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無題3

(2022/9/11 日記)祖母が癌であると聞いて。

23:55。
なんだか悲しい気分だ。
どうしてかはわからない、でも、確かに悲しい気分だ。
ちりが積もるように、雪が降るように、降り積もるように、悲しみが注ぎ積もりゆく。さよならの予感なのかもしれない。
永遠はあると信じるということは、永遠などないとどこかで思ってしまっているという事だ。
分らないから、信じるのだ。
死。
死ではなくとも、もう戻らない日々。
「もう戻らない」といつも思っていたはずなのに、わかっていて、心から味わってきたはずなのに、
もう戻らないかもしれないということが、こんなにも胸をしめつけるのはなぜ?

喪う、とは。
二度と会えない、とは。
二度と会えないって どういうこと?二度と。

面影。

その人とは何なんだろうとか、死んだのは誰なんだろうとか、何がなくなったんだろうとか、哲学的なこと全部ほっぽって、
やっぱり、受け止めきれないくらい、痛いのだろう。
今まで当たり前にあったものを失うということ、当たり前すぎて、きっと、信じられないほど痛いのだろう。
そんなこと考えたって仕方ないのかもしれながい、予行練習でもしないと怖くて。恐ろしくてかなわないや。

悲しみに飲み込まれそうになったとき、
寂しさで息ができなくなりそうなとき、
精神はその強さを失わずにいられるのだろうか。無理な気がするよ。
怖いな。大事なものができるって。

あってもなくてもいいこの世界で、偶然出会った。
大事にしてもらってきた。何の理由もなく。
「理由がない」
こんなに美しいことってあるんだろうか。

大切な人を失った次の日は、どんな日なんだろう。その次の日は?その次の次の日は?
「あるべきものがない」
そんな怖いことってある?

涙の理由がわからない。
どんなに伝えてもきっと後悔するのだろうな。手も足も出ない。
皆毎日、終わりに向かっている。

「どうして、病気になったのかなあ」
「月単位」。

このまま、私の日々は続いて、何カ月間か、おばあちゃんは入院して、
それで
何か月か後に、この世からいなくなってしまうのかな。
普通に、今までも生きてきて、たまにおばあちゃんに会いに行って、それがもう、二度と。もう二度と。
おばあちゃんがいないってなんだ?わかんないことだらけだ、全然わからない。

いっそ何も感じない人間に生まれたかったと思うほど、幸せな、あたたかい、思い出が、多すぎて、失うことが こんなにも怖い。
哲学なんかでは乗り越えられないと思うほど。
なぜ 生きるのだろ。
生まれたから、生きるのだ。どうせなら、楽しんだ方が、いいのだ。
こんなに怖くて、悲しい思いをするほどに、生きる、生きた方が、いいのかな。死ぬ勇気もないけど。

本当に、
今が本当に一番幸せだということに、私はなぜ気づけないのか。
気づいたふりばかりしている。いつだって二度と戻らないのに。
どうすればいいの?どうすれば!!
いっしょにいなくなりたい
久しぶりに真正面からくるとつらいや。今まで見ないようにしてたのかも、でも 涙流すことしかできない。

もう分らん。
いつだって最後だと思って 本当に思ってきたのか?
大好きって言わなくたって伝わってると思って、思って…ちゃんと伝えたこともない。なにもかもだ。いつなくなるかなんてわからないのだ。わからないんだよ!!!そのことをわかっているのか本当に。

台風、雨の夜 ぐちゃぐちゃだ。

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