は全身に異様な戦慄せんりつを感じて、三度みたびこの憂鬱な油画を覗いて見た。そこにはうす暗い空と水との間に、濡れた黄土おうどの色をしたあしが、白楊ポプラアが、無花果いちじゆくが、自然それ自身を見るような凄じい勢いで生きている。………
「傑作です。」
 私は記者の顔をまともに見つめながら、昂然としてこう繰返した。

縁起。
二〇二二年二月二十四日。
昼頃、ロシアがウクライナに侵攻した旨の速報入る。呑気に予定通りに六本木へ。森ビルの一画でアーティスト集団Chim↑Pomの結成十七年の回顧展。展覧会の副題がHAPPY SPRINGで、happyとhappeningが同じ語源で時宜を得てしまっていた。

ビルの高層にコンクリの道敷いてる。マンホールも拵えて、都内がアンダーグラウンドに。着想すごっ。
メンバーの一人が大量の折り鶴に囲繞されながら一つ一つの折り鶴を解いてゆく映像も観る。妙に崇高。

某日。
都内、雨ふきっさらし。ぬらりのひょんで澁谷駅構内の連絡通路へ行った記憶がかすかにある。『LEVEL7 feat.『明日の神話』』の抜け殻観る。巨大な広告みたくある。

まんなかには独り、燃え盛り立つ枯骨ここつdry boneのお化けが不思議な仰角で天を仰ぐ、これをまた不思議な仰角で眺め、独り。原色の地獄変。藻のように翻り昇る火ならぬ火の中でお化けは悶えるよう。何やらん歓ぶよう、「肋骨」をぐんと広げている。鶏肋馬骨、正体考えたが明らかならず。

空から降る悍ましい色の天使Angel、骨Bone、暗い海Sea、と対角線ACを成す構図(これは洒落です)。線分ACの先に矩形の空隙、採光の悪い片隅。「雨」「の」「降」「る」「日」「の」「午」「後」……ときて、然るべく『沼地』が想起されたのだった。

 ある雨の降る日の午後であった。わたくしはある絵画展覧会場の一室で、小さな油絵を一枚発見した。発見――と云うと大袈裟おおげさだが、実際そう云っても差支えないほど、この画だけは思い切って採光の悪い片隅に、それも恐しく貧弱なふちへはいって、忘れられたように懸かっていたのである。

芥川龍之介『沼地』

こうして私は『沼地』を発見し、「私」は「沼地」を発見した。

不思議な事にこの画家は、蓊鬱おううつたる草木を描きながら、一刷毛ひとはけも緑の色を使っていない。

『沼地』


画は泥土草木悉く黄で描いた面妖な画であるという。自然な色が無い。黄の草木、黄の「蘆や白楊や無花果」、「私」は沈吟し一見、退屈な画だ、と言う。

ただ濁った水と、湿った土と、そうしてその土に繁茂はんもする草木そうもくとをいただけだから、恐らく尋常の見物からは、文字通り一顧さえも受けなかった事であろう。

『沼地』

『沼地』もまた、尋常の見物から「スランプ」と評されても仕方ない拙作だと思う……が……

しかしその画の中に恐しい力が潜んでいる事は、見ているに従って分って来た。

『沼地』

しかしその文の中に恐しい力が潜んでいる事が、見ているに従って分って来た。

殊に前景の土のごときは、そこを踏む時の足の心もちまでもまざまざと感じさせるほど、それほど的確に描いてあった。踏むとぶすりと音をさせて踝が隠れるような、なめらか淤泥おでいの心もちである。私はこの小さな油画の中に、鋭く自然を掴もうとしている、いたましい芸術家の姿を見出した。そうしてあらゆる優れた芸術品から受ける様に、この黄いろい沼地の草木からも恍惚こうこつたる悲壮の感激を受けた。

『沼地』

この文にも自然な色は無い。「踏むとぶすりと音をさせてくるぶしが隠れるような」『沼地』、「くるぶし」ankleが隠れるように英語Englishが隠れてないか(語源同じ)。循環論法だが英国紳士たる「ジヨンブル」の読みなので間違いはない(笑)。「reed白楊poplar無花果fig」も「戯作読め!」”Read popular fic­tion!”の命令文とは、なるか。

大正八年のREADリード MEミーで召喚される『戯作三昧』、その冒頭で老残の身を嘆く「いたましい」男の影のあること、「いたましい芸術家の姿」それに他ならない。
「気違い」じみた作品叙述ekphrasisで、

その画の中に恐しい力が潜んでいる事は、見ているに従って分って来た。

『沼地』


『戯作三昧』、戯作けさく者たる曲亭馬琴(一七六七-一八四八)の老次おいなみの苦悩に迫る芥川氏の「傑作」? 大阪毎日新聞で連載十五回に及んだ。無花果figに些末事valueless thingsの意味あると知れば、その可否は自ずと知れようか、というところ。

茫然と霞む銭湯の光景。骨聳やかし哀れな老爺は何十年来間断無き創作の苦に凋んでゆく。柘榴口の内の湯船には白声しらごえ寂声さびごえに歌祭文を乗せるかかあたばねがいて、もちろん俯いてうたう奴なんかこの世には居ないのだが、柘榴口の外は陰気なので、止め桶を覗き込んで濁り湯の張る水鏡が映す秋情を憂うという向きもあるわけだ。

これが「いたましい芸術家の姿」、『沼地』は次のように続くがどうか。

そうしてあらゆる優れた芸術品から受ける様に、この黄いろい沼地の草木からも恍惚こうこつたる悲壮の感激を受けた。

『沼地』

恍惚こうこつたる悲壮の感激」とは。画の方を見ると、場面は夜の書斎へ。芸術家は、独り、行燈の弱光の中で筆を運ぶ。

「あせるな。そうして出来るだけ、深く考えろ。」

『戯作三昧』第十五章

自戒の声に「焦躁しようそう」が見える。徐々に勢いを増して筆がすべってゆく。筆の枯れぬか「不安」も襲う。

「根かぎり書きつづけろ。今おれが書いていることは、今でなければ書けないことかも知れないぞ。」

『戯作三昧』第十五章

戯作の興はとうとう馬琴を虜にし、無我夢中で筆を駆る。

あるのは、ただ不可思議なよろこびである。あるいは恍惚こうこつたる悲壮の感激である。この感激を知らないものに、どうして戯作三昧の心境が味到されよう。どうして戯作者のおごそかな魂が理解されよう。

『戯作三昧』第十五章

「私」は「沼地」の油画に「恍惚たる悲壮の感激」を認めた。「恍惚たる悲壮の感激」、私はそれを文字通りliteralに復誦リフレインさせられている次第。

「大へんに感心していますね。」
 こう云うことばと共に肩を叩かれた私は、あたかも何かが心から振い落されたような気もちがして、卒然とうしろをふり返った。

『沼地』

彼の空想は、ここまで来て、急に破られた。同じ柘榴口の中で、誰か彼の読本よみほんの批評をしているのが、ふと彼の耳へはいったからである。

『戯作三昧』第四章

紋中紋mise en abymeでもって読者の足を絡めとり作中に引きずり込む「沼地」と『沼地』の奇巧。これ、当世では〈パラフィクション〉と呼ばれたり呼ばれなかったりする。

(…)読者の意識的無意識的な、だが明らかに能動的な関与によってはじめて存在し始め、そして読むこと/読まれることのプロセスの中で、読者とともに駆動し、変異してゆくようなタイプのフィクションのことを、パラフィクションと呼んでみたいと思うのだ。

佐々木敦(一九六四 -     )『あなたは今、この文章を読んでいる――パラフィクションの誕生

「あなたは今、この文章を読んでいる」あるいは「私はある絵画展覧会場の一室で、小さな油絵を一枚発見した」、何径庭ない。ここではむしろ、「あなたは」「あなたは」と言い募っているくせに、「私は」「私は」と一人称を装う二人称小説であることの不気味さを問題にすべきだろう(後述)。

「傑作です。」
「傑作――ですか。これは面白い。」
記者は腹をゆすって笑った。その声に驚かされたのであろう。近くで画を見ていた二三人の見物が皆云い合せたようにこちらを見た。

『沼地』

傑作もとい戯作けさくにかまけていると、新聞屋にノウを突き付けられてしまう。

あるいは、芸術家が退歩する時、常に一種の自動作用が始まる。と云ふ意味は、同じやうな作品ばかり書く事だ。自動作用が始まつたら、それは芸術家としての死に瀕したものと思はなければならぬ。

芥川龍之介『芸術その他』

 自動作用!
あるいは、

芸術の為の芸術は、一歩を転ずれば芸術遊戯説に堕ちる。

『芸術その他』

あるいは、

危険なのは技巧ではない。技巧を駆使する小器用さなのだ。小器用さは真面目さの足りない所を胡麻化し易い。

『芸術その他』


云々。五月蠅いブンヤは、おかしい、大阪毎日新聞社の芥川氏その人ではないか、あれれ(このときの画の中には、眼路を遮る湯気に紛れたすがめが馬琴に向けての攻撃演説ピリツピカを振るう場面が映っており一興です)。彼によれば、画は画家の遺族の尽力在って此処に掛っているとか。『LEVEL7 feat.『明日の神話』』の抜け殻だって、そうだろう。『沼地』も画家の死後「忘れられ」ていた。

「これは面白い。元来この画はね、会員の画じゃないのです。が、何しろ当人が口癖のようにここへ出す出すと云っていたものですから、遺族いぞくが審査員へ頼んで、やっとこの隅へ懸ける事になったのです。」
「遺族? じゃこの画をいた人は死んでいるのですか。」
「死んでいるのです。もっとも生きている中から、死んだようなものでしたが。」

『沼地』

然るべき「作者の死」。書いてある言葉を復誦リフレインしているだけの者には、「死んだようなもの」という評が下される。全員死に絶え、Readの命令だけが生き残る。

「この画描えかきは余程前から気が違っていたのです。」
「この画を描いた時もですか。」
「勿論です。気違いででもなければ、誰がこんな色の画を描くものですか。それをあなたは傑作だと云って感心しておでなさる。そこが大に面白いですね。」

『沼地』

誰が誰を批判しているのか、判然としないのが面白い。もっとも、私は挑発されようとも「毀誉きよに煩わされる心」を持ち合わせないし、新聞屋の嘲笑を跳ね退けてしまうのだと、そう書いてある。


記者はまた得意そうに、声を挙げて笑った。彼は私が私の不明を恥じるだろうと予測していたのであろう。あるいは一歩進めて、鑑賞上における彼自身の優越を私に印象させようと思っていたのかも知れない。しかし彼の期待は二つとも無駄になった。ほとんど厳粛にも近い感情が私の全精神に云いようのない波動を与えたからである。

[太字引用者]『沼地』

馬琴の心に、厳粛な何物かが刹那せつなにひらめいたのは、この時である。

[太字引用者] 『戯作三昧』第十四章

「私」は悚然しようぜんとして再び、この「沼地」の画を凝視ぎようしする。

そうして再びこの小さなカンヴァスの中に、恐しい焦躁しようそうと不安とにさいなまれているいたましい芸術家の姿を見出した。

『沼地』

焦躁しようそう」と「不安」にさいなまれているいたましい芸術家の姿なら、さっき見てある。

「あせるな。そうして出来るだけ、深く考えろ。」

[焦躁しようそう]『戯作三昧』第十五章

「根かぎり書きつづけろ。今おれが書いていることは、今でなければ書けないことかも知れないぞ。」

[不安]『戯作三昧』第十五章


そうして戯作けさくを味到した私は新聞屋に向かってこう言う。

「傑作です。」
 私は記者の顔をまともに見つめながら、昂然としてこう繰返した。

『沼地』

……これにて戯作読了としよう。

戯作三昧げさくざんまい」という、ポピュラーな読み方に対して異を唱えているのに気が付かれたろうか。「戯作」は「戯作げさく」とも「戯作けさく」とも読め、濁点の有無は「沼地」の「傑作」たり得るかを決める。それ故に、いつからどのようにして「戯作三昧げさくざんまい」という読みが定着したのかを調べ上げるのは些細ながら重要なことである。「戯作三昧」を収める著作集『傀儡師』を見ると、「戯作」にも「戯作三昧」にもルビは振られておらず、少なくとも最初からそう読むと決まっていたわけではないようである。細かいところは、面倒臭いから誰か代わりに調べてくれ。

〈パラフィクション〉の具となった『戯作三昧けさくざんまい』の連載は大正六年十月二十日に始まっている。その一週間ほど前の同月十一日、芥川氏は友人の松岡譲(一八九一–一九六九)に宛てた書簡で「やつと二十枚書いた」と零しており、ざっと八千字。であれば馬琴が銭湯からの帰路で眇の攻撃演説ピリツピカについて不快を託つ第五、六章止まりで、最終章の「恍惚たる悲壮の感激」は遠い。

他方『沼地』は『新潮』大正八年五月号にて初出を迎え、本文末尾に脱稿の日付は「(六・九・三)」、即ちそれ大正六年九月三日、『戯作三昧』の起筆にすらおそらくは至っていなかった時期に書かれたことになる。「展覧会場の採光の悪い片隅」には澁谷の大広告の片隅のそれに似た虚空が横たわっていたということ。芥川氏、そこに「沼地」の画を挿し込んで、よーっ、大正年間のChim↑Pomっ!

自作自演は失笑だが、とまれ、転倒させられた日付はある作品が未来の「新たな光のもとに、これまでとまったく違った相貌を呈する」瞬間に居合わせてしまう、そういった体験をテーマにしていることを示唆していよう。戯作に向けての評としては幾分大袈裟になるが、黙示録的体験に近い。このことは大震直後の『金春会の「隅田川」』から『蜜柑』の匂いがするわけを上手く説明する。大震後の世界を『蜜柑』に織り込もうとすること、日付の嘘、二つの同工異曲。

敢えてその趣向には全面的に乗っかってみた。全然「盗作」(倒錯?)と相成ったけれども、次の一文に予告されていたことに過ぎない。

画は確か、「沼地」とか云うので、画家は知名の人でも何でもなかった

[太字引用者]『沼地』

読者が「沼地」の作者になって初めて『沼地』は「駆動」し、「変異」する。パラフィクション宣言と読める。

大正年間にパラフィクションの試みがあったこと自体は驚くに値しない。イワン兄さんから「盗作だぞ!」との一言を引き出したアリョーシャのキッス、そこに至るまでの一連の劇中劇が、アリョーショ、イワン両名にとってのパラフィクションたり得ていることを考えてみればよい。『沼地』の霊感源の一つであろう。『あなたは』の佐々木氏が「パラフィクションは(…)フィクションの歴史と同じだけの歴史を持っている」と言うように、パラフィクションの始原はもっともっと昔に遡れるはずだ。

ここでは先に指摘した特徴に注目したい。あくまで「私は」「私は」と言いながらその実「あなたは」「あなたは」と迫ってくること。形式上一人称でありながら実質的には二人称であること、呼びかけであることを隠ぺいした呼びかけであること、命令ならぬ命令であること。

このような話法自体は身近に溢れている。『発言小町』に次のような相談トピをみることができる。「私ならこうする」という言葉に悩む「私」が居る。

年上の友人の事です。
私が何か話をすると必ず「私ならこうする」と言います。
最初の内はアドバイスか雑談だと思って聞いていましたが、どうやら彼女の中で、決断力のある行動的な自分、と融通が利かなくてグズグズする私という構造ができているように思えてきました。
例えばほんの雑談で、私が夕食の食材の買い忘れがあってスーパーに数回往復したわ、などの笑い話でも「私ならあるもので済ますわ!メニューを変えたら良いだけ」となります。

そんなサバサバした彼女には私は鬱陶しくて嫌なんだろうと放置していたらコンタクトがあります。
「あなたのときはそうすれば」と一言返せば良いのですが、その後の展開を考えると憂鬱だし、牽制し合っての人間関係も疲れるので持ちたくありません。
もしくはもっと凄いね偉いねと言えばいいのかもしれません。
実は寂しがり屋で褒められることが人よりちょっと好きな人だと言うことは分かっているのですが、正直疲れてきました。
ジワジワとフェードアウトをしようかなぁ、と新年早々悩んでいる優柔不断ものです。
こんなタイプの人とこんな風にお付き合いしています。無理でした。などアドバイスがあれば教えて頂けませんか。

マンダリン「私ならこうする、と必ず言う人(愚痴)」2016年1月4日 12:31

主語の不明瞭さが散見されるが、疵だろうか。冒頭、

私が何か話をすると必ず「私ならこうする」と言います。
どうやら彼女の中で、決断力のある行動的な自分、と融通が利かなくてグズグズする私という構造ができているように思えてきました。

という部分が眼を惹く。二文目(「どうやら……」)での「自分」および「私」という一人称は、それぞれ『こころ』の前半と後半のように、その指す人間を異にし(一人称多元)、その転換はなんとたった一文の中で行われている。この反則の語法は、しかしマンダリン氏の心境と微妙くも照応し、曖昧な視座に因む葛藤を見事に表し尽くすのだ。

悲しいかな、友人に疲れるマンダリン氏は、忖度するうち、「私」と「自分」とどちらの視座に拠って物事を見るべきなのか分からなくなってしまった。トピの後半部(とくに「実は(…)だと言うことは分かっているのですが」のあたり)からそのことは見て取れる。

「自分」は「私」ではないはずだ。だから「あなたのときはそうすれば」と言えば済む。しかし一文目(「私が何か話を……」)において、二人が「私」の一語で結ばれてしまっている点にも暗示されているように、「自分」は「私」に付きまとって切り離し難いのだ。関係の機微についてではなくて、一人称の使い方についての話である。

「あなた」とは言い出せず「自分」と「私」との隔たりに葛藤するマンダリン氏は芥川氏の想定したパラノイックな読者と相似る。『沼地』の読者たる資格がある。

結論、暫く会わない、で通しています。

(2016年1月14日 18:09)

と言って「自分」と訣別してしまうところをみれば、不健全さを欠いているようにも見える。しかし、そうではないのだ。この訣別の言葉は記憶しておいてよい、とだけここでは書いておく。

『沼地』の読者は葛藤を切り捨て、「私」を私と見做し、そして密約を交わすことでしか存在しえない。私を捨て「私」にならなければ、そもそも続きを読むことができないのだから。「何のためにすべてがこんなふうになっていたかを、突然みんながさとるとき、俺はその場に居合わせたい」、終末論的願望とリテラシーとに支えられ、新聞屋と「暫く会わない」では済まなくなる。「憂鬱」だし「疲れ」るけれども……。

「兄さんの詩はどういう結末になるんですか?」。Dixi、と締められたはずのイワン兄さんの詩には尻尾が付き、大審問官は滔々と自論を放ったのち囚人キリストの口づけを受けたことになっている。

詩的なキッスの要求にアリョーシャは当意即妙に応え、それを望んだはずの当のイワン兄さんは、散文的に言葉を費やしたのだった。「盗作だぞ! それにしても、ありがとう」云々。

他方で芥川氏は、やはりパラフィクションをもってしてだが、最後まで沈黙するイワン兄さんを演じてみせようという。それなら今度はこちらが散文的に応じるまでである。こんなふうで密約の「密」は反故にされる訳だ。

マンダリン氏と「年上の友人」のその後はどうだろう。「《あなたじゃない》! あなたじゃないとは、どういうことだ?」「俺じゃないことくらい、自分でも知っているさ、うわごとでも言ってるのか?」、こんな剣呑な応酬と韻を踏んでいやしないか。

だから、というわけではないが、パラフィクションはおそらく最も危険な装置の一つだろう、

「死んでいるのです。もっとも生きている中から、死んだようなものでしたが。

[太字引用者]『沼地』

 彼は確実な死のなかへ送り込まれようとしているが、このことは歯牙にもかけられない。というのは、彼が進んで受け入れる彼自身の死は、別の人間つまり指名された犠牲者を殺すために利用されるからである。命令はこの場合、二重の死刑判決にまで拡大される。すなわち、一方の死は予期されてはいるものの、依然として言い渡されていないし、他方の死は充分かつ明確な意識をもって狙われているのである。

[太字引用者] エリアス・カネッティ(一九〇五 - 一九九四)『群衆と権力』
岩田行一 (一九三〇 - 二〇〇四)訳

私は「私」となることを進んで受け入れ、テクストの内で見動き取れなくなる。その意味において、私はあっけなく死のなかへ送り込まれる。これが『沼地』に書かれていた「一方の死」だ。「他方の死」はその内には書かれなかった。

しかし、「他方の死」は書かれなかったに過ぎない。『沼地』は未然のテロリズムを秘めている。表面上それが戯作に終始しているにしても、何が戯作を書かしめたかを思えば、テロの影は微塵も消えていないことに気づく。

以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引下げるに如くはないと思案した。

永井荷風『花火』

何やらん、戯作が暴力の予感と切り離し難い。いや、こう言うべきだろう、「以来」戯作は暴力の予感なくして戯作たりえない、と。パラフィクションは戯作たるに恰好の装置だったようだが、佐々木氏のパラフィクション論はテロリズムにまで言い及ぶことがない。そこには「批評」が無いだろう、というのが二〇年代から見た感想である。

予感は予感に終わったのだろうか。そうではない。散文詩『沼』は『沼地』と不気味に韻を踏む。歌に誘われ、「おれ」は沼に入水する。耽美的でロマンティック?まさか。

凡庸な次章は読む価値特に無し。(次章題)、というだけの話。すぐに『沼』を読むほうがいい。

(第二章 おわり)

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