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読書記録.3「さむけ」/ロス・マクドナルド/小笠原豊樹・訳

久しぶりにハードボイルドミステリを。
ふんわりした感情系の小説を続けて読んでいると、ハードでクラシカルな小説が猛烈に読みたくなってくる。
しかも、季節は秋だ。
個人的に、春夏は感情・表現系、秋冬は推理・哲学系の読書傾向がある。
季節に合わせて感受性と思考の領分が変わるらしい。
確かに、穏やかな春の日にチャンドラーやディクスンカーって、いまいちな感じだ。吉本ばななや、タゴールの詩集なんかがいい。ぶわっと、あるいはきゅうっと、感じる系。
あまり考えたことはなかったが、私の中で季節と読書は深いつながりがあるのかもしれない。

さて。
いつか読もうと思いつつ、読むなら丁寧に読みたいと積読になっていたロス・マクドナルド「さむけ」。
ずばり今でしょう、ということで読んでみたが、めっちゃよかった。
ああ、いいもの読んだ。マジいいもの読んだなぁ、というとても気持ちいい読後感だ。ミステリが好きでよかった。ハードボイルド史的には傑作と言われているので、今更感もあるが、感想である。

舞台は南カリフォルニア。
新婚旅行中の新婦が失踪し、発見されるも結婚相手のもとには戻らないという。そのわけを探るうちに、彼女が通う大学の女教授が殺され…というのが、始まりの始まりである。
新婦、新郎、大学教授、その同僚、その母親、精神科医、第一の容疑者、その女、と、序盤だけでも結構登場人物が多い。
私はてっきり、ここで登場したメンバーの過去の事情が絡み合い、探偵がちょっとワイズクラックなお喋りをして、意外な過去が明るみに出、少し切ない、あるいは救いのない終わり方をする…というような筋立てを予想していたのだが、甘かった、ものすごく奥の深い緻密なプロットである。
過去まで遡ったかと思うと、さらに過去まで遡るのである。
つまり事件も一つではない。中盤から後半にかけて、過去になされたいくつもの事件が明らかになってゆく。意外な関係や、ある人物の意外な一面も見えてくる。
本作が面白いのは、それでもなお、冒頭の事件の犯人がわからないことだ。
探偵があちこちに赴き、関係者の話を聞きまわり、過去の出来事、いきさつ、事情が確かに明らかになってゆくのに、犯人がわからないのである。
私自身はこいつが怪しい、と思った次の章で、いややっぱりこっちだったか、となり、中盤、こいつっぽいな、となるもやっぱり違うみたい、となり、終盤、ああやっぱりこいつか、と思い、最終章、え?…え…うわ………そういうことだったの………となった。
人によっちゃこんなミスリードはされないのかもしれないが、最後のあれ、途中で気づいた人って結構いるもんなんだろうか。確かに伏線諸々あったのだろうが、私は全然気づかなかった。

ミステリの醍醐味の一つは終盤20ページだと思っている。
私はその、まさにページをめくる手が止まらないという快楽のためにミステリを好んでいるといっても過言ではないが、今回は読了後のずしんと来る余韻を含めて素晴らしかった。
物語全体に漂う霧、それが一段と濃くなるような、まさにタイトル通りの終わり方である。
少し逸れるが、こういう終盤に向けてページを繰る喜びや、なかなか捲れないもどかしさ、あとこれしか残りページないけど犯人わかるの…?という戸惑いは、やはり(聞く読書とか電子じゃなく)紙の本じゃなきゃだめなんじゃなかろうか。というか、ミステリを紙で読む面白さや一体感、没入感を体験してしまったら、音や電子じゃ物足りなくなってしまうんじゃないだろうか。あのページを捲る感覚はミステリ特有のものだと思う。
やっぱり読書は本質的には演劇や音楽と変わらない、生の身体的体験だということを思い出させて貰えた気がする。ありがたい。

同じくハードボイルド作家と言われるチャンドラーの小説は、謎解きというよりもその雰囲気を味わっている感がある。誰かがあとがきで書いていた気がするが、彼の小説は筋書きやプロット云々というよりもはやチャンドラーなのだ。
それに比べると本作は圧倒的に謎解きである。これは好きな人はたまらないだろうな。ファンが多いのも、頷ける。

そして本作の私立探偵リュウ・アーチャー。
彼のプロフィールとして本作で紹介されるのは、過去に一度結婚していたこと、くらいか。それ以外はあまり明かされず、なんというか透明な佇まいである。
ハードボイルドの代名詞といっていいんだろうか、ワイズクラック(=減らず口、挑発表現、洒落た台詞)がほとんどなかった気がする。それでもタフな強靭さは十分に感じられたので、何作か読むうちにもう少し立体的になるのだろう。フィリップ・マーロウのアイロニーのある孤独とはなんかちょっと違う感じの孤独を感じさせる探偵であった。

最後に蛇足的な話だが、個人的に海外文学を読む楽しみの一つに、物語に登場する外国語の言葉たちがある。
本作で言うと、冒頭でアレックスが食べる「チキン・ポット・パイ」や、ヘレンの衣装箪笥に仕舞われている「マグニン・アンド・バロックス」のラベルのついたドレス、などだ。
特に食べ物や飲み物が多いが、マントルピースとか、クーペとかコンバーチブルとか、ギャバジンなど、例えば同じものを表す日本語があったとしても、その言葉の響きだけでなんだか、うっとりしてしまったりする。
チキン・ポット・パイは、想像はできるが食べたことはないし、マグニン・アンド・バロックスがどんなブランドなのかはネットで調べてもわからなかった。
それでも、わからなくても、知らなくても、なんかいいなあ、と思う。
ちきん、ぽっと、ぱい、と、つぶやいてみたりしてしまう。暖かそうな言葉。日本語にはない、ちょっぴりポップで、勢いのある響き。不思議なことに、これが「chicken pot pie」だと、全然違うのである。
なんでなんだろうなあ。

良いミステリを読めてよかった。
仕事で大量のポケミスを見ると、宝の山と思うと同時に沼だなあとも思う。本当に奥が深い。
もう一冊くらい海外ミステリ読んだら、文学に戻ろう。
マッカラーズに興味がある。

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ロス・マクドナルドってロスマクって略すんだ。


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