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転職するまでのこと

図書館司書に転職して、今年で3年目になる。
転職前は、新卒で入った会社で4年間エンジニアをしていた。

そもそも私は、就活がうまくいかなかったタイプの人間である。
大学3年の冬、まずやりたいことがなかった。そして自分に自信もなかった。
自己分析なんてしようものなら、哲学的な方向にいってしまって、就活用の材料づくりなんてこれっぽっちもできなかったのである。
強み、弱み、長所、短所、自分がどういう人間であるか…鮮やかに語ることのできる友達がうらやましく、しかしどこかで彼らを「なんか嘘っぽいな」と思っていた。今も変わらないが、私は潔癖なくらい、嘘やごまかしが苦手だ。
エントリーシートを50社、いやもっとか、ともかく大量に提出し、何十社も落ち、吐きそうになりながら面接に行きそして落とされ、おそらく多くの就活生のように精神をすり減らす日々の末、私を拾ってくれたのが新卒で入社したIT企業である。

エンジニアという職種は、文学部哲学専攻で、機械に疎く、読書だって絶対に紙、というもろアナログ派の私にとって、最も縁遠い仕事だったと言っても過言ではない。反対こそされなかったが、親にも、友達にもイメージではないと言われていた。

ITに興味があるかと言われれば興味はないし、仕事で実現したいことがあるかと言われればない。そもそもITに価値を感じていない。それでも新しい環境へのときめきはあったし、もしかしたら意外な才能が目覚めるかもしれない、どんなことがあってもとにかく三年はこの会社にいようと決めていた。
きっとこの仕事向いていないだろうなあという予感はあったが、向いていないということを見極めるには、きちんとある程度の期間、全力で働く必要があるということは理解していた。そして何より、半年や一年ちょっとで辞めるような根性なしにはなりたくなかったのである。
そんなこんなで三年間、全力でエンジニアをしていた。
勉強のためにメモリを増設し自宅でサーバーを立てたり、本や資料を買ったり、勉強会に行ったり、朝までファミレスで一人格闘したり、夜中に半泣きでお客さんに電話をしたこともあった。興味のない仕事でよく頑張っていたなと今は思う。それでも、ずっとどこかで、このままでいいのだろうかと迷っていた。
上司との関係、お客様との関係、セクハラ、世の中の大半の人が通るような職場の悩みは経験した。つらくて、というよりもどうしようもなくて泣くタイプだとわかったのも、この経験があったからだと思う。一回り二回りも違うサラリーマンのおじさんたちが、自分が思っている以上にずっと大人で、わかりづらいけれど見ていてくれている人はいるのだいうことも、このとき知ったと思う。
きちんと深く悩み苦しみ、様々な経験をさせて貰い、三年が経った。

四年目になり、働きながら、私はこの先どうしたいのだろうかと考えることが増えた。これでいいのだろうかという入社当時からの迷いは、いよいよ深くなっていた。
人間関係は良いとはいえなかったが、ここよりも悪いところはいくらでもありそうだったし、人間関係だけを理由に転職する人はどこへ行ってもうまくいかなそうに思えた。
ITがつまらないのも、価値を感じられないのも我慢して今の仕事を続ければ、いつかは楽しく思える日が来るかもしれない。お給料は悪くないし、実際、世の中のほとんどの人は、我慢したり納得させたりごまかしたりして、仕事をしているのだろう。それもよくわかる。世の親たちは本当にすごいなと思った。

それでも。三年働いてよくわかったのだ。
エンジニアという仕事は、一生勉強し続けなければならない。私はもともと勉強は好きな方だけれど、自分にとってシステムの勉強がいかに楽しくないかは、この三年間で嫌というほどわかっていた。興味のないことを、この先何十年も勉強し続けるなんて、とてもじゃないけど私にはできない、と、これは素直な気持ちだった。
十年後、二十年後、自分がなりたいと思えるようなロールモデルにも出会わなかった。素敵な人は何人かいたが、憧れるほど素晴らしい仕事をしていると思えるような人はいなかった。
そして、やっぱり、人生の時間は限られている。
毎日ときめきのない仕事をし、お金を貰えても、わくわくできなかったという事実をそのお金では買えないのだ。そのわくわくできなさを忘れるために、別の楽しみをお金で買うことはできても、過ぎ去った時間のつまらなさそのものは買うことができない。
仕事である以上ずっとわくわくしてなどいられない。嫌なことも我慢しなければならないこともある。それはどの仕事でも同じである。しかし少なくとも、私は自分が大切だと信じているもののために、自分の時間を使いたいと思うようになっていた。これは、興味のないものに時間を捧げていたからこそ気づけた価値観だったと思う。
世の中には人の数だけ仕事に対する価値観があり、例えば週末の楽しみのために、好きでもない仕事も我慢して続けられるような人もいるだろう。私は自分自身もそういうタイプだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。私にとっては、自分が自分の仕事の価値を誰よりも信じられていること、それが最も重要な価値観だったのだ。

そう気づいてから転職するまでは、色々あったけれど迷うことはなかった。
不安がなかったわけではない。転職と言えばキャリアアップの風潮のなか、給与は半減で最低賃金、ボーナスも退職金も昇給もなし、非正規雇用、祝日もお盆もなし、そんな選択をすることには、当然小さくない不安があった。新卒入社のときは反対しなかった親に反対もされた。それでも、迷いはなかった。
気持ちのいい選択だったと思う。
そんな清々しい選択をできた自分は、きっとこの先も重要な場面できちんと判断を下してゆけるだろうと、根拠はないけれど今も思えるのである。

当時のお客様とは今もお付き合いが続いていて、たまに「転職しなければよかったと思わない?」と聞かれることがある。
ないですね、と笑いながら話す。
私は今の図書館司書という仕事を信じている。
その自分の心の濁りのなさは、まさにお金では買えないものだと、日々噛みしめながら働いている。

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